第3話「最初の仲間たち」
夜が明けたのかどうか、ビルの地下では時間の感覚が曖昧だ。俺たちは一睡もできないまま、駐車場のコンクリート床で座り込んでいた。浅海さんは足の痛みで何度かうめき声をあげ、ヒロキが可能な範囲でケアしている。俺も何か手伝おうと思いつつ、頭がもう回らない。
そんな中、突然コンクリート壁を「ドンドン」と叩く音が聞こえた。緊張して身構えると、扉の向こうから声がする。
「誰か、いますか……? 生きてる人……」
女性の声だ。モンスターじゃなさそうだが、今の状況では人間だと分かっても油断はできない。
「こっちにいる! でも近づくなら、モンスターじゃないって証明してくれ!」
「モ、モンスターじゃないです……ただの人間です……!」
扉を少しだけ開けてみると、そこに怯えた様子の女子大生らしき人物が立っていた。名を「宮田リナ」というらしい。血の気が失せた顔で、震えながら「助けて」と口を開く。周囲には他に二人、連れがいるようだ。若い男と中年のサラリーマン風の男性。いずれも顔に疲労や恐怖が滲んでいる。
「ここ、モンスターいないですよね……?」
「少なくとも今はいない。昨夜は外で何匹か倒したけど。どうやってここまで?」
リナたちは夜のうちに街をさまよい、ビルの地下なら安全かもしれないと思い彷徨っていたという。道中、モンスターに遭遇して逃げ回っていたらしい。運良く全員軽傷で済んでいるが、一人は転倒して足を痛めている。
「……俺らもここで夜を明かした。俺は霧島ハジメ、こっちは佐伯ヒロキ。そして彼女は浅海さん」
ヒロキと浅海さんも、怯えるリナたちに短く挨拶を返す。とにかく情報が欲しいが、彼らもほとんど知らないようだ。
「わけわかんないうちに世界が止まって、それから化け物が……」
「俺らもさっきまで同じだよ……」
リナの仲間である中年男性は「橘」と名乗った。ビジネスバッグを抱えており、見たところサラリーマン。自宅は郊外らしいが、出張先からの帰りで都心に泊まっていたところにこの惨事に遭遇したという。もう一人の若い男は「柿沼」という大学生。リナとは友達の友達くらいの距離感らしいが、一緒に逃げてきたらしい。
「で、あなた達はモンスターを倒したんですか? そんな、普通の人が……どうやって?」
橘が驚きと困惑を混ぜた声を漏らす。彼らからすれば、それも衝撃だろう。でも戦わなきゃ俺らも死ぬだけだった。
「武器なんてパイプ椅子や包丁くらいだ。けど、どうにかなる。意外に“ゲーム”っぽいんだ。ステータスとか、スキルとか……」
ヒロキが自分のステータス画面を示す。リナたちは半信半疑の顔をしながら、「私にもそんな画面が出ました」と言う。
「それに、俺は今レベル3だ。モンスターを倒すと経験値が手に入る……普通じゃないけど、どうやら本当らしい」
俺もレベル3になったばかりだ。実際、身体能力が上がったかどうかまでは微妙にしか分からないが、少なくとも数字でそう表示されている。
この状況をどう説明すべきか。神という存在が突然現れて世界を書き換えた、としか言いようがないが、口にするのも馬鹿馬鹿しく思える。それでも橘や柿沼、リナは聞き入るしかなかった。自分たちも同じ画面を確認している以上、否定できない。
「とにかく、これからどうするかだ。ここにずっとこもってても、いずれモンスターが入り込んでくるかもしれないし……」
そう呟くと、リナが震える声で「外に出るのは怖い」と訴える。柿沼も同感らしく、「でも食料も乏しいし、足を痛めてる人もいる」とジレンマを抱えている。
「昨日の夜は、あちこちで火事が起きたようだし、ニュースも入らない。たぶん通信網が途絶えつつあるんだろう」
橘が言葉を継ぎ、肩を落とす。ここで動けないままなら、いずれは飢えや怪我で命が危ない。
考えあぐねた末、俺たちは「このビル地下を仮の拠点として整備しよう」という方向性に落ち着いた。どうせどこへ行っても危険は変わらないなら、建物の地下なら入口を封鎖しやすい。物資を取りに地上へ行くにしても、戻る場所があれば安心だ。
「じゃあ、手分けして入口付近の壁を強化するか。車とか置いてあるなら、それでバリケードを作ってもいい」
「俺とヒロキ、それに柿沼で周辺の探索をする。食料や道具、あるいは武器になりそうなものを持ってこよう。リナと橘さんは怪我人とここで待機を頼む」
手早く役割分担する。この瞬間、俺は自分がリーダーみたいに振る舞っていることに気づき、少し戸惑う。でも誰かが動かなきゃ何も進まない。ヒロキも黙ってうなずいてくれている。
行動を起こす前に、もう一度ステータスウィンドウを確認してみる。スキルポイント:2、ジョブポイント:1という表示がある。そういえば「ジョブ」ってなんだ? RPGの戦士とか魔法使いとか……?
