第二話 出会いは嵐の如く
「オマエが噂の無刻印なんだってな」
声をかけられ振り向いた先には、見覚えのない大男。
毎日町にパーティー募集の結果を見にくるロミアは、ある程度冒険者の顔は覚えている。
男二人を抱えられそうな太い腕に見合った大剣を背負う巨体。
そこに凶悪な顔まで添えられていれば、忘れるには特徴的すぎる男だった。
「えっと……何か?」
顔は赤く、どうやら酔っ払っているらしい。
肩に乗せられた手の力が強まり、ギチギチと音を鳴らす。
魔術を使えない人間を揶揄いに来た事は明白だった。
しかし、ロミアは依然変わらぬ様子で目線を交わしてみせれば、
「……っ。へぇ……変わり者ってのは、本当みてぇだな」
不満げに顔を歪めた後、肩から手を離した。
魔術で強化した筋力で握っていたようだが、鍛えられたロミアの身体には手の跡さえつかなかった。
「……? それで、何の用ですか?」
「何の用だなんて決まってんだろ。冒険者の先輩として忠告してやろうと思ってなぁ」
店員向けて、人差し指を立てながら隣にどかりと座る大男。
人差し指を立てるのは酒を一杯頼む合図だ。
とは言っても、来るのは冒険者用にタダで提供されている安酒だが。
そして運ばれた発泡酒を豪快に飲み干す大男。
大して美味くはないはずだが、喉越しはあるらしい。
ご満悦な様子で二杯目を頼み、そして右腕に取り付けられた“金の腕輪”を見せつけて言った。
「俺は超人級。最近ではそこそこ知名度が上がって来た冒険者さ。“剛腕のザイラス”なんて呼ばれてる」
「…………」
冒険者の称号は、魔術の使える段階に付随している。
中でも、金の称号“超人級”は五つある内、上から二番目にあたる級のいわば超エリートである。
冒険者協会の組織国内のある程度の施設がただで利用可能、店の大半が割引になるといった恩恵が得られる、冒険者誰もが目指す最初の到達点である。
「俺も有名になって来たからな。ここいらで一つ、有名な迷宮を攻略しようと思ってな。特に世界に十二しかない、十二の試練の攻略は名声も上がる! 奥地には想像も出来ねぇ力を与える秘宝があり、そして何よりも他の迷宮にはねぇ、最大の報酬がある!」
酔っ払っているせいか、ザイラスは随分と饒舌になっていた。
ロミアはただジッと話を聞いていた。
「それは迷宮を守るボスを討伐し、制覇した時、どんな願いでも一つ叶う事さ! 冒険者冥利に尽きるってもんだ! なぁ皆!!」
ザイラスが声をかければ、酒場の人間達は揃ってオー!と鬨の声を上げる。
それは酒場全体が揺れるほどの一体感であった。
「だからよぉ、一年前には同じ超人級の“紅剣のミザ”も入ったって情報もあったし、こりゃいい宣伝になると思ったわけだが……」
顎に生えた髭を触りながら、ザイラスはニヤリと笑う。
「酒場で情報収集してたら面白い話を聞いた。ほぼ裸の長髪、右胸に大火傷を負った無刻印がここ数年パーティーを募集してるっていう、俄かに信じ難い話だ」
ご機嫌な様子で真っ赤な顔を近づける。
酒臭い鼻息に、肌を指す敵意をピリピリと感じた。
「それがお前だ。なぁ、ロミア・アナスタシス」
「そうですけど。結局、僕への用件がわからないんですが」
「ハハッ! 肝が座ってるって言うのも本当らしい!」
大仰に手を叩いて見せて、酒場の観客へのアピール。
静寂に包まれていた酒場が少しずつ音を取り戻していく。
楽しげな雰囲気ではなく、陰湿な嘲弄と侮蔑の微笑が中心となって。
「つまりな、無刻印のお前がなぜ、冒険者なんて目指してんだ? と聞きてぇわけだ」
「なぜって……そりゃ」
「この世にはな、分相応って言葉があるんだ。才能のない人間は農民や漁師、あるいは勉強すりゃあ商人にでもなれるかもな。でもそこまでだ。人に注目される職業、それこそ騎士や冒険者になろうってならそれなりの才能と出自が必要だ。そうだろう?」
ロミアが喋るより先にザイラスが介入し、椅子の上に立って演説でもするかのように語り出す。
