『ツッチー、大地に立ってから十二年後。教会からの視客(4)』
「うーん」
「さて、何を悩まれる? 隠れ島の魔人殿」
司祭はオレという存在を知った以上、何もしないわけにはいかないと言っている。
しかし、もともとはサボタージュを決め込んでいたのだ。
そこをウチの細目ポニーテール美女がさらってきたわけだし、取り入る余地はありそうだ。
「貴方をなんとか味方に引き込めないかと思いまして」
「それは無理なお話。この心の臓を止め、グールにでもして従わせるのであればともかく」
老司祭の言葉にシンルゥがピクリと反応した。
……?
なんか気になる事でもあったか?
「いいアイデアですね。ただ生憎とそういう器用な事はできないので」
ネクロマンサー系魔王とか、いかにも魔王ってカンジでカッコいい。
けど、残念。
ここにいるのは土いじり系魔王です。
「……嘘がうまいのか下手なのか。いやいや善人かと思っておったが、交渉相手としてはなかなか手強そうな御仁じゃな」
「?」
なんかよくわからんが老司祭が面白そうに笑っている。
しかしどうしたものか。
もうなんか色々とバレてるし、いっそ本人に聞くか。
「味方とまでは言いませんから……買収とかされてみませんか?」
「それをワシに聞くという発想が面白いですな。ふむ、金ですか」
ちょっと悩んでいる老司祭。
「あればあったただけ困るものでもなし。だが得る方法にもよる。信徒からの寄付であればともかく、賄賂はいらん。せめてワシはこれ以上、他の色に染まる事を良しとせん」
それまで曖昧で柔らかい口調だったが、今回はハッキリとした拒絶。
ちょっと突っ込んでみよう。
「……お金はお金では? 教会や孤児院を立てる資金に善悪もないでしょう?」
「あるさ。あらねばならんのだよ」
まるで自分に言い聞かせるように、しかし老司祭は断言した。
「仮に……悪いお金を使えば救われる子供がいるとしても?」
「そうだな。それはもはや救いではない。少なくとも神がもたらす救いとは別のものであり、神に救われるべき子供ではなかったという事だろう」
バキン、と音がした。
シンルゥが老司祭の座っている土製イスの背もたれを握り壊した音だった。
「失礼」
パンパンと手を打ち払い土埃を払ったシンルゥは、いつものように笑っていた。
オレはそれを咎める事をせず、老司祭へ問い続ける。
「救える子供を救わない。それは見殺しにすると同じでは? 貴方が独力で救う事もできるはずでは?」
もし自分が司祭という立場でこんな事を言われたら言い返せない、そんなセリフを投げつけてみる。
「いずれすべての子は神の御許へ帰るが運命。産声を上げた夜であろうと、ワシのように皺だらけになってからであろうと人は死ぬ。早いか遅いか、それだけの差じゃ」
達観、ではない。
諦観したように、皺だらけの顔を笑顔にゆがめる。
「神を崇めど神ではなき人の身が我ら聖職者。ゆえにせめてその死のすべてを悼む。病床に伏せる者への愛、路上で凍える者への愛、親を知らぬ孤児への愛。救わねばならぬ者の多さに比べ、教会の手はまったく足りぬのだ。それは、ただ金があれば良いというものでもなし。されど、神の下僕たる我々がお役目をほうって個々人で勝手に動けばよいというものでもなし。この真理、おわかりか? お若い魔王殿」
いびつに笑う老司祭。
けれど笑ってはいなかった。
本心ではないとわかるほどに、老司祭は怒りをこらえての震えた笑顔だったからだ。
この老司祭は、いわゆる悪い金を使うことが本意でなくとも、そうする事でまた救われる命が多くある事を知っている。
しかし、誰も彼もが勝手なふるまいで自分が思う善行と正義を振りかざせば、相いれない善意が交わった時、互いにとってはそれは善ではなく悪となり、争いがおこる。
それよりも教会という大きな組織の中で定められた大きな善を維持した方が、結果的に多くの救いを差し伸べられるという真理をとったのだろう。
「真理、ですか」
「これを真理といわずなんと言うかね?」
個人の救いと、組織だった援助。
どちらがより大きな助けとなるかは明白だ。
この世の真理と言われれば、そうなのかもしれない。
「……ぬけぬけと」
小さく漏らす声の主はシンルゥだ。
彼女が老司祭のイスを壊してしまったのは、老司祭の言葉への怒りからだろう。
だがもし背後に立っておらず、老司祭の顔を見ていたのならばあんな事はしなかったと思う。
しかし、シンルゥにも色々あったのだろうし、どちらが正しいとかそういうものでもない。
それぞれの過去があり、それぞれの身が置かれた今という現実がある、というだけだ。
教会が病院代わりという事も今の話からうかがえた。
奉仕や福祉の一面も担っているのだろう。
膨大な信徒がいれば、それをまかなう多額の予算にも困っていないのかも知れない。
しかし、それを為す人手と、それらが勝手に動かないように管理する者の数が足りていないとも語っていた。
彼自身ある程度の私財はあるのだろう。
だが個々人が勝手な判断で施しをすれば、贔屓や差別、妬みや嫉みも生まれる。
それはいずれ、組織力によって救えたはずの人をも救えなくなる。
どちらがより多く救えるか?
その究極の果ての問いに老司祭が出した結果が今の立ち居振る舞いなのだろう。
ならば確かに老司祭に金を与え、その金で誰かを救えるだろうといっても買収できるはずもない。
「……難儀ですね」
「生きにくい世ではあるのう」
オレが老司祭の心情を理解したと察したのだろう。
老司祭は、怒りと凄みの中に浮かべていた笑顔を、それまでの普通の笑顔に戻してため息をついた。
「では次善の策として……脅迫されてみませんか? 老司祭様は脅迫されて、仕方なく身動きがとれなくなったという事になりません? ウチの領主、脅迫が得意なんですよ」
「魔王様、それは語弊がございます!」
外野は無視して聞いてみる。
「ふぅむ。脅迫された事も多々ありますがな。脅迫しようとする相手に脅迫が効くかと問われる事も初めてです」
「ずいぶんと刺激のある人生を送ってらっしゃるようで……」
面白そうに笑う老司祭。
笑う所ではないと思う。
「さて、あらためて脅迫と言われても、今更惜しむ命でもなし。今日明日にも神の御許に帰る……とは言いませんが、棺桶屋にはそろそろ挨拶に行っておこうと考えておる次第ですからな。脅迫は難しいかと思いますぞ」
やっぱりいい返事はかえってこないか。
「そうですかぁ」
「そうですなぁ」
買収もダメ、脅迫もダメ、か。
「けど、このままお帰しすると、やっぱり教会に言いつけちゃいますよね、オレの事」
「港町を救ったモノがこの島で採れる果実であり、ここで醸成している果実酒という事も存じておりますので、そちらも合わせての報告となりますな。ちなみにワシが戻らなくば教会本部にそれらを記した手紙を送るように手配しております。それは教会の者ではないので、今から探って止める事は無理と思って頂きたい」
なかなかに用心深い。
そう言われると帰す事もできないし、帰さない事もできない。
「……困りました。なんとかなりませんか?」
「残念ながらどうにもなりません。ワシを生かすも殺すもこの隠し島の秘密が露呈するのは必定。せいぜい憂さ晴らしにこの年寄りの首をひねる事ぐらいしかご提案できませんな」
いびつに笑う老司祭。
笑えない冗談……冗談じゃないんだろうな。
その表情には決して変わらぬ信念のようなものも見て取れるのだから。