……だが、時間がない。今は手短に探索を進めることが先決だ。細かなシステムの勉強は戻ってからでもいい。
モンスターがうろつく地上へ向かうのは怖いが、何もしなければ俺たちが死ぬ。浅海さんも回復しないままだ。走るたびに膝が笑うほど緊張しつつ、俺は地下駐車場のスロープを上がった。
ビルのエントランスは破壊されたガラスが散乱しており、血痕や倒れた人体がいくつも見える。息をのむ光景だが、今さら悲鳴をあげても仕方ない。そっと気配を探ると、幸い目立ったモンスターは見当たらない。
「……行くぞ。周辺にある店を漁って、食料と薬品、あと服や燃料なんかも持ってこよう」
「了解……」
ヒロキ、柿沼とともに静かに歩を進める。死体の多くは昨夜襲われたまま放置されているのだろう。申し訳ない気持ちと共に、その光景が現実のものだと改めて認識させられた。
角を曲がった先には、昨夜俺が最初にモンスターと遭遇した場所がある。そこには複数の車が突っ込んだまま放置され、窓ガラスがバリバリに割れている。引きずったような血痕もある。まるでバイオハザード映画を彷彿とさせる光景だ。
「……人、いないな」
「逃げたか、襲われたか……だよな」
柿沼が青い顔で呟く。ヒロキは黙って前方を警戒している。
その時、ビルとビルの隙間から何かが走り去ったように見えた。四足の影――モンスターか。複数いるかもしれない。
「急げ……。あんまり長居は無用だ」
俺たちは近くのコンビニへ向かい、ドアをこじ開けた。中は荒らされているが、まだ食料や水が残っている棚もある。カバンやリュックなどに詰め込み、できるだけ持ち帰る。さっきまで盗みに等しい行為を罪悪感なくやれるのかと自問したが、今は生き残るために必死だ。
レジの奥には救急箱や多少の薬品が置いてあり、それもかき集める。ヒロキは「栄養ドリンクも持ってくか」と言ってまとめてポケットに突っ込んでいる。柿沼は念のため刃物コーナーを探したが、キッチン用の包丁などは既に持ち去られた後だった。
「仕方ない、これだけ取れれば上々か。次はドラッグストアを回ろう」
しかし、ドラッグストアへ向かおうとした矢先、ガランとした通りを犬型モンスターが横切るのを発見。複数……五匹くらいがウロウロしているのが見えた。どうやら出くわしたら戦うしかない数。昨夜の三匹戦闘ですら危なかったのに、これはまずい。
「数が多い……どうする?」
「回り道しよう。正面突破は危険すぎる」
なるべくモンスターとの戦闘は避けたい。傷を負ったら薬も貴重な今は厳しい。俺たちはビル群の間の狭い道を抜けてドラッグストアへ向かおうとする。だが、その裏道の奥にもまた、モンスターの影がちらついているではないか。もう街のいたるところに奴らが徘徊している感じだ。
「……このまま探索続けるのは危険かもな。とりあえずコンビニで確保した分を拠点に運ぼう」
ヒロキの提案に同意し、俺たちは引き返す。モンスターの群れに見つからないよう、低い姿勢でコンクリートの壁沿いに移動する。
何度か心臓が止まりそうになるほどヒヤヒヤしたが、結局あまり戦闘することなくビル地下に戻れた。そこで待っていたリナや橘たちに、食糧や薬品を分け与える。みんな安堵の表情を浮かべ、さっそく浅海さんの治療を始めてくれた。
「よし、少なくともこれで数日は何とかなるな……」
「ハジメ、本当にありがとう。正直、あんな化け物が闊歩してる外に出るなんて……俺じゃ耐えられないよ」
柿沼が安堵の息をつく。彼だって一緒に外に出たが、ビクビクしていたのは見てとれた。しかし今はこうするしかない。
これで最低限の拠点としての物資は揃ったが、心配なのは“神”が言っていた“中ボス”だ。発電所が襲われているなんて話もあった。もし本当なら、そのうち電気も完全に止まるだろう。今みたいに微妙に残っている明かりすら消え去れば、夜は何も見えなくなる。モンスターにとっては絶好の狩り場になるに違いない。
そんな思考を巡らせながら、俺は地下の一室――かつて警備員が使っていた小さな事務スペースをざっと片付け、そこを“司令室”と呼ぶことにした。柿沼は「なんかゲームみたいだな」と苦笑していたが、実際そうとしか思えない。
できるだけ多くの人がここに集まり、情報を交換しながら安全な拠点を作れば、生き延びる確率は上がるのではないか……そんな淡い期待が俺の中に芽生え始める。
まだ第1夜が終わったばかり。これから何が起こるのか想像もつかないが、仲間が増えれば少しは心強いだろう。人との繋がりが、俺たちの唯一の救いになるかもしれない。
「これから、どうにかして戦う術を身につけるしかないな……」
思わず独り言がこぼれた。この地獄を切り抜けるためには、レベルアップだのスキルだの、その“ゲーム”のルールを最大限に活かすほかないんじゃないか。
「絶対に生き延びよう。浅海さんの怪我も治して、みんなで安全な場所を作るんだ……」
仲間たちに聞こえないように小さく呟き、俺は握り拳を作る。神を名乗るあの存在に“遊び”扱いされるのは屈辱だ。だけど、負けてたまるか。
令和の幕が上がったはずなのに、まるで世界の終わりが始まっている――そんな皮肉を噛み締めながら、俺は微かな決意を心に宿すのだった。