第一話 山の踊り子
この世界の職業は神に決めてもらうと言う慣わしがある。子供達は10歳になると教会へ向かい、神から信託を受け、最も向いている職業を知る。信託は必ずしも従わなければならないものではないが、多くの人々が信託に従い職業を決める。
そう、俺が10歳の時に神により伝えられた職業こそが「吟遊詩人」だったのだ。俺の家は小麦を作る農家であり、俺はそこの7人兄弟の末っ子だった。猫の額ほどの土地の相続を放棄して、15歳の時俺は街に向かったのだった。
あれから2年。1年目は金がなく、その日暮らしのアルバイトばかりで冒険どころではなかった。2年目にユーリン達と出会い、本格的な冒険者のようになれたというのに。
町に戻って他のパーティーメンバーを探すという手もあるが、今の俺には力も自信もない。キリングの言う通り、俺は吟遊詩人に向いているのではなく、他の何にも向いていない無能な人間なのだろう。両親に頭を下げて、家の下働きでもさせてもらおう。
そう考えながらとぼとぼと山道を登る。故郷の村までは歩いて2週間ほどだ。5.6個の村が間にあるので食料を買い足しながら帰るつもりだ
「ん?」
風に揺れる木々のざわめきの間から声が聞こえた。立ち止まって耳を澄ますと、人の悲鳴のようだ。この辺りは村同士の間隔も近いので山賊という可能性は低い。
モンスターに誰かが襲われているのかもしれない。俺は声のする方に走り出した。
木々の間を抜け、声のする方へ。段々と声は大きくなる。どうやら若い女性のようで、絹を割くような悲鳴が断続的に聞こえている。
「あ、あれは……!」
声の主の元へたどり着いた俺は体を硬直させた。ゴブリンに襲われる貴婦人でも、スライムに怯える幼女でも、オークに苦戦する女冒険者でもない。
半裸の女の子がぴょんぴょんと跳ね回っているだけだった。
「ニャーーッ! キャーーッ! シャーーッ!」
猿のように悲鳴を上げながら。
15歳くらいの女の子は腰まで届く白い髪を振り乱しながら辺りを駆け回ったり、その場で飛び上がったりしている。それにしても目のやり場に困る福だ。上半身は胸元を隠しただけで、お腹は丸見え。下半身には赤いスカートを履いているが、サイドに切れ込みが入っており、飛び跳ねるたびに淡い色のパンツが見え隠れする。
気狂いだろうか? 黙って立ち去るのが賢明だろう。君子危うきに近寄らず。
と、俺はゆっくりとその場を立ち去ろうとしたのだが、神の悪戯か悪魔の罠か――いや、俺の間抜けか。枯れ枝をぱ切りと踏んでしまったのである。
「!」
飛び跳ねる少女がこちらを向いた。大きな瞳は涙で潤んでいる。一瞬体を硬直させた跡、こちらに走ってきた。
「とってーーー!!! お願い!とって!!! とってよぉ!!!」
ドアノブが大好きな女の子なのだろうか、と思ったが違う。少女はぐるりと後ろを向いた。よく焼けた褐色肌の小さな背中に、真っ黒い物体がくっついている。
「お、ブラックキャタピラーか」
たいそうな名前がついたモンスターだが、要は掌サイズの芋虫だ。見た目のキモさから不人気だが、攻撃力は皆無である。
きもいはきもいが俺も冒険者の端くれ。ブラックキャタピラーの背中を掴み、引き剥がしてやった。そのままぽいっと放り投げる。
「ひぃーーん!!」
引き剥がした後もしきりに身をよじる女の子。まあ、たしかに体にくっついてきたら俺でも嫌だ。
「お嬢さん、今の虫は肌に触れても害はないから大丈夫だぞ」
俺がそう問いかけると、ようやく冷静さを取り戻したのか、女の子は額の汗を拭った。
「あ、ありがとう。助かったわ」
そう言いながらも腕を後ろに回し、ペタペタと背中を確認している。体柔らかいな。
「どっから来たんだ? 近くの村か?」
すると少女は露骨にムッとした顔をした。
「見てわからない? 私、冒険者よ」
「…………」
冒険者には15歳からしかなれない。となれば、この子は15歳以上ということになるが……。そうは見えないな。第一、こんな防御力の低い装備で冒険者とは笑わせる。吟遊詩人の俺ですら皮の鎧を着ているのに。
「冒険者ごっこかな?」
少女はくしゃりと顔を歪ませた。
「本当よ! みてわかるでしょ? 私は【踊り子】なの!」
踊り子! 踊りを舞うことで味方にバフをかけたり、敵にバフをかけたりすることができる。そう、効果としては吟遊詩人と全く同じであり、双璧をなす無能職なのである。さまざまな流派があり、この少女のように奇抜な衣装で舞う派閥もあったはずだ。たしかに、踊り子ならば冒険者だとしても不思議ではない。
「冒険者カードは持っているのか?」
冒険者カードは冒険者ギルドにより発行される身分証明書だ。これがなければ冒険者は村にも入れてもらえないことも多い。
「それは……なくしちゃって」
「はぁ?」
思わず声が出た。冒険者カードを持たない冒険者など山賊と何も変わらない。武器を捨てても冒険者カードだけは手放してはならない、とギルドが言い切ってるほどだ。
「だったらさっさと近くの街に行って再発行してもらったほうが良い。悪用される前にな」
「ん…………」
曖昧な返事だ。本当に冒険者ごっこをしている近くの村の女の子なのかもしれない。
「じゃあ、気をつけろ。道から外れない方が良いぞ。さっきのブラックキャタピラーがまた出るかもしれないから」
そう言葉をかけて、俺は元来た道を戻った。