第八話 最強を凌ぐ最凶
力と力の勝負。
かたや、殺す為に剣を振るう者。
かたや、守る為に剣を止める者。
その勝負は──守護者に軍配が上がる。
「─────」
首を跳ねるよう薙いだ必殺の剣。
それを止めたロミアによる、首無し騎士への強烈な回し蹴りは、鋼鉄の身体を数メートル先へ吹き飛ばした。
バランスを崩した首無し騎士は、驚いたように身体を震わせる。
女冒険者を背中に回し、敵である首無し騎士から守ろうとする。
その行動が信じられないように女冒険者は呆然口を開け、
「何をやってる!? ロミア!」
アマンダも怒りを爆発させていた。
「オマエ! まだ会って間もない人間にどうしてそこまで」
身体を風魔術で押し出して、我が身を盾にするようロミアの前に滑り込むアマンダ。
ロミアの視線、小さな背中が雄弁に語る。
オマエでは無理だ、と。
英雄でさえ、手に余る敵なのだ。
刻印者ならまだしも、魔術が使えない無刻印など、役に立つはずがない。
それこそ、肉壁くらいにしか。
──それでもロミアは諦めない。
だって──
「怪我がした、してない。は関係無いんです。僕は、どんな人も助けられる勇者を目指しているんだ──怪我は、動かない理由にはならない」
「まだ怪我も治ってないのに──どうしてそこまで」
母を捜す為、“ᛚᛁᛒᚱᚨ”を攻略し、報酬である『何でも願いを叶える権利』を欲するのはまだわかる。
しかし死ぬかもしれないリスクを負ってまで、身体を張る理由が判らない。
それほどまで、ロミアにとって“勇者になる”という夢は──果たして重いものなのか。
「説明してる時間は、なさそうですね」
首無し騎士は体勢を立て直し、こちらへと悠然と步を進める。
走らないのは、ロミア達を侮っているのだろう。
アマンダはそれに──心の中で感謝した。
「ああ──だから、オマエ達は逃げろ」
「は?」
「二度も言わせるな。早く行け」
突然の申し出に、ロミアは硬直した。
しかしすぐに頭を振って反論する。
「バカ言わないでください。僕達はパーティーですよ? 見捨てるなんて──」
「違うさ。コレは力を持った者の宿命だ。だから見捨てるんじゃなくて、先に逃げてて欲しいってこと」
アマンダが指を鳴らす。
瞬間、ロミアと女冒険者を風が包み込み身体を宙へと押し上げる。
「こ、これは」
「──ごめんな」
その言葉を最後に、風の牢獄はロミア達を連れて逃走を開始する。
速度は全力で走る馬より速い。
どんどんアマンダの姿が小さくなっていく。
どれだけ踠いても、魔術が使えないロミアではなす術がない。
「アマンダさん!!!」
もうアマンダの姿は見えない。
ロミアの声も、届かなかった。
---
ロミア達がその場を離れてすぐ、首なし騎士は行動を開始した。
重そうな脚を一歩ずつ前に踏み出して、尚も走り出す事はなく悠然と敵たる堕神族へと向かって行く。
「敵として、申し分ない。だから全力──」
アマンダを取り巻く空間に小さな風が生み出される。
ローブが、髪が、周りの雑草が浮き上がり、空中に多数の魔法陣が展開される。
「さてね……久しぶりだけど、上手くいくかな──いや、行かせる。何が何でも」
耳を済ませる。
背後に飛ばした二人の気配は遠ざかっている。
良かったと安堵する。
もしこの場でこの技を使えば間違いなく、ロミア達まで巻き添えにする自信があった──
「氾濫する星の息吹! 災よ、魔よ、悪よ! 我に力を齎せ。紡がれる歴史を削除せしめる暴風──我が手に宿る壊滅の一撃!」
アマンダを取り囲む魔法陣が淡い光を放ち、取り囲む風は激しく逆巻いていく。
膨大な魔力の奔流が現世に影響を齎し、緑の電光が迸る。
それが強力な魔術の発動詠唱だということくらい──首無し騎士にさえ理解出来る事実。
必然──
「────────」
見逃す筈がない。
手に持つ漆黒の剣に魔力が注がれる。
鍔から黒い魔力が噴き出し、振り上げられる一撃はまたも必殺。
いかに英雄のアマンダとて直撃を受ければ死は確実だ。
詠唱に必死で動くこともままならない無防備なアマンダのもとに、必殺が振り下ろされ──
「──────!!」
なかった。
漆黒の剣はアマンダに当たる寸前で止まり、空中で止まっている。
まるで見えない壁に阻害されているように。
── さすがに絶対風制は突破出来ないか!
