お仕事です
「シンティア、君との婚約は破棄になる」
金髪碧眼、せっかくの端正な顔立ちだというのに下卑たニヤけ笑いを口元に浮かべ、このプルサティラ国の第一王子セリヌスがそう宣った。
4日後に卒業式を控えている本日、学園にある王族専用のサロンに婚約者をわざわざ呼び出して先ほどの言葉だ。自分はソファに座ったままで、呼び出した婚約者であるウムブラ公爵令嬢シンティアに席を勧めもせず立たせたまま。彼は彼女の前ではずっと尊大な態度だ。自分の目の前に立つ女のいつもの風体に苛立っている様でもある。
彼女はいつも通りに化粧っ気がなく、分厚いレンズのメガネでその瞳の色もはっきりしない。肌は白いのだがそれによって鼻周辺の雀斑がとても目立つ。長い黒髪はいつもきっちりと結いあげられている。そんな地味で目立たない印象のシンティラは公爵令嬢としては平凡な印象であり、王子としてのプライドもあってかそんな彼女を全くといっていいほど気に入っていなかった。
外面がよい彼は周囲にはそんな思いを見せてはいなかったが、二人だけの時、もしくは自分の懇意にしている友人達といる場面では、彼女についての不満を隠そうともしていない。
「承りました。それでは、失礼いたします」
シンティアは顔色一つ変えずに静かにそう告げると、くるりと踵を返して出ていこうとしたが、後ろから呼び止められる。
「まだ、話の途中だ。戻れ」
彼女は仕方がないのでもう一度向き直る。
「4日後の卒業式だが、首席が行なう答辞は私がする。君がよく頑張ってくれたお陰で私は首席で卒業だ。その辺りは学園長には話をつけてある。父上も来ることだしな。その辺りの手は打ってある。だから、君には色々と黙っていてもらう必要がある」
ニヤニヤ笑いでそう続ける第一王子に、彼女は一つ息を吐いた。セリヌスはいつだってそうなのだ。本来首席で卒業するのはシンティアである。だが、この学園では試験結果を公表しない。当人にその順位が入った成績表が渡されるだけである。だからこそ、こうしたことも可能なのだろう。これだけではなかった。彼女が学園生でありながら、発表した研究成果などもいつのまにかこの王子の評価へと切り替えられていた。成程、学園長が絡んでいればそれも可能であろう。先日提出した卒業論文についても、
「先だって提出された君の卒業論文だがな。あれは私のものだよな。きちんと私の筆跡で書いた正当なものを提出しなおした。親切な私が学園側と掛け合って、少しは待ってくれるように頼んでおいた。だから君は、自分の卒業論文をなんとか仕上げ給え。私のものをまねするのではないぞ」
そう伝えてきた。そのため、彼女の卒論は未提出になっている。彼は成績だけは優秀な婚約者の成果を、全て自分のものとしてきた。だが、卒業後は不要になったのだろう。
自分に相応しくない美しくないシンティアは学園を出たら用済みとして、瑕疵をつけて返品しようということらしい。彼女は呆れたような表情をし、眉をひそめる。
彼は学院での生活で自分が王族として尊重され、生徒会執行部での活動を経て自分がすでに王になったと勘違いしているのかもしれない。そしてその万能感から、自分本位で行動しても構わないと思ったのだろうか。
確かにこの学園内はある意味王国の縮小図でもある。要するにお試しだともいえるのだ。この中でどのような振る舞いをするのか、それは彼自身の資質を体現したに過ぎない。下位貴族から高位貴族までの子弟が揃い、優秀な平民が加わっているこの場所での彼の行動が、将来の王国の予想図となるともいえよう。
(この人はこの3年間について、本当の意味でわかっているのかしら)
学園に入学してから、シンティアは静かに王子を観察していた。
「君は非常に優秀だ。そして私のやった事を君は把握している。だけど君を王子妃にしてこの後もずっと側にいられるのは、ねえ。君、地味だし。もっと見栄えの良い女性の方がいいよねぇ。
それで色々と考えた。君は今日これから男を誑し込んで、卒業式は欠席する予定だ。安心したまえ、相手と場所はもう見繕ってある。
私に捨てられた君が、他に嫁げるところはないだろうしね。私は、親切だろう。
君の今回の行動によって、婚約は破棄する事になるだろう。王族に嫁ぐ身として純潔は必然だからな。従って、この婚約破棄は公爵家有責だ」
楽しそうにセリヌスは言う。
「そこまでは、付き合いきれません」
シンティアが部屋を退出しようとすると、王子の側に控えていた側近候補のゴツくて図体のでかい男、騎士団長の子息が彼女に手を伸ばして捕らえる。
「案内は、ゴシックがするからついていくように」
当たり前のようにそう告げるセリヌス。それに冷たい視線を送り、彼女は平坦な声で言った。
「泥を打てば面へはねる、とも申しますわよ」
ソファに腰掛けるセルヌス、その脇に佇む宰相の令息を彼女は静かに見つめる。
「はん。ぬかせ」
セリヌスはそう言って嘲笑う。そうした中で騎士団長令息ゴシックは、そんな彼女を半ば引き摺るようにして部屋の外へと出ていった。
4日後、学園の卒業式が行われ式次第通り、卒業生の代表としてセリヌス殿下が答辞を述べた。卒業式にシンティアの姿はない。参加しなかったようだ。というより、できなかったのだろう。彼女はこの4年間、セリヌスからの要求に対しては文句は言っても最終的には従ってはいた。答辞や成績についても口を噤むだろうと考えられた。だが、今度のことで下手に騒げば自分を傷物だと触れ回ることにもなる。貴族令嬢たるものそのようなことはすまいとセリヌスは考えたのだ。
