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『皇子、独白:裏切りの予兆から目を背けた果て(2)』


「……なんだ、それは」

「お目汚し、失礼しますね、皇子様」


聖女の右手は火傷で爛れたように引きつり、じゅくじゅくとした黄色の膿にまみれていた。


それがオレの顔に近づけられると強烈な臭いが鼻をつく。


発酵と腐乱が入り混じったかのような悪臭だった。


「ぐ……」

「そんなに眉をしかめないでいただけますか? 女心は繊細ですので」


そんな事を言いながら、聖女がその手をオレの顔におしつけた瞬間。


「ぐああああ!」


味わった事のない痛み、まるで顔の皮を熱したコテではぎ取られるような熱さにオレの全身が痙攣した。


すぐに、パキュ、と何かが潰れる音がした。


聖女の小さな手で覆われたオレの左目が、自分でもわかるほどの音を立てて潰れたのだ。


眼球が含んでいた水分なのか、涙なのか、それとも血なのか、左目があった場所から流れ出す。


残った右目で聖女を見る。


とてもとても嬉しそうな顔で、オレの顔をその腐った左手で撫で続ける。


そのたびにオレの顔が崩れ、痛みが走る。


耐えるなどと一瞬でも思えない激痛に、オレは大声で悲鳴をあげた。


「痛い痛い、いたぁぃいいい!」


声をあげれば、わずかなりとも痛みが和らぐ気がして、オレは力の限り叫んだ。


ひたすらに、痛い、痛い、と。


「あらあら。あんなに凛々しかった皇子様が、こんなにみっともなく喚き散らすなんて」


聖女が侮蔑したようなセリフを吐く。


だが何を言われても耐えられる痛みなどではなかった。


子供のように、声が枯れるほどに、痛い痛いと叫ぶしかできない。


そんな気が狂いそうになる痛みの中で、聖女の手をオレの顔からひきはがすようにその肩を兄貴がつかんだ。


「もういいだろう」

「……弟思いの優しいお兄様です事」


兄貴が聖女の胸倉をつかむ。


長躯の兄貴が小柄な聖女にそんな事をすれば、まるで首を絞めているかのような状態になる。


「次にふざけた言葉を吐いたら、ただではすまさんぞ」

「ゲホッ! わ、私がいなければ教会から背信の念ありと疑われますよ? 貴方はもはや第一皇子の親友ではなく、第二皇子に寝返った裏切り者なんですから! お立場をわきまえてくださいますかっ!?」

「……チッ」


忌々しそうに聖女を放り投げ、オレを地に残したまま兄貴が歩き始める。


「行くぞ」

「……ええ、凱旋ですね」


聖女も後に続き、その言葉を兄貴が訂正した。


「帰還だ」

「確かに。主人たる第一皇子を失って、凱旋、はいただけませんものね」

「言葉を慎めと言ったぞ!」

「……ぐっ」


さほど力の入っていない平手打ちをほほに受けた聖女が倒れ込む。


それでも剛腕の男が殴り付ければ、女の唇など簡単に裂ける。


「ふふ、うふふ」


倒れ込んだ聖女は口の端から流れる血を、元のように手袋をはめ直した手で笑いながらぬぐう。


「何がおかしい。気でも狂ったか?」

「これだけの無礼を働いて、この程度のお咎めしか受けないという事がおかしくて。そんなに第二皇子が怖い? 教会が怖い? 第一皇子が第二皇子に負ける前に鞍替えしてしまうほど、今のお立場と権力を失うのが怖かった?」

「……貴様……たまたま教会に拾い上げられた野良犬が!」


兄貴が剣に手をかけたが、逡巡の表情を一瞬だけ見せて歩き始めた。


「次は本当にない」


一切の表情をなくして言い放った兄貴に、聖女はさすがに頭を下げた。


「ふふ、野良犬が少しじゃれだだけです、お許しを。では戻りましょう。あ、階下の宝物庫で少々お時間を頂いても? さきほどは荷物になると言われて持ち出せなかった物を少しでも回収したいので」

「あさましいな」

「上が頼りないせいで今日の食にも困り果てる下々がいるんですよ?」

「……好きにしろ」


そう言うと、二人は来た時のように下へと向かう階段へ歩き出す。


足を貫かれ、顔を焼かれたオレを一度として振り返る事なく。


ただ、残された言葉の節々からわかった事は。


「弟が……仕組んだ罠、か」


この討伐作戦そのものが、第二皇子の計画だったという事だ。


兄同然である聖騎士を取り込み、味方であったと思っていた教皇も裏では弟に鞍替えしいた。


思えば作戦のほとんどは教会の、あの老司教の段取りだった。


あの老司教も当然、第二皇子とつながっているのだろうが、オレが見る限り弟はあの老司教を嫌っていたようだった。


だが、あれも演技だったというわけだ。


オレは誰一人として味方がいない中で、こんな道化を演じていたわけか。


「ぐぐ……」


足の痛みはまだある。


それはいい、まだ生きている証拠だ。


逆に顔の痛みはない。


しかし自分の顔が崩れ落ちていく感触があり、痛覚すらも腐り落ちたのだろう。


己の顔が腐っていくその腐敗臭で鼻もバカになったのか、臭いも感じなくなった。


残された片目の視界はうつぶせで倒れたため、艶やかな床が見えるだけだ。


せめて空を見て、と思ったが体に力も入らない。


オレはこのままここで果てる。


国を割らない為にも、第一皇子たる自分が早く王になるべきと思って起こした行動は……。


とうの昔に周りに次代の王と認められていた弟が、玉座に座る為の段取りの一つでしかなかったのだ。


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