『ツッチー、大地に立ってから九年後。勇者の来訪(4)』
今、オレの前でひざまずき、深々と頭を下げたのは若く美しい女性だった。
「全て魔王様のお望み通りにいたしますわ」
言葉とともにポニーテールが揺れた。
明るい橙色、いや、杏子色と言うべきだろうか。
そして長いまつげを伏せたまま、オレの言葉を待っている。
「……じゃあ、そういう事で。詳しい打ち合わせはそこの二人とやってもらえるかな」
オレはもう一度、マジマジと目の前の女性を見つめてこう呼んだ。
「――勇者さん」
と。
「承知いたしました。ああ、申し遅れました。私、名をシンルゥと申します。親しい者はルゥと呼びます、どうぞ良くしてくださいませ」
親しくはないよなぁ。
初対面だ。
「わかった。シンルゥさん」
「ふふ、つれない御方ですわね。ではせめて呼び捨てていただれば、と」
こんなやりとり、前も二回ほどあったな。
堂々巡りの押し問答になる予感がしたので、オレは素直に従う。
「シンルゥ、こちらこそよろしく」
そう言うと、にっこりと微笑みを深くしてオレに頭を下げるシンルゥ。
「ディードリッヒさん、領主様。これまでの事は互いに水に流し、これからは一蓮托生という事で。どうぞ良くしてくださいね」
シンルゥが顔を上げて、微笑みとともに二人に頭を下げる。
対して我らが悪人二人組の顔は実に渋い。
苦虫をダースでかみ砕いたかのような顔である。
「ちょっと! アタシはさっきの事、忘れてないからね!」
一方で、さきほどシンルゥに麻痺させられた妖精はおかんむりである。
アレはオレもかなり焦った。
「ごめんなさいね。まさか魔王様の大事な方だとはつゆ知らず」
シンルゥが妖精にも頭を下げる。
「だ、大事な方?」
真っ赤になって怒っていた妖精が、顔をさらに赤くして表情を和らげる。
オレの大事な方と言われて嬉しいんだろう。
……これまで妖精と一緒に過ごしてきてわかった事だが、彼女は仲間や家族というものに対して憧憬のようなものを持っていると思う。
ディードリッヒや領主などに対しても最初は用心していたというのに、打ち解けてしまえば態度や口調は不遜であろうとがんばるが、とても仲よくしようとする。
打ち解けるまでが気難しい、というのであればその反動でとも言えるが、これまでの経緯からそれもない。
というか、ワリとチョロい部類だ。
詐欺にでもあえばコロっといくだろう。
妖精は人間に害されているという話から、もう少し用心深さがあってもいいはずだ。
しかし彼女はそうではない。
いや用心しようという姿勢はあるが、それよりも欲しているのではないか?
他人からの愛情、またはそれに類するものを。
妖精はオレと出会うまでそういった情の中にいなかったんじゃないか、とも推測してしまう。
口減らしがどうこうという話題もあがった記憶があるから、深くは聞きはしない。
いつか妖精が自分から話してくれるのであれば、最初に家族になった者として真摯に向き合うつもりだ。
だから、シンルゥが妖精に危害を加えたという事実において、はオレはうやむやにする気はない。
いくら殺傷能力のない痺れ薬であり、結果としてケガがなかったとしてもだ。
「そうだな。シンルゥ。君は知らずとはいえ、オレの大事な家族に手を出した。ペナルティは負ってもらう」
「ぺ、ぺな? ……はい。いかようなご処分であろうとお受けする所存ですわ」
厳しいかもしれないが、今後の為にもケジメはつけなければならない。
「……ね、ねぇ、ツッチー? こうして反省してるし、あんまりひどい罰はやめてあげてね?」
さっきまでプリプリ怒っていたというのに。
なんというチョロさであろうか。
だが妖精にも今後の為に、少々注意しておかねばならない。
「いや、そもそもね? オレたちの家を使ってディードリッヒたちが勇者と交渉するから、夕方からは別の場所にいるようにって言ったろ?」
「あ、うん。そのつもりだったんだけど、ちょっとお昼に食べ過ぎちゃって。そのまま寝ちゃったの……」
妖精がだんだんと声を小さくしていって、しゅんとしてしまう。
「ま、過ぎた事は仕方ない。二人はオレたちの為に色々とがんばってくれてるんだから、今度から邪魔しないように気を付けような?」
「う、うん! 二人とも、ごめんね?」
笑顔に戻った妖精がオレの肩まで飛んでくる。
そうしてディードリッヒに謝ると、ダークエルフのイケメンはいつものごとく微笑んで頭を下げるのみだ。
領主も同じく微笑んで頭を下げる。
本当にいい保護者に出会えたものだ。
オレだけじゃこうはいかない。
それはそれとして、シンルゥへのペナルティは例のアレである。
「今、アレ持ってるかな?」
「はっ」
領主に目配せすると、察しのいい彼はすぐにうなずく。
「では、一枚差し上げて……ああ、そっちじゃなくてさ」
オレは領主が懐から赤いカードを取り出したのを見て、手でおさえる。
そうするとしぶしぶという顔で黄色のカードを取り出す。
「勇者よ。魔王様より、これを賜りたまえ」
「はい……ええと、これは?」
領主がシンルゥにイエローカードを手渡す。
表にも裏にも何も書かれてない。
そんなもの急に渡されても混乱するわな。
領主がコホンと咳払いをして説明を加えた。
「こちらは寛大な魔王様のお慈悲、その一度目。もし万が一にも三枚目を賜った際には、魔王様のお言葉曰く、退場、となる。ゆめゆめ忘れる事なきようにな」
「……退場、ですか。肝に銘じます」
領主が、退場、という言葉を強調し、含ませるように厳しい表情で告げる。
勇者もまた、その迂遠な言葉に込められた意味を察して、居住まいを改めた。
うーむ。
実に便利なアイテムを考案してしまった。
オレはイエローカードが三枚になろうが、三十枚になろうが何か処罰を与える気はない。
そもそもこの二人には今も世話になっているのだから、当たり前だ。
だがシンルゥに対してペナルティと思わせる効果があるのならば利用させてもらう。
という流れで、オレはシンルゥの買収に成功した。
大きな条件としてはこんな感じだ。
・勇者シンルゥは本国への報告を『敏腕商人による復興支援』だとゴリ押す。
・こちら側は勇者シンルゥに対してディードリッヒから金銭、もしくは望む物品の提供をする。
本国への報告内容は領主が最終確認をする。
シンルゥへの支払い金額はディードリッヒとシンルゥとの交渉で、今後変動したりするらしい。
細かい事は三人で決めてもらう事になったが、ともかく勇者シンルゥはオレやこの島の果実の事を絶対に報告しないと誓った。
これにて一件落着、めでたしめでたし。
……であるのだが。
ここまでの流れが、正直、オレには良く分かっていない。
なにがなにやら、だ。
そもそも事の始まりからしてオレはここにいなかった。
そして、ここに来た時にはもうクライマックスだったのだから。
発端は、勇者との交渉にこのオレの家を使いたいと、二人が言い出した事だろう――。