ただ、あの日からゴシックも登校していない。それについては、ゴシックも参加したのだろうと勝手に想像していた。
「あんな地味な女が好みだとは、あいつの女の趣味は悪いな。もしくは誰でも良いのか」
などとうそぶきながら。
第一王子は機嫌よく、卒業パーティへと向かった。今日は第一王子の卒業ということもあり、国王陛下からお言葉をいただけることとなっている。
卒業パーティーでは、上機嫌な国王陛下が卒業生の今後を寿いだ。セリヌスは機嫌よく国王陛下の話を聞いていたのだが。
「最後に皆に告げることがある。まず、昨日の議会で決まった事を発表しておこう。第一王子セリヌスは王位継承権を剥奪し、廃嫡とする。
それから学園長も今年度限りで替わる事となった。今後は学園内も色々と変革されるだろう」
爆弾発言で締めくくられた。
卒業式を明後日に控えたその日、訪いを告げて公爵家の執務室にシンティアは入室した。
「仕事は終わったんで、一応挨拶はしておく。公爵殿、オレは領地に帰るから」
ウムブラ公爵は旅装を整えた娘の言葉遣いとその姿に眉をひそめる。黒い髪は短く切られ、メガネはしておらず琥珀色の瞳が煌めく。肌に雀斑もない。革製の胸当て、ブーツ姿で背中には荷物をまとめたカバンを背負い、腰には長剣を佩いている。貴族令嬢らしからぬ姿であり、どこぞの冒険者という出で立ちだ。
「その格好はなんだ。その姿は王都に着いたときに二度とするなと言ったはずだろう。なぜ領地に戻るなどと馬鹿なことを言っている。明後日は卒業式だろう。卒業後は、半年を待って第一王子との結婚式を執り行う予定だろう」
ふんっと鼻で笑うシンティアは少し考えた後に、何かを思い出したかのようにポンと手を打った。それで説明する気になったようだ。
「そっか、悪い。公爵殿は知らなかったな。オレとあの第一王子の婚約は、表面上の契約だ。本来の王からの命は、『学園に在籍する際に、第一王子の婚約者としてセリヌス王子の監視業務』だ。国王陛下から母様を経由してオレに依頼してきたものだ」
頭を掻きながら言う姿は、昨日までの令嬢と同一人物とは思えない。
「なにを馬鹿なことを」
陛下から自分を通さず妻を経由されたという言葉に、苦虫を噛み潰したかのような表情をして公爵はそう吐き捨てるように言った。だが、そんなことを娘であるはずのシンティアは気にせず続ける。
「婚約して果たす仕事は二つ。一つは純粋な虫除け。第一王子妃の座を狙う有象無象が湧くのを防ぐためと、王子自身がおいたをしないようにという感じかな」
右手で指を二本立てて、そのうちの一本を左手の人差し指で軽く弾く。
「もう一つは、学園内での第一王子の挙動についての報告。こっちがメイン。セリヌス殿下は陛下や上位貴族の前では非常に優秀な面を見せているけど、どうにも裏ではよろしくない行動をとっているという噂があったんだって。それで同じ年の婚約者として学園内の殿下を観察し、その動向について報告するという依頼でね。護衛にせよ何にせよ、学園内での殿下の動向を把握するのは外部の者であってはなかなか難しいから、と。それで今回、母様の娘で年回りも丁度良いオレに白羽の矢が立ったというわけだ。婚約は仕事が終わったら解消っていう契約だしね」
平然と語る娘の言葉に公爵は青筋を立てる。
「私は、そのような話は一切聞いておらん。勝手なことを言うな」
彼女が父親である公爵からの命で、領地からこの王都にやってきたのは学園に入学する1年前、今から4年前になる。自分の娘が第一王子の婚約者にという王命を受け、喜んで娘を呼び寄せたのだ。
それまでシンティアは母親と祖父母と共にずっと領地で生活をしていた。公爵は王宮で大臣を拝命しているということもあって、領地に戻るのは1~2年に一度ぐらい。しかも数日滞在するだけだ。
したがって殆ど顔を見ることがないためなのか、娘であるシンティアはどこか公爵を父親と認識していないフシが見受けられるのを、公爵は不満に感じていた。王都にきてからようやく父上と呼ぶように言い聞かせたのに、また公爵殿という呼び方に戻っている。
「そりゃあ、母様の知り合いからの推薦だったから。それに密命だしね。公爵である貴方には表向きの王命による婚約って話はあったでしょう」
しゃあしゃあと宣うシンティアに空いた口が塞がらない公爵。
「オレは、領地で母様と祖父様に鍛えられていたから。これでも母様とパーティ組んで冒険者やっていたんだよ。隠密行動とかも鍛えられてるから、きっと条件にあったんだろうな」
にっこにこでそう付け加えると、手をひらひらとふって呼び止める公爵を気にかけること無く屋敷を出ていった。
昨日はセリヌス王子が用意したという場所までゴシックに連れて行かれてから、待っていた相手とゴシックを叩きのめして王宮治安騎士隊へと突き出している。
ゴシックあたりが今までやってきたことについても、よく鳴いてくれるだろう。今までのセリヌス王子の一連の行動については随時報告を上げてある。セリヌス王子に協力的だった学園側の人間については、学園長をはじめとして幾人かの教師も調査報告をまとめてすでに提出済みだ。明日には臨時会議が開かれてセリヌス王子その他の処分が決まるという話だ。
事実卒業式前日に会議が持たれ、そこで第一王子セリヌスの廃嫡などが議決され、卒業式の発表となった。
シンティアが示した四年間に及ぶ調査能力に関しては、王家の影からお誘いが来たがこれは丁寧に断った。彼女は、領地に帰って冒険者の仕事を続けるつもりだったから。