『魔王塔、四階。黒衣の死神(4)』
仕方ない。
万が一の為と、ディードリッヒに持たされていたコレを使う時が来たか。
オレは懐から香水を入れてシュッシュッする道具を取り出す。
正式名称は知らないが、蒼く透き通ったガラスのようなものでできた容器は美術品のごとくだ。
「あら? 魔王さま。香水なんてつけていらっしゃった?」
「あまり香りのしないものですか?」
さすが女性はこういうものに目ざとい。
興味をひかれたように反応するシンルゥとサキちゃん。
スケさんは、はて、このような状況でなぜそんなものを? と首をかしげている。
状況的にはそっちが正解だよね。
「香水じゃないよ。サキちゃん、姿を消したままアッチに移動してくれ。みんなも隠形の範囲外にでないようについてきてくれ」
オレ達は消えたまま妖精の方へと移動する。
「ど、どうしよ、どうしよ」
オロオロしながらホバリングしている妖精に近づき、その薄桃色の髪の頭をツンツンする。
「ひゃ……あ? あ、あ、そうだわ」
キョロキョロとしつつも、見えないオレ達に向かってうなずく妖精。
これはあらかじめ妖精と打ち合わせていた合図。
皇子たちに何かしら予定外のトラブルで満身創痍になった時の為、用意しておいた回復手段を使う時だと気づいたらしい。
妖精は打ち合わせ通り、控えていたメイドの方へと飛んでいく。
床に伏したままの皇子たちがそれに気づくこともない。
「立て、若者よ! 剣をとり、未来をつかめ!」
這いつくばってなお、キューさんの激励音頭を怒りの眼差しでにらんでいる。
まー、煽っているようにしか見えないからね。
煽ってる当人がこの場で一番必死なんだけど。
メイドさんはしっかりと状況を把握しており、さっき注いでいたワインのボトルを、皇子たちに見えないように妖精に手渡す。
が。
「お、おもっ」
ゴトン、と妖精が落としてしまう。
量がまだそこそこ残っていたため、取り落としてしまう。
メイドさんがさっと拾い上げると、すぐにコルクを抜き床にこぼして軽くし、あらためて妖精に手渡す。
物音に気付いた皇子たちがうめきながら首を向けると、今まさにメイドさんからワインを奪ったかのように見える妖精の姿があった。
コルクを抜いたままのワインボトルを持った妖精は、地に伏せる皇子たちへ向かっていく。
そしてその中身をまき散らした。
「な、なにを?」
とまどう皇子。
それもそうだろう。
このままではただワインをぶちまけられただけだ。
「行くよ、サキちゃん!」
「はい」
オレはやや小走りになって皇子たちの近くでしゃがみこみ、香水のアレっぽいものをシュッシュッと吹きかける。
するとどうだろうか。
「な、こ、これは!?」
血色を失っていた皇子に、明らかに活力が満ちる。
次いで聖騎士、聖女にも同様にシュッシュッとやっていく。
「力がみなぎる……」
「魔力が、底をついていた魔力が!」
すぐに立ち上がった皇子たちは、妖精の抱えていたワインボトルを見る。
「これが『黒衣の死神』の力の源よ! もう全部使っちゃったんだから!」
よし。
さすがエリクサー。
今オレがシュッシュッした液体は、老司教からまわしてもらったエリクサーだ。
容器も例の教会秘伝の容器を改造し、霧吹きのごとく細工してもらったものだ。
合わせてお値段、なんと指二本。
だからわかんねーって。
お支払いはディードリッヒです。
毎度毎度、お世話になります。
「……ああ! しまった、なんという事だ!」
たちまち全快した皇子たちを見てキューさんがオレの介入に気付いたらしい。
大仰に、しまったー! 妖精めー! と棒読みしつつも、あちこちに向かって……多分、オレに向かって、頭を下げていた。
やめろ、バレる。
全方向にひとしきり頭を下げ終えたキューさんが、ようやく演技に戻る。
「ふむ。メイドの隙をついて神霊酒を盗み出すとはな。手癖の悪いレディだ」
「……え、ご、ごめ、ごめんなさ……」
キューさんのアドリブのセリフを受け、演技だというのに真に受けてしまう妖精。
しょんぼりしながら謝り始めたのを見て、慌てたキューさんが言い直す。
「いやいや、お見事だとも! 不甲斐ない人間たちに気を取られていた、私の千載一遇の隙をついた見事な活躍だ!」
「え……あ……ふふん! そうよ! 勇者たち! まだ勝負はついてないわ!」
皇子たちも体の調子を確認して、すぐに妖精を守るように陣形を整える。
「ありがとう、おかげでまだ戦える!」
「奇跡を起こす妖精か。まるで伝承のようだ」
「――、――……――!」
前衛は完全に回復したようだ。
聖女もすでに何かしら唱えている。
「サキちゃん。また戦闘が始まるから、さっきみたいに皇子の背後に回って離れて見ていよう」
「は、はい」
そうしてオレ達はのっそのっそと移動を始める。
皇子達の背後に回り込み、絶対に視界に入らない事を確認して後。
「サキちゃん。隠形の範囲ってどのあたりまで?」
「私からだいたい十歩くらいの円形です」
「よし。じゃ、そこ動かないでね」
「え、あ、はい?」
一歩、二歩、三歩とサキちゃんから離れていく。
そして。
「十……十一、と」
オレが十一歩目を踏み出した瞬間、キューさんと目が合った。
完全にこちらを視認している。
「……」
「……」
オレはキューさんに対して、人差し指を差し向ける。
二度目はないぞ、と。




