コロナが突きつけるドラマのフィクションを直視できるか?
ふと、思ったんですけど。
いまは、まだ、ギリ、オーケーだけど。
もし、コロナがこのまま何年も人々に、「うがい消毒手洗いマスク」という生活を強いるなら、たとえば、ワクチン接種しても変種があるからとかいう理由でそういう生活を強いるなら。
いや、むろん、コロナ拡散防止のために、その生活をすることはやぶさかではない、どころではなく、すべきだとは思う。
で、それが、五年後?
十年後?
まぁ、想像したくないけど、二十年後?
「うがい消毒手洗いマスク」
を続けていたとする。
あ、ただの仮定。
ただ、そのとき、ありとあらゆる物語は、フィクションになる。
むろんいまも、ありとあらゆる物語は、フィクションなんだけどね。
そんな意味じゃなく、テレビに出てるタレントとかを除いて、あらゆる人がマスクをつけているいまみたいな日常が延々と続くとしたら、あらゆる物語(テレビドラマ、映画、マンガ、アニメ、果ては小説にいたるまで)に出てくる人は、マスクをつけていない時点で、ありえない存在だということになる。
ちゃんと見てないけど、去年か今年のテレビドラマで、そこをわざと踏まえてマスクをつけた人を普通に描こうとしたのがあったと思うのだか、ごめん、本当に見てないので、なにも言えない。
で、それでもそういうマスクのないというフィクションの中で、物語は作られ続けるのだろうか?
むろんそんな心配のまえに、ワクチン接種が功をそうして、コロナがいまのインフルエンザみたいな扱いになってくれたら、問題ないんだろうけど。
あ、インフルエンザといえば、まえにもどこかで書いたけど、令和二年度のインフルエンザの罹患率の異常なこと。
妄想を膨らませますとですね、コロナと診断された方々のなかにですね、インフルエンザ患者の方も含まれていたのではないか、と。
という、疑問。
ふと、おもっただけで、なんのオチも結論もない、とりとめのない文章で、あいすみませぬ。