5月・麻琴の事情:2
俺はキッチンで氷の入ったグラスから冷茶を溢れさせていた。
リビングとダイニングはフローリング続きでキッチンに至るまで壁がない。
つまり吹き抜けのワンフロアである。
遮るものがないから、話声など筒抜け。
〈今なんつった?!麻琴?!〉
俺が機能停止になったのだ、真正面で会話をしようとしている雅ちゃんは心肺停止ではなかろうか?
この世に母の子は俺1人だ。
それを熟知している雅ちゃんに『娘になります』とは如何に?!
ダバダバと流れて空になった急須がカタカタと震えて音をならした。
「うん、私、今は田丸っていうの。4年前に結婚したから。だから私は田丸雅、よろしくね」
にへらっと笑って返す姿に震えは止まり、俺は慌てて冷茶を入れ直して雅ちゃんに差し出した。
「ありがとー、留衣君、芽衣に連絡つくかな?私の充電きれちゃったんだ」
「うん、判った。荷物はロフトに上げとこうか?それとも母の部屋?」
「そーだなぁ……芽衣の部屋汚いだろーからロフトで。お願いね」
ニッコリと微笑まれて浮き足立ちながら言われた通りに動いた。
その40分後、母はバタバタと帰宅し、雅ちゃんと感動の再会を果たした。
「雅!」「芽衣ー!!」
「何で約束の場所に居ないの?!探したんだよ!」
「ゴメーン!スマホの電池きれたからショップ探してたら家に着いちゃった」
「……許す」
36歳同士でそのまま『きゃっきゃっ』『うふふ』と跳ねて母の部屋に入って行った。
その姿に俺は終始ニヤけていた。
その側で膨れっ面をしている存在を忘れていた。