アマンダが常時展開している九段階ある魔術段階のうち、九階位に当たる最高の防御風魔術。
自身の周囲に不可視の暴風を展開し、攻撃から環境の変化までを防ぐ万能魔術。
これがある故に、どれだけ無防備を晒そうともアマンダの命は保証される。
だからこそ──
「未来を穿ち、現在を守る。守護破滅を担う龍星の名を再度告げる!」
二重詠唱へと踏み入る。
詠唱を二度行う事による純粋な魔術威力倍増の技法だ。
絶対に防御魔術が破られない自信の現れである。
「氾濫する星の息吹! 災よ────」
「──────」
アマンダの二重詠唱が完遂すれば、魔術を無力化する首無し騎士とて、無傷では済まない──そう感じたのか、鍔から噴き出す黒い魔力は目に見えて膨れ上がった。
暴風の壁を削りながら、漆黒の剣が進行していく。
拮抗する力と力。後数秒もあれば、防御魔術は突破されるだろう。
──その数秒が勝敗を分けた。
「守護破滅を担う龍星の名は── “天落せし颱龍撃”!!」
天が唸った。
詠唱を終えると同時、天へと飛び立った魔力の光。
雲一つない晴天の夜。
草原を照らしていた月は瞬く間に現れた暗雲によって姿を隠す。
渦を巻くように現れた暗雲は所々閃光を放ち、ゴロゴロと唸っている。
天候さえ操作する魔術──その脅威に首無し騎士も空を見上げる。
瞳ないその目で、一体何を感じたのか。
ただ、呆然と立っていた。
「──まさか、これで終わりだと思った?」
反応を楽しむようにアマンダは笑った。
直後、アマンダの身体から迸る緑の光。
彼女と全く同じ身体つきをした光が身体から飛び出し、空へと昇っていく。
「魔物には魔力を貯める臓器がある。人族に臓器がない代わり、魔力を貯める器がある。その器自体を消費して魔術の威力を底上げする技を──魔象技と言う。底上げする倍率は」
人型の魔力が天の渦へと飛び込む。
暗雲に潜む雷がその色を緑に変え、更に唸りを上げ──遂に魔術の正体が姿を表す。
──暴風の龍。
暗雲の中心から、龍の形を成した渦巻く暴風が顔を覗かせた。
緑の目を光らせて、世界が震える咆哮をあげる。
万の軍勢を薙ぎ払う九階位の魔術。
その魔術を倍にする二重詠唱。
そして──
「──凡そ、五倍だ」
合計して十倍。
暗雲から次々と暴風の龍が顔を覗かせる。
その数──十体。
敵たる首無し騎士を見据え、吠える。
「喰らえェェッッッ!!!!」
本当の意味で全身全霊を込めたこの一撃に、鎧は関心を示す事は無かった。
空を飛んでいる敵をどう倒すか、それしか頭にないかのように呆然と立つその姿。
だが──轟音と共に迫り来る龍の顎が鎧に喰らい付いた瞬間、全ての音が吹き飛んだ。
圧縮された大気による爆風。
鎧を中心に起きた爆破は岩盤をいとも容易く粉砕し、巻き上がらせた。
しかしそれだけでは終わらない。
「──────ッァ」
草原に発生する巨大竜巻。
砕いた地盤を巻き込み、未だその被害を広げていく。
風の爆破によって砕き破れた岩盤を巻き込んで竜巻の中は、逃げ場のない風の牢獄であり、四方八方から飛来する岩は予測不可能だ。
吸収しきれない魔力は術式通りに災害を齎し、にっくき鎧を粉々に砕くには充分な威力を発揮している。
自らが発生させた竜巻に突き飛ばされ、使い切った魔力では自身の身体を支える事すら出来ない。
アマンダは地面スレスレ落下寸前、残された最後の魔力で、身体を小さな突風で浮かせた。
「──うっ」
それでも殺しきれない勢いに、地面へと身体を強打した。
受け身を取る事が出来ない身体はもろに衝撃を身体に伝え、激痛がアマンダを襲う。
「ククッ……我ながら、凄い威力だ」
しかし痛みより、結果の嬉しさの方が勝っていた。
ほとんど動かない身体を無理矢理に起こして、眼前の災害を見る。
竜巻は徐々にその大きさを縮めていき、消滅する。
残るのはヒビ割れた地盤と瓦礫の山。
草原の爆心地は最早原型を留めていない。
そこには生命が存在出来るはずもなく、アマンダの目には勝利という文字が浮かんだ。
「……どうだ、これが英雄だ。これが──」
英雄たる役目は果たした。
アマンダの作戦はただ強力な魔術をぶつける、それだけだった。
狭い水道管に、凄まじい勢いでそれも膨大な量の水を注ぎ込んだら一体どうなるか。
その管が非常に頑丈で繋ぎ目が一切ないなら壊れる事も無いかもしれない。だがそこに何らかの要因、例えば石が混入するなどの異常事態があれば、壊れるかもしれない。
