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そら音のイデア  作者: 金田悠真
第2章 母を訪ねて両世界編
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第10話 夜空のうちに



香織の涙が枯れ果て、青黒かった空が純粋な黒に染められた頃。


立ち上がる気力も無くなった香織は未だに流れ続ける流水の音を聞きながら、ゆっくりと全身の力を抜いていった。


何も水分が出ないほど泣き続けたせいかどこかスッキリとして頭は冴えているような気はする。


何度か自身を落ち着かせるために深呼吸を数分繰り返していくと、変な強張りは取れていき、心も体も緊張状態からは少しずつ解き放たれていく。


もっとも、落ち着いたところで元気にはなれないし、変わらず頭の中にはさっきまでのミーティングルームでの光景が絶え間なくフラッシュバックし続けてしまっているのだが。




ココは学校からほど近い。

いつまでもここにいては宮原にまた見つかってしまうかもしれない。


自分の身を守りながら狡猾な手段を取る宮原の事だ、ここで見つけてもまた殴打されるような事はないかもしれないが、それでもあの手この手で香織の逃げ場を無くして連れ戻されてしまうだろう。


それに次はまた暴力だけなのか、また身体を良いように扱われるのか。


もしかすると殺されるのではないか。



先ほどまでの心が壊れるような、身の竦みあがる恐怖では無く、冷静な落ち着いた恐怖を感じた香織はイヤリスに逃げようと決め、ゆっくりと立ち上がった。



大人の男性に思い切り殴られ、涙が出なくなるまで泣き続けた香織の身体は立ち上がる事ですら悲鳴を上げているように頼りなかったが、それでもココに居続けるよりよっぽど安全なはずだ。


出し続けてしまっていた水道を止め、ほんの少しだけ瞳の奥に生命の灯を点したところで、その肩が後ろから不意に掴まれた。



「………っ!いやっ!!!!」


「ひぃっ………!!」


途端に嫌な汗が全身から噴き出してくる。

涙も出ないはずの身体から出てくる冷たい汗は、魂を削ったもののようで、香織はみるみるうちに力が抜けていってまた砂だらけの地面へとその身体をへたり込ませた。


だが、恐怖のあまり動かなくなった顔の前では、相手も同じように驚いて地面にへたり込んでいる。




それは、まるで鏡合わせのようだ。



姿勢は違うのに、何故か恐怖に染まる脳内で、香織はそんな感想を持っていた。





「ご、ごめんな、な……さい」


けれど相手の姿をよく見てみると、恐怖の記憶にいる相手ではなく、数回しか見たことはないが柔らかな印象を持つ人物であり、発した声も震えて頼りのないようなものであった。


「………………あか、ね?」


小太りで天然パーマの男子生徒、香織にきっかけを与えてくれた人間、茜だ。


さらには、先程のミーティングルーム。香織が宮原に組み敷かれた所で何故か机の下から現れて消えていった人間でもある。


「あ、あの………ボク………っ」


初めて会ったときのように彼は地面から起き上がろうともせずに口を動かした。その姿はまるで人生の一大決心のような雰囲気さえ纏っていたのだが。


その言葉が発される前に香織が地面を飛び出し、その香織の倍くらいの体積がある身体へと抱きついていた。



「良かった………無事で………っ。本当に、良かった………っ!!」


枯れ果てた筈の涙は、彼と出会う事で補充されたのだろうか。

彼の肩に顔を押し付けて隠しながらも、両腕はぎゅぅっと彼の首の後ろへと回って離さない。



「や、やっ………ぁの………の………っ」



真っ赤になりながら戸惑う茜は、どうしたら良いかもわからない両手を空中に彷徨わせながらパタパタと動かしていた。


香織は黙って彼に抱きつくだけ、肩は小刻みに震えている。子供にするように肩をさすればいいのだろうか。それとも抱きしめ返したほうがいいのだろうか。


茜は上手く回らない頭で考え続ける。



「ごめんなさい」


けれど、その答えが出るよりも早く、香織の一言によってその思考は中断され、浮き上がっていた両手もゆっくりと下ろされていった。



「ごめんなさい。貴方は何も悪くないのに」


涙は溢れてくるがそれで言葉が途切れてはいけないと、努めてゆっくりと香織は話し続ける。



どうしてあそこにいたのかは知らない。けれど、彼のおかげで助かった上に、あの恐怖の時間を終わらせてくれたのだ。香織には感謝が1番大きな感情であった。


次いで申し訳ないという感情。

本来関係のない茜が蹴られ、追いかけられて。今無事であったことは喜ばしいが、今後の学校生活に間違いなく影響してしまうだろう。男子である分自分のような目には合わないかもしれないが、もしかしたらもっと直接的に痛めつけられてしまうかもしれない。


