『ツッチー、大地に立つ』
頬に伝わる、ひんやりとした土の感触で目が覚めた。
「……ここは?」
肌に張り付いていた湿った土を払い落とし、オレは立ち上がる。
「木? 林? 森?」
そこは木洩れ日がわずかに差し込む、深い森のようだった。
見上げてなお、先が見えないほどに背の高い木々。
一方で、足元には見た事もないような草花が茂っている。
「……ッツ」
足裏に痛みが走る。
小さな石を踏みつけたらしい。
「裸足どころか……裸かよ……」
さきほどの白い部屋での光景を思い起こす。
戦女神がどうの、第二の人生がどうの、死因は事故だの……。
一度に理解できない事が起きすぎて混乱していたが、足の痛みがこれを現実と思い知らせてくる。
「なんなんだよ、これ。どこなんだよ?」
周囲を見回す。
何を探しているわけでもないが、何かがないかと視線をめぐらせた。
すると。
「……あ、あの、土の……魔人様ですか?」
「ん?」
ふわりと頭上から蒼い粉が舞い散った。
粉を鼻で吸い込んでしまい、オレはくしゃみをする。
「ぶえっくしっ!」
「あ、あ、あっ、ごめんなさい!」
震えるような細い声の主がオレの目線のあたりで、その淡い色の羽根をはばたせる。
――そう。
それは四枚の美しい羽根を持つ、手のひらほどの大きさの少女だった。
普段であれば驚き逃げ出したかもしれない。
だが、あいにくそれよりも大きな驚きの連続で感覚がマヒしていた。
だからこんな事を言い出したのだろう。
「その羽根って本物?」
「え、あ、はい……」
身じろぎするその姿は、まるでおびえているようだった。
「綺麗な羽根だね。ほんのり薄桃色というか……」
ピンクというわけではない。近くでよく見れば白い。
これは何かによく似ている気がする……ああ、そうか。
「桜の花びらにそっくりだ」
「……え? サクラ……? ですか?」
「ああ、桜、知らない? 春になると咲く花で……」
自分の言葉に詰まる。
こんな世界に飛ばされ、桜など二度と見られないかもしれない。
オレは混乱する中でも、必死に正気を取り戻すように頭を振る。
まず、最初の疑問から解いていく。
この羽根を生やした少女はなんだ?
愛くるしい姿からも恐怖を覚える事はなく、オレはあらためてたずねる。
「それで……君は?」
「あ、うん、えっと、はい。戦女神様より土の魔人様のお世話を申し付かった妖精です。ど、どうぞ、よろしくお願いします」
深く頭をさげて、上目遣いでオレを見ている。
敬っているというより恐れている、そんなこわばった表情だった。
「妖精……」
確か戦女神と名乗った女が、そう言っていた。
サポートとか案内役、そんなものをつける、と。
「そ、そうなんだ。オレも何が何だかわからないけど……よろしく……」
「こちらこそ、よ、よろしくお願いします。あの、それでなんとお呼びすればいいですか?」
土の魔人、というのは理解しているのだろうから、名前をたずねられているのだろう。
オレは自分の名前を思い出そうとするものの、まったく思い起こせない自分に愕然とする。
「う、うう……」
オレは、本当に記憶を消されてしまったのだろうか。
「あの、魔人様……大丈夫ですか? 土の魔人様……」
魔人、魔人と連呼しないで欲しい。
オレには名前がある。
いや、あったはずだ。
くそっ、思い出せない。
脳裏に浮かぶ名前は別の名前だけだ。
「……ツッチー。あの戦女神とやらはそう呼んでいたよ。もっとも搾りカスとも呼んでくれたけどね」
オレは本当の名前を思い出す事を諦めた。
けれど魔人と連呼されたくない事もあって、苦々しくツッチーと名乗った。
悔しい事に、口にしてみるとその名前はとても馴染んでいた。
「し、しぼり、かす? ええと、ツッチー様ですね。どうぞ末永くお願いいたします」
頭をさげる妖精。
そう、妖精だなんて名乗るふざけた生き物がいる、そんな世界に裸で放り出されて。
「なんだってんだよ、くそ!」
「ひっ……」
ただ、ただ、途方に暮れた。
それが異世界での初日だった。