『領主、独白:悪魔に魂を売った末路は猛毒なる甘露(2)』
私は震えた。
己の迂闊さと愚かさに。
戦女神――教会の教典にもあるように、あらゆる魔の者すべてを滅する戦女神の名を口にして、それに感謝するなど……ッ!
いくら温厚といえど、ツッチー様の激昂が飛ぶのは想像に難くない。
いや激昂などで許されるはずがない。
私だけの命で済めば御の字かと、死を覚悟してツッチー様を見る。
ツッチー様は普段より少しだけ表情を曇らせていた。
いつも笑顔のツッチー様であるが、やはり禁句どころか禁忌であったのだ。
私は、すぐに地に伏すべく駆け寄ろうとするが、その時。
「あー、いたな、そんなヤツ。あのバカ女のせいで最初はさんざん苦労した。もう何年前になるんだろうなぁ」
「あー、そうね。ツッチーに会ったのも戦女神様のご命令だったから。アタシはお声しか知らないけど」
耳を疑う様な言葉だった。
ツッチー様は魔人だというのに、戦女神様に会った事があるというのか。
妖精もまた戦女神様からの神託により、魔人たるツッチー様に仕えているように聞き取れた。
一体、どういう事なのか?
ディードリッヒ殿は何か知っているのかと視線を向ければ、彼もまた私と同じような顔をしている。
驚愕の表情だ。
「ま、宗教ってのは自由だからね。誰に感謝してもいいんじゃないかな? 戦女神ってのは人族にはご利益ある存在なんだろ?」
苦虫をかみつぶしたような顔でツッチー様がそんな言葉を私にかけてくる。
私はすぐに首を振る。
「大変失礼いたしました。言葉のあや、と言えど許される失言ではありませんでした。なんなりと罰をお与えください!」
ツッチー様が手をふる。
「いやいやそんな大げさな」
「魔王様。偉大にて、寛容なる我が主様」
「お? どうした、ディードリッヒ?」
と、その言葉をさえぎるようにしてディードリッヒ殿の言葉が飛んだ。
「領主の言葉は決して許されるものではありませんでした。普段より感謝の心が足りておらず、おごっているゆえにそんな言葉が出てくるのです。厳罰をもって、自分の身の丈を思い出させるのが当然かと」
これは……ずいぶんと優しい言葉に感謝せざるを得ない。
今すぐ首を落とすなり、胸を一突きなりされても文句は言えないというのに。
「厳罰って言われても。どうする? どうすればいい?」
「アタシに振らないでよ、わかんないわよ!」
お二人が相談を始めたが、結局、ふさわしい罰が下されることはなく。
しかしツッチー様がディードリッヒ殿の進言を無下にしない為、あきらかに格好だけでもという罰がくだされた。
「イエローカード一枚目、という事で。ちなみにこちらでの用意がないから、今度来るときに作って持ってきてもらっていいかな? 罰を受ける本人にそれを頼むのもおかしい話だけどさ」
ツッチー様いわく、何か反則的な事をすると与えられるものらしい。
そのイエローカード三枚で退場、とおっしゃられた。
ちなみにイエローカードというものは黄色の札の事だそうだ。
……つまりあれほどの失態でも、二度までは死を許されるという事か。
なんともツッチー様らしい温情だ。
私は次回の訪問までに黄色に染めた、小さな薄い板を何枚かご用意する事をお約束した。
当然、そのうちの一枚は私が持っておく。
これは家宝にすべきだろう。
戒めとして、常に毎日目に焼き付けて過ごすべきだ。
決して二枚目をたまわるなどという愚行をおかさないために。
そうして太陽が赤くなり、島から去る時間となった。
いつものようにディードリッヒ殿が操る翼竜に同伴させてもらう。
この島に来るにはほかに手段がない。
だいたいの位置はわかるが、船となると正確な海図が必要だし、少なくとも港町で扱っている地図にこの島はのっていない。
そもそも船で来るとなると私一人では無理だ。
他人をこの島に連れてくる事はディードリッヒ殿との約束事の中で禁則としており、結果、私がこの島に来るにはディードリッヒ殿の飛竜に頼るというわけだ。
「じゃあ、またなー」
「気を付けてねー!」
翼竜はいつも上品な淡い色に染められたツッチー様の邸宅前に留められており、ツッチー様たちは恐れ多い事にわざわざ見送って下さる。
帰りの挨拶をすませた所で、ふと、ツッチー様が思い出したような声で私に声をかけられた。
「あ、ついでだし。黄色の板とは別に赤い板も何枚か作ってもらえるかな?」
「は。かしこまりした、一緒にお持ちいたします」
反射的に承諾したものの、赤い板とはどういうものだろうか?
黄色が罰則なら、赤色は褒美のようなものだろうか?
「よろしければ赤の板の意味を教えて頂いてもよろしいですか?」
私の前に座り手綱を握っていたディードリッヒ殿も気になったようで、質問をなげかけていた。
「あー。イエローだと三枚で退場なんだけど。レッド……つまり赤色は一枚で退場ってカードなんだ」
その瞬間、ぞっとした。
ディードリッヒ殿も一瞬、言葉に詰まっていた。
私と同じく、背筋が凍る思いだったのだろう。
「……それは。なんとも。決して赤色をたまわらないように尽力いたします」
「私も同じく。本日のような恩義を仇で返すような愚行、決して……」
私たちは騎乗のままだが、すぐに頭を下げて誓う。
「いやいや。大げさすぎるって。遊びみたいなものだからね? あ、例えばだけどさ。ディードリッヒが以前、領主様相手に勝手にオレの事を教えたのあったでしょ? あれだとレッドに近いイエローだなー」
ディードリッヒ殿の体が跳ねた。
「は、はっ! その節は誠に申し訳ッ……」
「過ぎた話を蒸し返すつもりはないって。結果的には人助けになったし気にしてないさ。あくまで具体例として出しただけだよ」
それは見慣れたツッチー様の笑顔だった。
人の命、生と死、魂。
それらをいつもと変わらぬ笑顔のままもてあそぶ。
この方はやはり魔人であり魔王なのだ。
私はどこか甘い考えをし始めていた心を引き締め、魔王という存在と相対して命があるという、今、この奇跡をかみしめて島から飛び立った。
その帰路で。
「イエローカードが仕上がったら、私にも一枚お願いします」
ディードリッヒ殿がいつも街で見かける表情のない顔で振り返り、背後の私に声をかけてくる。
過去を蒸し返すつもりはない、つまり札は渡すつもりはないとツッチー様はおっしゃっていたが、ディードリッヒ殿であれば、こう言い出すのも当然だろう。
「わかりました。私は今回の自分の分を額に入れて壁に掛けますが……ディードリッヒ殿はどうされる?」
「お願いして良いのなら、私の札もそのように」
こうして悪魔に魂を売った哀れで愚かな我々は、赤い色に染まった太陽から逃げるように街へと帰っていった。




