カリタ
ナニ。ワタシの名前を聞かせろって? フーン。この辺りの人間は皆、私の名前を知っているというのにナ。
そもそも名前を聞く時は、自分から答えるのがマナーってもんじゃないのカイ?…まあ、いい。私の名前は…じゃないかって? ムゥ。知っているのなら最初から言いたまえ。
ソウサ、私は間違いなくその苅田にほかならないヨ。巷では「キチガイの苅田」なんて言われているらしいが、なんてケシカラン話だ。此の私のどこがキチガイだって? エ? 言ってみろ。ホラ見たことか。そんな当てつけに理由なんて無いんだ。
エッ。そもそもワタシの身の上話に興味はないだって? ジャア、なんで忙しい此のワタシに話しかけてきたんだ。ナニ。忙しいわけじゃなく、ただ気忙しいだけだと? ナニィ? 弱ったナ。案外ウマイことを言う。マァ、いいサ。お代さえ払ってもらえれば仕事はするからナ。
ナニ。今ここでソレをやってみせろ? ウン、金が有るならァこの場でしてみせても良いサ。ナニ。私を詐欺師呼ばわりするのか。ケシカラン。ハハァ、一文も払う気はないようだネ。
君のその強気な態度は気に入ったさ。今ここで仕事はしないが、それでも話を聞きたいっていうなら、ちっとばかし有名な伝承を話してあげようか。話はウマイのかって? ソウサ、ワタシの名前を並び替えると「語り」になるだろ? 元来ワタシは語り手として飯を食ってきたんだ。
サテ、本題に戻ろう。デ、何? 聞きたいことがあるってぇのは? さっきから気になっている、その後ろの川は何て名前かって? ハハハ。お目が高いじゃないか。そうさ、あの川は三途の川だ。
三途の川ってのはな、常世と幽世を隔てる川のことを言うんだよ。善人は橋を渡り、軽い罪は浅瀬を、重い罪は深い流れを渡らねばならぬ。私は橋を渡れたのかって? それは秘密サ。そして死者は死後七日目に、六文銭を支払わねばならぬ。今でいう三百円位の金額だ。安いもんだろう、ン?
だが、ナニ。面白いのはここからだ。魂は川を渡ったあと、幽世で勝手気ままにさまよう。泣き声をあげる子供の霊、昔の恋人を探す男女、怒りに燃える者…ナンとも賑やかで、騒がしい。ハハハ。ワタシは何度も彼らに出くわしてきたが、弱ったことに、善人でも悪人でも、霊は皆、己の過ちを面白おかしく演じたがる。まるで舞台の役者のようにサ。
あそこに見える坊やは、橋を渡れず浅瀬でぐるぐる回っている。泣きながら、「母さん!」と叫ぶが、母はもうこの世にはいない。ハハ、なんとも間抜けだな。
白い着物の女性は、恋人を求めて湖面に向かい泣き叫ぶ。しかし幽世の彼は、川の向こうで酒を飲み、私の存在すら忘れている。
怒り顔の男霊は石を蹴飛ばし、己の恨みをぶつける。小さな事件だが、見ている者には滑稽そのものさ。私はそれを面白がる。霊もまた、騙されやすいのサナ。
ナニ、君たちは霊の話をもっと聞きたい? 仕方ない。ここで小さな事件を紹介しよう。
・赤子の泣き声
ある霊は、産まれたばかりでこの世に未練を残した赤子だった。両親に抱かれることもなく、川の浅瀬でグルグル回る。私は橋を渡らせようとしたが、赤子は泣き声で抗議するのサ。ヤレヤレ、まだ未熟だな、と私は笑うのみ。
・恋人探しの女
白い着物の女性は、生前の恋人を求めて幽世をさまよう。しかし、幽世の彼はすでに別の霊に絡まれ、酒と遊びに耽っている。女性は怒るわけでもなく、悲しむわけでもなく、ただ泣き叫ぶ。その姿はまるで幽世の舞台の一幕だ。ワタシは後ろから小さな声で、「ざまあみろ」と呟くんダ。
・怒りに燃える男
怒り顔の男霊は、川の石を蹴り続ける。生前に受けた屈辱をここで晴らそうとするのかもしれないが、川は微動だにせず、男の怒りだけが増幅される。ハハ、実に滑稽だ。私は思わず笑い声を漏らしちまう。
この世に残した未練や、未払いの借金…そんなものをブツブツ呟きながら、浮き沈みするんだ。ワタシが呼ぶとき、霊たちは面白がって寄ってくる。いや、正確には、私の語りに付き合わされるといった方が良いか。霊もまた、騙されやすいのサナ。
さて、遠くに見えるあの山を見よ。漸く明けてきたものの、奥の立派な小尽山だけはまだ灰色に夜空を引きずっている。当に「荘厳華麗」という言葉がよく似合う。エ? 小尽山の由来? 知るものかい。博識だと? ハハ、知らんものは知らんヨ。
その小尽山を映すのは宇曽利山湖。この湖面の美しさと白浜を、人々は極楽浄土に見立ててきたんだ。ワタシなら、死んでもここに戻ってこれるだろう。逆に右手を見ると、硫黄の香りが鼻を刺す岩場。ここは地獄とされてきた場所だ。
ナニ、景色の話はもう聞き飽きた? アゝ、そうかいナ。ソウサネ、霊を呼んで話させるのが一番早いかもな。ウン、仕事はお金をもらって希望者が霊の声を聞くものだ。今からでもお金を徴収しても良いんだヨ。エ? そんな顔すんなって? まあ今回は特別サ。
よし、話を聞く準備はできたかい? 今から呪文を唱える。ナニ、呪われたりなんかはしないヨ。君たちはただ霊の声を聞くだけさ。
「こんにちは。いや、こんばんはかもしれない。茜色の空じゃ朝か夕か分からぬね。
おはようの挨拶のようだね。さて、何で私はここに呼ばれたんだい? 苅田が? なるほど、また話をしてほしいっていうんだな。
三途の川は、常世と幽世を隔てる川だ。善人は橋を渡り、軽罪は浅瀬を、重罪は深い流れを渡る。六文銭を忘れるな。三百円位だ、安いもんだろう?
川を渡った霊たちは、未練や怒りを抱えて幽世をさまよう。泣き声、笑い声、怒号、ささやき…ああ、実に賑やかだ。私が呼ぶと、彼らはまるで舞台役者のように振る舞う。中には、私をからかおうとする霊もいる。ハハハ、ワタシはそれを面白がって見ているのさ。
今生きている君たちがいつ死ぬかはわからぬ。後悔しても遅い、準備しておく方が賢明さ。ワタシが言うのだから間違いない。」
ホウ、話はどうやら終わったようだ。ナニ、面白くなかった? ソウカ、それは残念だ。私も故郷について話すことができた。
取り敢えず君たちが三途の川の深瀬を渡ることがないよう祈るとしよう。オヤ、そんなことはありえないって? ハハハ、自信満々じゃナイカイ。まあ、良いサ。気をつけて帰れ、ここは地獄だからナ。
イケナイねぇ。川にお金を抛っちまうんだから。
今日もウマイ鴨がいるもんだ。私は霊で莫迦を釣る鵜飼ならぬ霊飼だな。ハハハハ。6人で1800円、一時間に何組か相手すれば、それなりの金額になる。語り手や本物のイタコの給料なんて、これに比べりゃたかが知れている。安いもんだろう。さらには、渡し船の運賃前払いだものなあ。ハハハ。気づかないもんだなあ。言っているだろうに。ワタシャ、名前を「騙り」って云ウンだよ。分からないもんかネ。ハッハッハ…