(114)学園イベント(就業体験2)スミナ
少し大きめの空間に椅子が複数とベッドがあり、四方をレースのようなもので区切られている一画に入って椅子に座るスミナ。
正面のレースの先には人の気配がしており、そこから一人ずつ中に入って癒しを行っていくのだと教わると、いよいよ一人目を受け入れる事にする。
この時点で霞狐とネルは大人しくスミナの背後にいるだけで、一切動かないしネルは椅子に座ろうともしていない。
「では、どうぞお入りください!」
少し大きめの声で目の前のレースの方向に告げると一人目の人物が中に入ってくるのだが、スミナの緊張は最高潮に達しているのでどう見ても無駄にソワソワして、その姿を微笑ましい者を見るかのような視線で見守っているネル。
一応ジニアスからは基本的には手を出すなとは言われているが、実力的にそのような状況に陥るとは考え辛い中で、スミナがどうしても対象を癒したい上で力不足に陥った時にはネルの判断で助けても良いとも言われている。
「お座りください。今日はどうされましたでしょうか?」
椅子を勧めている中で動きを観察していたスミナは見た目上の異常を見つける事が出来ず、回復系統に属する鑑定術を使用して詳細の状態を確認しつつ問いかける。
上限レベルは7、そこにネルの術が組み込まれているので有り得ない程の力を持つ事になっているスミナはプライバシーの観点から相当力を抑えて情報にもフィルターをかけているのだが、目の前の人物の詳細が見えてしまう。
名 前:ラーソ(偽名) ソルバルド(実名)
職 業:ダイマール公爵家所属暗部見習い
系 統:補助系統
レベル:上限レベル7 実質レベル7
状 態:背中の刺し傷(重症) 興奮 疲労 恐怖
どうやら目の前の人物は暗部見習いであり、怪我があるように見えなかったのは過酷な修練の結果得た力で耐えているかららしい。
本来は公爵家暗部であればある程度のポーションは持っているはずだし仲間には回復系統の力を持つ者もいるのだろうが、敢えて自分の存在を公にせず共癒しが受けられる公共機関とも言える教会に来る以上は、何かがあるのは明らかだ。
そもそも暗部である時点で何かがあるのだが……何故か状態の中に恐怖がある事に疑問を感じているスミナ。
爵位は低いながらも貴族であり父から暗部について色々と情報を聞かされ始めているので、公爵家レベルに仕える暗部になると重症程度で恐怖状態になるはずがなく、表面上の態度には出ていないがその怪我を負った時の恐怖を引きずっているのか……あくまで暗部の見習いとなっている事もあって正確な判断が出来ず、のっけから単純に癒せば良いのかわからなくなっている。
動きのないスミナに対し、暗部見習いのソルバルドは目的を告げる。
「実は、少々騒動に巻き込まれて背中に怪我を負ってしまったので、完全ではなくとも動きに障害がない程度までで構わないので、急ぎ癒していただきたい」
そう言って立ち上がり背中を向けて服をたくし上げると、半ば強引に止血したのか少々焼けただれている跡があり、よく観察すると明らかな刺し傷の跡が見える。
スミナとしては教会に来る民を無条件で癒す意識でこの場で来たのだが、一人目が公爵家の暗部見習いとなってしまい、素直に癒して良いかの判断が出来なくなってしまう。
スタートで躓いてしまっては今後学園を卒業した後の行動に悪影響が出ると思い、ネルが口は開かないがそっと動き、いつの間にか準備していた紙をスミナの視線に入るようにする。
<恐怖状態は、霞狐を見た事によるものです。悪意は感じず、寧ろ暗部を抜けようとしている節がありますので癒しても問題ないと思いますが、公爵家の暗部からは逃げられない可能性が高いでしょう。現時点の所属があのダイマール公爵家である事から、そこから抜けようとしている者に対してジニアス様は保護する事を断らないと思います。アズロン様がどう判断されるかもありますが、何れにせよ騒動に巻き込まれる事になりますがジニアス様がいらっしゃるので何も問題はございません。御自身の思うままに……>
少々長い手紙だが未だ背中を見せている暗部見習いの男には見える訳も無く気配も察知されるようには動いていないので、一気に読み終えたスミナは覚悟の表情に変わりネルと視線を合わせて頷く。
スミナの覚悟を尊重……と言っても、今までで知り得た性格であれば絶対に癒した上でアズロン男爵邸に匿う方向になるだろうと思っているネルだが、今後騒動になってもジニアスがいるので全く問題ないと確信している。
そっと一歩下がって再び同じ位置に戻り黙って成り行きを見守るネルだが、一応操作系統の力を使って魔獣による連絡だけはしておこうかと準備をしていると、スミナが動く。
「あの、回復はさせて頂きますが、少しだけお話させて頂いても大丈夫ですか?」
回復後に余計な事を言っては逃走する可能性が高く、実際には霞狐やネルから逃げられるわけはないのだが無駄な騒動になりかねないので、敢えて逃走する余力がない今の時点で話をつけようと判断したスミナ。
暗部見習いの男は、自分を間違いなく追ってきているだろうダイマール公爵家の他の暗部の状態が気になりはするのだが、ある程度癒して貰った上で逃走する事が最重要であると考えている為に、黙って再び椅子に座る。
「ありがとうございます。あの、驚かないで聞いて頂きたいと思います。私はアズロン男爵家のスミナです。正直、ダイマール公爵家、その嫡男の方とは少々因縁があります。コレが大前提ですので、お話を続けても大丈夫ですか?」
自分の事を何も言っていないのに、勝手に自らダイマール公爵とは敵対関係にあると告げたスミナに対して警戒感を隠せないソルバルドだが、背中の傷は悪化する一方なので癒しを断って逃走する事は不可能だと覚悟を決めると、その姿を見て更にスミナは続ける。
「ありがとうございます。申し訳ありませんが、貴方については怪我の状態がわからなかったので詳細の鑑定をさせて頂きました。その上でこのお話をさせて頂いていますのでご安心ください。ラーソさん、いいえ、ソルバルドさん」
偽名だけではなく本名まで言い当てられ、無意識に全身に力が入ってしまう。