その勢いを外野が「そうだー!」と声を上げて助長する。
酔いが回っているのだ。
人間だけでなく、空気までも。
「それを考慮すると、だ、ロミア。残念ながらお前は出自も、誰もが持つ小さな才能さえ無い無刻印だ。つまり、分不相応ってわけだが……そんなお前が何年もここに通う理由が知りたいんだよ。俺、含めここにいる皆」
「──勇者」
「……は?」
酒場の空気が一転する。
クスクス、ケラケラと嫌な空気が漂っていた世界は再び静寂に包まれた。
まるで仕返しでもするかのように即答されたロミアの一言によって。
ザイラスは呆けた顔でもう一度、訊いた。
「今……何て言ったんだ?」
「だから、勇者になりたいんです」
もちろん冗談ではないし、最終目標として定めた自分の夢。
それがこの世で最上の願いであり、到達に途方もない時間と努力が必要な事くらい理解している。
現に仲間を募集するだけで既に五年も経っているのだから、きっと勇者と皆から呼ばれるには何十年とかかるのだろう。
それでも、この願いは誰にも負けない気持ちの大きさだった。
だが──答えた先に待っていたのは、
「ギャーーハッハッハッハ!!! おい嘘だろ! 無刻印が勇者だって?? 冗談にも程があるぜ!!」
嘲笑の喝采だった。
酒場中の人間がロミアの発言に腹を抱えて指を刺す。
例外はない。
店員でさえも後ろを向いてクスクス笑っている。
「冗談じゃないですよ。何笑ってるんですか?」
「おいおい、本気じゃねぇか。冗談キツいぜ……。超人の俺でさえ届かない栄光、勇者だと? 正しく、分不相応じゃねぇか!!」
大口を開けて笑いながらザイラスは叫ぶ。
「鶏がどんなに願っても空を飛べないように! 魚がどれだけ懇願しても地上を走れないように!! この世には不変の理ってもんがあるんだぜ? 知ってるか、そういうのを不条理ってんだ!」
「まぁ、そうかもしれないですね」
酒場全てが敵に回っても尚、ロミアは微動にしない静かな佇まいだった。
その様子に苛立ったのか、ザイラスは歯軋りさせて訊いた。
「それでも……勇者になりたいと、そう言うのかテメェはよ」
「はい。だって──
夢を語れない世界は、つまらないじゃあないですか?」
瞬間、頭の上から冷たい何かを浴びた。
鼻にツンとくるアルコールの臭い、全身のベタつき。
ザイラスは手に持っていた安酒を、ロミアの頭へと落としたのだ。
「何を────」
ザイラスの中で何かが爆発したのか、カウンターの机を拳で叩き割った。
顔は赤い。息も荒れている。
怒っている。
「あぁ……じゃあ教えてやるよ。弱肉強食のこの世界で、勇者って言う夢がどれだけ重い夢なのかをなぁ!!」
拳を振り上げる。
振り上げた拳全体に白い文字列が絡み付き、膜のようなものが張り付いた。
──強化の魔術。
冒険者になる人間ならば必須の魔術だ。
武器も身体も、これがあるとなしでは耐久力、攻撃力共に天地の差が生まれる。
強化された拳は鉄槌と同じだ。
武器を振り上げたその後の展開など想像に容易い。
師匠との鍛錬によって鍛え上げられた動体視力であれば、酔った男の拳など止まって見える。
だが、避ける事も防御する事も、反撃もしない。
それはロミアが自身でかした契約なのだった。
喧嘩は挑まれても絶対に買わない、と。
ロミアはゆっくり迫る拳を見つめながら、あー痛そうだなぁ、なんて呑気な事を考えていた。
だが拳が眼前まで迫った、その瞬間。
「へぇ。じゃあ、教えて貰おうか。弱肉強食ってのを」
──暴風が眼前で爆発した。
「──な」
ザイラスはなすすべもなく吹き飛ばされた。
店の扉を道連れに街道へと弾き出され、向かいの店の壁に穴を開け伸びている。
その誰もが予想できない結末に目を惹かれる中、ロミアだけは目の前の少女から目が離せなかった。
いつの間に座ったのか──金の刺繍が縁に入った黒いローブを着た少女が隣に座っている。
