0.プロローグ
「ひつじが1匹、ひつじが2匹、ひつじが3匹…」
三歳になった娘のティアが、まだ舌足らずな口ぶりで羊を数えている。
その日私は小さな娘を膝の上に乗せ、丘の上から羊の群れを見下ろしていた。
広大な地面には草木が瑞々しく生い茂り、見渡す空にはどこまでも青が続いている。初夏を感じさせる爽やかな風がさあっと吹き抜けると、ティアのキャメル色の髪の毛がふわりとなびいた。
「ひつじが10匹……」
まだ10より大きな数を知らない娘は、手の指を折り曲げたり伸ばしたりしながら「むう」と唇を尖らせた。
しばらくすると「ひつじが1匹、ひつじが2匹…」とまた頭から数え始めた。一生懸命さが微笑ましい。
(今度10より大きな数も教えてあげよう)
今は一応仕事中だが、温かい日差しと歌うように羊を数える娘の声が心地よくて眠くなってしまった。
……
…………
……………………
「パパ、わたしひつじ飼いになる」
「ん?」
夢の世界に足を踏み入れていたが、娘の唐突な一言でぱっと目が覚めた。
「ひつじ飼いになったら、大人になってもパパとひつじと一緒にいられるでしょう?」
そう言ってティアは私の顔を覗き込んできた。私と同じチェリーブラウン色の瞳がこちらを見詰めている。
無邪気な夢に対して、「そうだね」と答えようかと思った。
だがティアはなぜだか鋭い。「子供には難しいだろう」と思って曖昧なことを言うと、それに気付いてぷんぷん怒る。
全力で怒る姿もかわいいのだが。
「うーん、パパは羊を見る以外のお仕事もしてるから、ティアが羊飼いになったらずっと一緒にはいれないかもしれないなあ」
そう答えると娘は「そうなの…?」と呟いてしょんぼりした顔をした。
だがその直後、「じゃあパパと一緒のお仕事する!」と元気良く口にした。
「そうかあ。じゃあ大きくなったらパパの右腕になってくれたら嬉しいな」
「みぎうで?」
あえて難しい言い方をすると、娘の頭の上にクエスチョンマークが浮かんだ。
笑いながら頭を撫でてやると、気持ち良さそうに目を細めてそのまま寝息を立て始めた。
こんなにかわいい娘も、いつか自分達の元から巣立っていくと思うと寂しくなる。
だが、もしかしたら本当に右腕になって一緒に働くことの出来る日がくるのかもしれない。
そんな未来を想像して口元が緩んだ。