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『司祭、独白:百人を救えなかった男の信仰(2)』


教皇との謁見を終えた大聖堂から自分に与えられた部屋へ戻る最中、老司教は考え、つぶやく。


「土の魔人。ツッチーなる者。アレとは騙し討ちができる程度には、友誼を結んだと言ってよいのか」


協力関係となっても、さりとて魔王。


もとより老司教は魔人を信用していないし、好機と見れば自分の命と引き換えにでもその首を討ちとる気である。


だが、神霊草、マンドラゴラとも呼ばれるそれの群生など初めてだし、あれが育った理由が魔王が島にいる影響ではないとも言い難い。


一株で一瓶しか精製できないエリクサーは、希釈して使えばポーションやハイポーションとしても多く精製できる。


そのままエリクサーとして使えば、治らぬ病も、癒えない傷もないと言われている。


もし今後もマンドラゴラが安定して供給されれば、多くの命が救えるだろう。


そう。


今までとは比べものにならないほど多くの命と、救いようがないほどの病やケガを負った者ですら容易に救えるのだ。


しかしそれは魔王の力を借りる救いだ。


これまで手の届かなかった、救えなかった命への後悔と懺悔としての言い訳である『救われるべきではなかった命』すら救えるほどの力を、よりにもよって魔人がもたらした。


これを良しとすれば、これまでの自分との折り合いがつかなくなる。


これまでの自分は手段を選ぶために、救う命と救わぬ命を選別していたという事実を認める事になる。


「誰かを救わぬ罪があるとすれば、これが罰か。神はあまりにも残酷ではなかろうかの」


司教は救わなかったわけではない。


全てを救えなかっただけで、多くの者たちを救っている。


だがどれほど多くの命、たとえ万を救っていても、手の届かなかった百への後悔は今も消える事がない。


救えなかったのではなく、別の命を選んだから、救わなかった命があるのだ。


それを認めたくないがゆえに、自分で自分を騙せるだけの言い訳を編み上げ、いつしかそれが真実だと思うようになっていた。


誰かを救えない自分が許せない、けれどそれは神が救うと認めなかったゆえに仕方のない事なのだと。


そしていつしかこう信じるようになった。


神は救うべき命を見通すゆえ、自分はそれに従うのみである、と。


それが今の老司教の信仰だった。


だがどうだ。


島で手にするマンドラゴラがあれば、その命が救えるのだ。


断じて認められないその事実は、老司教の信仰を試す。


いや、過去の自分を容赦なく断罪にかかる。


老司教は教皇との謁見を終え、大きな権力を得た後、本教会に与えられた豪奢な自室で苦しみあがく。


誰かを騙す事も誰かから奪う事も、誰かを救うためならと一切の躊躇もなかった。


「むう……」


だというのに。


これから多くを救えるという事に、大きな恐怖を覚える。


これから救う命は神の慈悲によるものではない。


魔王がもたらす、神霊草の力なのだから。


勇者の言葉が思い出される。


百を救えない者。


それが自分だ。


千を救っても、万に手を差し伸べても。


百は救えない。


いや、救わなかった、あるいは救えなかったのが自分だ。


しかし今ならば。


老司教は夕食の後、神が祀られる本教会の豪奢な祭壇にてその聖印の前にひざまずき瞑目する。


本教会に詰める奉仕者たちに命じて、誰も入れないようにと厳命した。


教皇の覚えもめでたく、司教となった彼の言葉に奉仕者たちは従う。


彼らもまた上位の者たちの政戦に巻き込まれ、つくべき者への嗅覚も敏感である。


そんな彼らが緊張した顔で従うあたり、老司教は自分の地位も安泰であろうなと苦笑する。


「さて、神よ」


多くのキャンドルがともされた祭壇で、ただ一人。


長い時間、過去の自分と戦うように、贖うように、慰めるように、様々な想いをもって。


神の前で許しを請うた。


魔王と手をとった事への許し。


救えなかった百も救いたかったという驕り。


神よ、神よ、と。


そしてようやくまぶたを開けて、最後の許しを請う。


しっかりと瞳を神へと向ける。


それまでにあった昨日への後悔の色など微塵もなくなり、明日への信念を抱いた強い瞳で、最後の許しを請う。


「神よ。今宵にてお別れです。この老骨は魔王の信徒となり、千を救い、万を救い――百を救いましょうぞ」


首からかけていた聖印を握りしめる老司教は、けれどそれを外す事はない。


「とはいえ、世の中というのは世知辛いものでしてな? これまでのご奉公の報酬と言えば俗ではありますが……表向きは今後とも敬虔な司教として振舞いますので、どうぞよしなに」


ふっきれた老司教は、老獪な顔で笑う。


利用できるは何でも利用する。今までもそうだったように、これからもそうである事に躊躇いはない。


それが今まで崇めていた神であろうとも、だ。


これが年若い聖者であれば、見切りをつけた信仰とともに聖印を投げ捨てるくらいはしたかもしれない。


そうでないからこそ、この老人は今や司教までのぼりつめたのだ。


「さてさて。勇者殿には借りもできた」


百を救えぬ者、そう呼ばれなければ、こうはならなかったかもしれない。


もっとも勇者は自分を嘲笑する意味で言ったものだろうし、感謝されるとも思ってはいないだろう。


だがそれはそれ、これはこれだ。


目上の者として、ひねくれた若者の言動は優しく見守るべきだろう。


そのひねくれた原因が教会にもあるのだとしたら、なおの事だ。


「勇者殿の育った孤児院。ワシも気になる点がないでもない。調べておくか」


老司教は立ち上がり、祭壇に置かれていたベルを手にとり鳴らす。


扉の前で控えていたであろう奉仕者がすぐにやってくる。


「すまんの。少々頼まれてくれるか」


老司教は奉仕者にとある孤児院の現状とそれまでの経緯を調べるように命じる。


また孤児院であれば、管理していたであろうシスターもいたはずだ。


あわせてその行方もたどるように命じた。


奉仕者は司教ともあろう者が、潰れた孤児院や一介のシスターを気に掛ける事に違和感を覚えつつも、それを顔に出す事なくうやうやしくうなずいた。


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