床に届かない脚をぶらつかせながら、吟味する様にロミアの身体の隅から隅まで観察していた。
「て、テメェ! うちのリーダーに何しやが──」
「煩い」
酒場の冒険者が一人立った瞬間、少女が指を鳴らす。
すると、酒場中の冒険者が喉を押さえて苦しみ始めた。
「──る……か、かは……い、息が……!?」
「ザコはザコらしく、ザコっぽく床で寝てればいいのさ。クククッ」
悪戯に微笑む少女の所業とはとても思えなかった。
酒場中の冒険者が泡を吐きながら地面に倒れるのを楽しそうに眺めた後、再び指を鳴らす。
全員気絶している為、変化は分からないが魔術を解いたのだろう。
「で、オマエが噂の変人無刻印なのかな」
少女がこちらを向いてニヤリと微笑む。
背後の光景を見た後だからだろう、妙に寒気を感じさせる悪い笑み。
「えぇ、まぁ。変人じゃ、ないですけど」
「クククッ! 変人だろうさ。無刻印の癖に、パーティーメンバー募集中だなんて……世界の裏側にだって届いてる噂なんだよ」
「はぁ……、まぁ、何にしても、この辺りで無刻印と言ったら僕だけですね」
「重畳だね。そんで、何でパーティーなんて組もうとしてるのさ。勇者になる、だけが理由なのか?」
「……ありますけど」
突然の質問責めに若干引く。
しかし、夜の闇に一つ輝く満月のような、黒のローブから見える丸い金瞳が逃げる事を許さない。
師匠にしか言ったことがない理由だったが、隠す理由もない。
ロミアは腰巻の中から一枚のボロ紙を取り出して渡す。
「いや、オマエどっから出した……」
「腰巻ですが」
「それは普通パンツっていうんだぞ。まぁいいや、そんでなになに?」
少女に渡した紙はしわくちゃのボロボロ。
年季が入った紙だということはすぐに分かる事実だ。
そこにはこう書いてあった。
『ごめんなさい。幼い貴方を置いていくこんな母親を、どうか許して』
それは謝罪文。
それも母から子に向けてのメッセージだった。
「僕はなんとしても、十二の試練を制覇して、願いを一つ叶えたい。母を捜す為に」
「ふぅん……これは、何年前の手紙?」
「分かりません。でも十年は経っているはずです」
「十年以上も前の……。それでもオマエは、母を捜すのか?」
「ええ。なぜ母さんが、僕を一人置いていなくなってしまったのか。その理由を僕は知らなくちゃいけない。子供として」
「“ᛚᛁᛒᚱᚨ”である必要はないだろ? 十二の試練の中でも難易度が最も高いと言われる迷宮だとしても、行くのか?」
「はい。一番近いですし……どちらにせよ、僕はここ以外知りませんので」
全て即答。
ロミアの確固たる意志は誰にも崩す事は敵わない。
その姿を見て、少女は高く笑い声を上げた。
「アッハッハ! イイね! 奇遇は奇跡に偶然と書くがこりゃあ本当に素晴らしい拾いもんだね! 気に入った……ワタシはオマエに決めたぞ!」
「……? 何の話」
要領得ない話に首を傾げれば、少女は重さを感じさせない動きで椅子の上に立ち、高々と宣言する。
ロミアの鼻先に指を指して。
「決まってるだろ、パーティーの話さ! オマエをワタシのパーティー仲間に加えてやる!」
唐突な誘いに目を開く。
その言葉があまりに自然とし過ぎて、困惑したのだ。
無能力、無才能。
魔術という、当たり前の技能が使えない人としての不完全体無刻印。
そう蔑まれて来たのは日常。
唯一師匠だけが、その事を馬鹿にせず修行に付き合ってくれた。
それがどれだけ特異な事かも理解していた。
だから師匠を慕い、どんな鍛錬も弱音を吐かずに乗り越えて来た。
だからロミアは自然、訊くべき問いがある。
「本当に僕で、イイんですか?」
「ああ。イイよ」
「僕は本当に魔術が使えないですよ? それでも本当に……?」
「ああ。二度も言わせるな」
「そう……ですか……」
師匠の特訓で冒険者として旅立っても問題はないと言われて五年。
幾度もパーティー申請を出し、その都度蔑まれて来た。
だから、現実味がなかった。
