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『領主、独白:悪魔に魂を売った末路は猛毒なる甘露』

何度目の来島だろうか。


今日も私はディードリッヒ殿とともに、小さなレディとその主人に、ささやかながら手土産を持参している。


私がこの島ですべき事はないし、できる事もない。


全てはディードリッヒ殿が手はずを整えており、私がするのはその流通などの補助。


紙と数字を相手取るのは街にある自宅での執務室だ。


では、なぜここに来るのか。


礼儀だ。


私と、私の家族、私の治める街。


それらすべての恩人である魔王ツッチー様への礼儀を果たすために来島する、それ以外のなにものもない。


彼は魔人である。


その夜色の髪、闇色の瞳。


まさに魔人たる証。


魔人とは人族の脅威とされ、教会からは天敵とされている悪の存在である。


教典には、魔人は人の血をすすり、肉を食らい、限りなく残虐な存在であるという。


であるのならば。


今、私の目の前で、砂糖をたっぷりと入れた紅茶をすすり、笑顔でクッキーをかじるこの御方はなんだというのだろうか。


ご満悦そうに頬をゆるませ、私のその些末な土産に礼まで述べる彼は、本当に魔人なのかと自分の正気と常識を疑いたくなる。


そして常に彼にはべる、一人の妖精。


ほのかに頬紅をさしたような白い髪を横に結んだ妖精だ。


髪と同じ色の羽根をはばたかせ、常に魔王様の肩や頭に小さき身を寄せている。


彼女もまた私の土産に舌鼓をうちつつ、ありがとうね、ありがとうね、と何度も笑う。


街でたまにみかける冒険者につき従う妖精とは違って、とても表情が豊かだ。


何かを命令されたり、束縛されているという関係ではないのだろう。


妖精の持つ力からしてそれはとても珍しい事ではあるが、ツッチー様なれば、さもあらんといった所か。


「ディードリッヒも頂いてみれば? めっちゃおいしいぞ」

「そうよ! せっかくだから食べてみなさいよ! これ! これがおすすめよ!」

「は。ではお言葉に甘えまして」


ディードリッヒ殿は、今日も数字の事は一言たりとも口にしない。


何度もこうして魔王様とのやりとりを聞いているが、魔王ツッチー様は本当にすべてをディードリッヒ殿にまかせている。


彼の商会は、もはや本国でも知らぬ者はいないという規模だ。


果実で得た資金をうまくまわし、今ではあらゆる商材を取り扱っている。


ん?


港街を襲った飢饉と疫病?


あんなもの。


あんな些細な出来事、覚えている者の方が少ない。


酔っ払いどもの笑い話として、口の端に上る程度の出来事にまで成り下がった。


ディードリッヒ殿の動きは実に迅速で正確だった。


飢えていた港に船が到着するたびに、異国の珍しい食材が溢れかえった。


咳をする者を見かけたら端から与えていっても尽きぬ量のポーションも運び込まれ続けた。


それらは路地裏に住まう者にすら与えてなお余る量だった。


つい先日まで、死を迎えるしかなかった島が、かつてないほどの活気を帯びている。


無論、これが正しい経済活動によるものではなく、莫大な富を持ったディードリッヒ殿がもたらした一瞬の奇跡である事は承知している。


だが勢いというものは残る。


ディードリッヒ殿の投入した資金により、様々な商人が我が街にやってきたのだ。


見た事もない顔の商人たちが顔をあわせれば、新しい商売が始まる。


もともと税も高くない我が港街は、色々と都合が良いらしく、そこでまた新たな流通が始まる。


それがさらなる商人を呼び、さらなる品を運び、さらなる勢いを呼ぶ。


本国ではいまだ完全な立ち直りには至っていないというのに、我が港街は拡大の傾向すらある。


今もなおディードリッヒ殿は支援を続けてくれているが、彼がその手をいつ止めても大丈夫だろうという状況だ。


そんな港町を単独で救い上げる財を持つディードリッヒ殿は、今日もツッチー様を常に立て、妖精のご機嫌をうかがい、何か入用なものはないかと尋ねている。


「うーん、なんだろう。何かあるかなぁ。ツッチーは?」

「いや、色々とそろえてもらって充分に助かってる。それにディードリッヒも忙しいだろ?」


欲も無く、むしろ気を遣われる魔王様に対して、ディードリッヒ殿の答えは常に一つ。


「お二人の御用聞きより優先する事など、一切ございません」

「はは、そっかー。そうか……」

「リッヒ、いつもありがとうね!」


魔王様が彼の恩人という事は聞いていた。


恩返しとばかりに何年も使い走りをしているというのは、この光景からして間違いない。


彼ほど才覚ある商人がそこまで尽くす事はなかろうとも思うのだが、彼にとってはそうではないのだろう。


街で商会を取り仕切る彼を知る者たちは、時に彼を守銭奴や冷血漢となじる。


だが、そんな彼がこのように微笑むと知ったらどんな顔をするだろうか?


