『時を経て、再び玉座にて(2)』
その夜、王城ではささやかながら宴が催された。
戦いへ挑む前夜のため盛大にというほどではないが、豪勢なメニューが並んでいる。
主役であるバランタイン皇子を囲むのは階位の高い貴族たちだ。
第一皇子派と呼ばれる、この国では主流の者たちである。
同行する聖騎士や、その親族も当然ながら第一皇子派だ。
大国であるがゆえ、大小あれど派閥は多く、それらの関係も複雑に入り組んでいる。
しかし共通するのは、この派閥に与すれば将来は安定であり、逆にその派閥に敵対する事は自殺行為にほかならない。
たった一つの派閥を除いて。
「兄上、どうかお気をつけて」
金髪。
第一皇子バランタインと同じ色の髪を持つその少年は顔立ちも瓜二つであった。
この国の者であれば、二人の皇子が鏡写しのごとき酷似した双子である事はだれでも知っている。
しかし誰一人として、見間違う事はない。
第二皇子の瞳の色である。
左目は同じく碧眼。
だが、その右目は血のごとく紅いのだ。
この異様さは、王の血筋でなければ呪いだのなんだと騒ぎ立てられるほど異常であったかもしれない。
だが、第一皇子派が攻撃材料の一つとするほどであるには違いないのだが……それでも紅い瞳を持つ彼の背後にも、多く貴族がつき従っている。
第二皇子派閥である。
「ああ。もしオレが戻らなかったら後は頼むぞ」
「勿論です……が、ボクが整えるのは兄上の凱旋を祝う宴の準備です」
バランタインが笑い、第二皇子も笑う。
そして誰もが知っている。
この二人が決して笑っていないという事を。
同じ朝日を浴びて生まれ、姿を同じくして育った二人。
しかし、どちらが先に産湯を浸かったかどうか、その違いだけが二人の人生を決定づけた。
神はそれに追い打ちをかける。
剣や魔法といった才能に恵まれたバランタインであったが、第二皇子は人心をつかむ才能を見せていた。
王という統治者として、どちらの才がその地位ににふさわしいか。
様々な意見はあるだろうが、平時である今においては、第二皇子を擁する声が大きくなっていた。
バランタインは弟と比べられていた。
わずか先に生まれ、剣と魔法のという戦いの才しかないのに後継者として認められている皇子と陰で嘲られる。
第二皇子もまた、周囲により悔やまれる。
わずか後に生まれただけで、自分より王としての才覚が低い兄に従うしかないのだと。
紅い瞳などという異形に生まれ、なお才覚を見せる賢者であるのに、と。
二人の皇子に罪はない。
咎められるべきは、欲にまみれ、私利私欲の為、世間を知らぬ双子にそう囁いて派閥を作った大人たちだろう。
「兄弟愛というものは美しいですな」
そんな二人の会話の中に、割って入ったのは豪奢な僧衣をまとった老人である。
皇子同士の会話のさなかに話しかける者であれば、無論、ただの老人ではない。
「教皇様」
二人の皇子が頭を下げる。
バランタイン皇子の取り巻き達がうすら笑いを浮かべ、一方で第二皇子の背に控える者たちが苦虫をかみつぶしたような顔になる。
「バランタイン皇子。此度の聖戦。誠に苦難でありましょう。戦乙女のご加護がありますように」
教皇は左手で胸にさげた聖印を握り、右手をバランタインの頭にそっと置く。
「我が国の宝、皇子バランタイン。そなたに戦女神の祝福があらん事を」
教皇みずから祝福を施す。
教会勢力が第一皇子派である事が明白だ。
第二皇子派にとっては最大の敵であると同時に、国を治める、つまり民を治めるには教会派は必ず味方につけねばならない存在でもある。
よって第二皇子も教皇に対しては、常に言葉と態度を選んで接している。
「教皇様。お体の具合はいかがですか? 先日、ボクがお届けした薬湯はいかがだったでしょうか?」
「お気遣い、まことに有難く。咳病に苦しむ多くの信者が笑顔を取り戻したと報がございました。まさに信心深き贈り物にございました」
言葉の中には礼儀としての感謝があるが、その笑顔はバランタインに対するものとは違って張り付けたようなものだ。
「……それは良かった。ではまたお届けしましょう」
「ありがたく。教会に助けを求める無辜の民の助けになりましょう」
事あるごとに教皇に贈り物などをしている第二皇子であるが、いまいち手ごたえはない。
老齢にさしかかった教皇であれば、体の不調もあるだろうと、そういった類のものを探して手配しているのだが。
どれほど効能のある薬草の類を送っても、自身が使った様子は一度もない。
それというのも急に頭角をあらわしていきた一人の老司教の存在がある。
かつてエリクサーを精製するための神霊草、またの名をマンドラゴラを見つけ出し、今も定期的に教会に供しているという。
その出どころは教皇にも明かしておらず、あろうことか栽培しているのでは? という荒唐無稽な噂まで出ている。
あらゆる植物学者や魔導士、錬金術師などが今も手がかりすらつかめない、マンドラゴラの栽培。
それを当時は田舎の司祭だった老人が、たった一人で為すなどありえない話だ。
……ありえない話だが、実際に教会にはエリクサーの蓄えが増えているという。
教皇も老いによって発症していた病があったが、いつの間にか完治しているのだ。
「このような所におられましたか」
第二皇子は、背後からゆっくりと近づいてくる足音に気付く。
その足音の主こそ、渦中の人物であった。
「教皇。王がすでに礼拝堂でお待ちですぞ」
神霊草を教会にもたらした老司教がうやうやしく、頭を下げて教皇に伝える。
この老司教が本教会に顔を出すようになってから全てが変わった。
「そうか。あとは任せる」
「御意に」
権威の象徴である教皇の豪奢な僧衣の背中に、深く頭を下げたまま送り出した老司教。
だが彼自身の僧衣は実に地味、むしろ粗末とすら言えるほどだ。
元は白かったであろう、だが今やくすんだ灰色の僧衣には飾りも刺繍もない。
ただ胸に下げられた聖印だけが輝いている。
僧衣と並んで聖者の象徴と言われる杖も宝石をちりばめた金杖でなどではなく、使い古されて薄汚れた白木の杖だ。
「さて。ご兄弟の語らいもたいへん麗しいものですが、この老骨めにもしばしお時間を頂けますかな。バランタイン皇子?」
「わかった」
老司教はバランタインにのみ視線を合わせる。
第二皇子には言葉どころか、一切の視線すら向けない。
教皇が建前でも両皇子には言葉をかけなければいけない立場であるのに対し、老司教のこの態度は教会が明確な第一皇子派である事を示唆していた。
「左様ですか。ではボクは失礼いたします。司教様にもどうぞ神のご加護があらん事を」
第二皇子は教会の者であれば、返さざるをえない言葉を吐きかけながら老司教をにらみつける。
神のご加護をと言われれば、その相手に対しても加護があるように、と返すべきである。
だが、それですら。
「ここは少々、風が濁っておりますな。バルコニーにでもお付き合い願えますか?」
「……わかった」
バランタインにしてすらこうまで邪険に扱う事を躊躇するのだが、老司教はすでに白木の杖をついてバルコニーへと向かっている。
終始、第二皇子がそこにいる事すら感じさせないような態度であった。