喜び、の感情さえも湧いてこない。
あるのはひたすらに真実。
だから、自然と頬に何かが伝った。
「涙……? 泣くほど嬉しいのか。クク、女々しい奴め」
クククッと少女が笑う。
そこまで言われて気付く。
自分が、本当は嬉しい事を。
「そう……ですね。ここに辿り着くまで長過ぎた」
「何言ってんのさ。じゃあオマエ、勇者になった時どうすんだよ」
ケラケラと少女が笑う。
その無邪気さに救われた。
確かに、冒険者第一歩でこれでは勇者になった時は想像もつかない。
ロミアは涙を拭って手を差し出す。
「はい。僕からの条件はありません。仲間になってくれるだけでも、嬉しいですし、それにあなたは──」
「きゃあ! なんですかこれ!」
「あ、お姉さん」
カウンター越しにおったまげて腰を抜かしているのは、店員のポニテお姉さんだ。
尻もちつく瞬間ぶちまけられた書類から推測するに、パーティー登録用紙を持ってきてくれたのだろう。
「ど、どどどどうしてみなさん倒れられて……って先輩!? せ、先輩が白眼をむいて倒れてる……」
「ごめんなさい、お姉さん。至急頼みたいことが……」
「っわ! ってロミアさんですか……脅かさないでください!」
「脅かしたつもりはなかったんですが」
店中の人間が倒れているのだ。
神経質になるのも無理はない。
痛む尻を摩りながら立ち上がるお姉さんに、満を辞して紹介する。
「こちら。僕のパーティーになっていただけるそうなので、その申請を……」
「へぇ、申請ですか。分かりましたではこちらの紙に……って、え!!? パーティー申請ですか!? ロミアさんが!?」
「えぇ。まぁ」
驚かれるのは想定済み。
何せパーティー結成は異例の無刻印だ。
どんな反応も仕方ないものと受け入れる心は昔から出来て──。
「よがっだですねぇぇぇぇ……今までの苦労が実りましたよぉぉぉぉ」
「────」
まさかの大号泣。
これにはさすがのロミアも面喰らう。
横で少女がいいやつじゃないかと笑いながら揶揄ってくる。
ロミアも今日初めて、お姉さんの気持ちを知った。
応援してくれていたという事実に。
お姉さんは涙を服で拭いながら、心配そうに尋ねてきた。
「でも、こう言ってはあれなんですけど。中途半端な実力の冒険者と組まれると迷宮攻略が大変だと、思うのですが……」
「ああ、その問題ならきっと大丈夫です。僕を最弱という基準に当てはめるなら、彼女は最強の部類です。パーティーを作る際の大前提、バランスの点では問題はないかと」
「最強……? それって」
とそこまで言って、少女は黒のローブを脱いで正体を表した。
それは正しく──美少女だった。
褐色の肌に長い耳。種族を判断するには分かりやすすぎる特徴が露出する。
頭に巻いた布から雑にはみ出るプラチナブロンドの髪は、優美さは無いものの美しく人形のように艶やか。
大きく丸い金瞳は宝石が埋められたかの如く輝きに満ちている。
衣装は民族衣装なのか上下一体となったワンピースのような拵えであり、幼さが一層際立っている。
そして、腕につけた黒の腕輪。
それこそ誰もが羨む冒険者の級、五段階中の最高位級、英雄の証。
お姉さんがあわあわと慌てる中、少女は無邪気に笑って言った。
「オマエの髪は長すぎる。このくらいで丁度いいさ」
今度は空間をなぞるように指を走らせれば、頭にかかった重さがなくなった。
地面にサラサラ落ちる髪が証拠、髪を切られたのだ。
「あ……僕の髪」
「へぇ……意外と男前。なに、大事にしてたか?」
「いや……つい、さっきまでの話です」
少女は首を傾げるが、気にするのをやめクククッと微笑んだ。
「さぁ、行こう。今日からワタシ、“竜喰らいのアマンダ”がオマエのパーティーメンバーだ」
部屋に入り込む風が綺麗な髪をたなびかせる。
無邪気な笑顔は悪いことを企んでいそうな悪い笑み。
だがそこに、見たことない世界の扉が隠されているのだと、ロミアは密かに心躍っていた。