魔術自体、暴風の影響は受けないとしても、暴風に巻き込まれた岩盤の破片が何かしら鎧にダメージを与えるかもしれない。
そんな淡い期待の作戦だったが。
「──ワタシだ」
アマンダの作戦は無事に事なきを得た。
英雄である誇りは守れたのだ。
潤んだ瞳を腕で拭う。
力を持つ者の使命を果たす事が出来た。
でなければ強者である意味がない。
自身より弱い者を守れてこそ、強者。
荷物持ちと蔑んだロミアにも面子が立つ──
と安堵した瞬間、ガラリ、と瓦礫が落ちる嫌な音がした。
「──ま、まさか」
瓦礫を斬り崩す六閃。
黒い斬撃が瓦礫を吹き飛ばし、中から出てくるのはやはり漆黒の鎧。
姿を現した首なし騎士は──満身創痍だった。
左腕と右脚を欠損。
鎧は所々欠けて、剣を杖にして立つ事すらままならない。
後一撃でも、そう魔術で岩を浮かして投げつけるだけで決着はつく。
とはいえアマンダも魔力は空っぽであり、しかも、
「魔象技の代償が……くそ!」
身体はもう動かない。
自身の魔力の器である魔象器を消費しての魔象技は強力な分、一日身体が動かなくなる代償がある。
それは魔象器が、自身の半身だからだ。
半身を失った時、人体の仕組みとして魔象器の回復に全力を注ぐ。
だからアマンダは今、指一本力が入らない。
頑張れば動くくらいなら出来るかもしれないが、物を持ったり、立つ事は出来ないのだ。
魔力は尽きて、行動は不能。
絶対絶命。
しかしそれは首無し騎士も同じだ。
寧ろあちらの方が重傷な位だ。
戦況として硬直状態に陥った。
状況を打開する為、アマンダが頭を捻らせていた時──首無し騎士が動いた。
剣を地面に突き刺して空いた手に出現したのは、見覚えのあるヘルム 。
「う……そ」
瞠目する。
それはつまり一つの事実を突きつけているのだが、アマンダが驚いたのはそこではない。
首無し騎士がヘルムを頭に装着した瞬間、青白い炎が全身を包み込み、失った左腕と右脚が復活したのだ。
戻った腕と脚が問題なく可動する事を確認した後、剣を引き抜きアマンダの元へと向かってくる。
動けない事を理解しているのか、ゆっくりと。
何という絶望。何という能力。
「……完敗、だ」
死を悟り、脳裏に浮かぶのは姉の顔だ。
ロミアに母を捜すという願いがあるように、アマンダにも迷宮を制覇して叶えたい願いがあった。
その願いが果たせず、ここで命を落とす。
アマンダは涙を流した。
自身の不甲斐なさに。
自身の傲慢さに。
そして、悔しさに。
「ごめん……お姉ちゃん。ワタシ、帰れないや」
迫る鎧。
既に構えた騎士剣は、後五歩もすれば身体に深々と突き刺さっていることだろう。
ロミアが血を撒き散らした光景を見たせいか、鮮明に己が死んだ姿を想像できる。
それを見た時の姉の顔を考えるだけで歯痒くて仕方がなかった。
それでも無理だ。
今、迫り来る鎧を迎撃する術はもうない。
魔力が尽き、身体が動かない。
これではどうすることもできない。
死ぬのを待つだけとなったアマンダの元に、遂に首なし騎士が到着する。
剣を振り上げることなく、地面に倒れ動かないアマンダを持ち上げた。
「ぅぅッ……!」
「──────」
首の根を掴まれ、アマンダの矮躯は軽々と持ち上がる。
息が吸えず苦しみに悶えるが、最早抗う力も残ってはいない。
ヘルムの眼窩から見える青白い炎はまるで瞳のよう。
ジッとアマンダを見据え、剣を構える。
死がもうそこまで迫っているのに、アマンダはなぜか笑みを零した。
「……いい事、教えてあげる。最後に勝つのは──切り札を隠し通した方だ!」
アマンダの金瞳が大きく開かれる。
瞳に映し出された紋章が輝き、アマンダの言う奥の手が発動する瞬間──
「──ぅぅぅぅうううぉおぉぉぉぉっっっ!!!!!」
風が前を駆け抜けた。
ガァン!! という音と苦しみは消え、地面へと再びアマンダは落ちた。
「げ……げほっ! げほっ! な──なにが」
視界に映るのは、地面をゴロゴロと転がっていく無様な首なし騎士の姿。
そして、上裸の青年の背中。
「はぁ……はぁ……、ごめんなさい、アマンダさん。せっかく逃がしてもらってなんですが、僕の憧れた勇者は、仲間を見捨てるような格好悪いものじゃあないんですよ」
ロミア・アナスタシス。
魔術の天才アマンダを助けたのは、魔術も使えない逃がした筈の無刻印の青年だった。