今、私はあくまで礼を尽くすためにこの島に来る。


だがディードリッヒ殿は魔王ツッチー様に会いたいから、この島を訪れる。


「彼もまた悪魔に魂を売った仲間で、その末路がコレなのだろうな……」


今のディードリッヒ殿の姿は、近い先の私の姿でもあるのだろうと確信してしまい、つい苦笑を浮かべてしまった。


「お? どうした? 何か困りごとかい?」


そんな苦笑を見られてしまった私は、失礼しましたと深く陳謝した後、順風満帆です、と答える。


「言ってごらんなさいな? 遠慮したっていい事ないわよ? って言っても、たいした事ができるわけじゃないけどね!」


かつては私を胡散臭いと疑い続けていた妖精の彼女も、今ではすぐに寄ってきて心配そうに声をかけてくれる。


彼女がこうして会話に入ってくれるだけで、私はツッチー様とお話をしやすくなる。


というのも、彼女はなんだかんだで情に厚く、ツッチー様はそんな彼女にとても甘い。


そう、とても、とても、とても、甘いのだ。


つまり彼女に何か頼めば、なんでもかなってしまうのである。


ただし。


「そうだなぁ。結局、オレがしてやれる事って、ディードリッヒに投げる事だしなぁ」

「そうねぇ。私たちに出来る事って、果物もぐの手伝うだけだしね。リッヒ、いつも悪いわね」


その果実もツッチー様がいなければ、あのような魔力を濃縮したような育成はしないのだが。


「何でもお申し付けください、レディ。そして我が主であらせられる、偉大なる魔王様。私にとっては、それが生きがいでありますので」


ディードリッヒ殿は、ツッチー様たちが気を遣ってくださった事に感動して微笑む。


何度見ても、街にいるディードリッヒ殿と同一人物とは思えない。


ともかく、そんな流れで最終的にはディードリッヒ殿が差配してくれるのだが、彼は私自身が個人的に何かを頼んでも簡単には承諾しない。


あくまで商売相手としては接してくれるが、ゆえに利益がない取引は受けてくれない。


しかし、そんな採算がとれないような私の要望も、ツッチー様や妖精の彼女が『どうにかできないかな?』とディードリッヒ殿に声をかけると彼は即座に、かしこまりました、と微笑むのだ。


それがわかっているから、私はツッチー様にも妖精の彼女にも簡単に頼み事をしない。


ある程度、欲張ってもツッチー様たちは何とも思わないだろうし、助けてもくださるだろう。


しかし度を過ぎれば、ディードリッヒ殿にどう思われるか。


もともと彼の申し出によりツッチー様と会う事ができ、私と港町は救われたのだが、彼の本来の狙いは私に貸しを作り、あの街の権益や様々な条件をつけてツッチー様に捧げる事だったはずだ。


しかし、いざ密約が行使されてみても、ツッチー様が時折に望まれるものは菓子を主とした嗜好品。


たまに家具や衣類などの場合もあるが、それでも私が得たあるゆるものの対価としては利子の雫にもならない。


今、私はツッチー様の温情のみで、利益を享受している身なのだ。


ならば、礼儀正しく、控えめである事。


それこそがこの関係を維持するためのコツ、処世術だ。


「いえ、本当に困り事がない事に困る次第。ツッチー様と出会えた奇跡を数多の戦女神様に感謝する日々でして……」


と、つい軽口をたたいて、即座に私は青くなった。


血の気が引いた。


手が、足が、震える。


横に座っていたディードリッヒ殿が微笑みを消し、これまでに見た事もない形相で私をにらみつけている。


ああ。


私は今、何と言った? 何を口走った?


魔人のツッチー様を前にして。




――戦女神に感謝、だと?




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