嫌な思考に怯えるように、香織は抱きしめる力を少しだけ強くさせ、黙って涙を流し始めた。




「あ、あの…………か……ぅ……、五十嵐、さん……」



「……ぐすっ……なに?」


抱きしめたままで返事をしたが、茜はそっと肩を押してくる。そうされて離れて見て初めて、恥ずかしいことをしてしまった、と涙を流しながら香織の頬は赤く染まっていった。


その顔を見ないようにしながら、茜は背負っていたカバンを下ろして中を漁りながら呟いた。


「あの。ボクのため、なんです……」


優しい嘘をつくんだな、と香織が胸を温かくさせていると、彼はスマートフォンと小さな鍵を2つ取り出した。


「宮原、主任は………えっと……自分も色々あって」


目が右に左にと泳ぎながら、彼は必死に言葉を吐き出している様子であった。


手の中のスマートフォンが揺れ、鍵同士が擦れる音が分かるほどに手も震えている。



「だから、五十嵐さんを、利用しました」


すみません、と彼にしてはハッキリと聞こえる声量で謝り、ゆっくりと頭を下げた。


「五十嵐さんが、殴られて…るときも、ボクは飛び出す勇気は無かった」


俯きながらそう語る茜だが、香織はその言葉に苛立ちを覚えることはなかった。


大の大人が感情をあらわに人を殴りつけているのはとてつもない恐怖だ。それは暴力を受けたからこそかもしれないが事実だろう。

そこに腕に自慢があるわけでもない子供が割って入れと言われる方が難しいとさえ思っていた。



「………いえ、飛び出すつもりなんてなかったです」


スマートフォンを少しだけ操作すると、画面の中から扉をぶつけたような音が響き始めた。


そのすぐ後にくぐもった男女の声が聞こえてくる。程なくして扉が開け放たれた音がすると、その声はハッキリと聞こえ始め、目の前の画面には脚が4本映し出された。


「これ、私……?」


画面から顔を上げて茜を見つめると、彼は申し訳なさそうに眉根を寄せたまま頷いた。


「………はい。部屋でずっと撮ってました。………殴られてる時も、ずっと」


だから謝っていたのか、と納得すると、香織には苛立ちや負の感情よりも先に疑問が幾つも出てきてしまう。


画面からは変わらず2人の会話が映し出されているのに、不思議と恐怖がフラッシュバックする事は無く、まるでイヤリスに居るかのように好奇心にもにた疑問だけが浮かび上がる。



「ねぇ、どうして急にこういう事しようと思ったの………?」


香織の小声での質問のすぐ後、スマートフォンがけたたましい音を立てた。

見なくても文字通り痛いほどによくわかる。


自身が殴られた音だろう。

そう思ってしまうと、無意識的に表情は消えていき、声は責め立てるような冷たいものになってしまう。



「生徒指導室が使えないからミーティングルームで。その伝言を茜が聞いたから急にやった、って事?」



「………いえ。……生徒指導室が使えないなんて、嘘です」


茜は懺悔するように小さく呟くと、ゆっくりと夜空を見上げた。そうしてから手のひらにあった鍵を2つ香織に見せてきた。



「あらかじめ、ボクが鍵を盗んで掛けておきました……。五十嵐さんは、しばらく学校に来ていなかったからバレないと思って」


確かに、それには気が付かなかった。

ただでさえイヤな場所である生徒指導室の情報を自分から聞きにいくことなんてするはずもなかった。



「………待って、それじゃあ宮原には?」



「……学校長と話をするため呼ばれてるので鍵を下さいと伝えて……」


そんな事嘘なんですけど、とどこか自嘲したように茜は声を上げて笑った。


彼は気がついていないかもしれないが、その話し方は、いつもとは打って変わって流暢で、まるで原稿を読んでいるかの様ですらあった。



「そこで、少し考えた後に鍵を取ってくれて。………ついでに伝言を頼まれたんです」



なるほど、自分達が使うと言う名目は『母親が行方不明で今後について話す』と言う事だったが、学校長になればそれが事実では無いとバレてしまうからだろうか。


思っていたより茜は強かで賢いのかもしれない。香織はスマートフォンから聞こえてくる自身を痛めつける音を聞きながらゆっくりと目を閉じた。


「本当にすみません。利用するだけ利用しようと思いました」



そうしてゆっくりとまた頭を下げたのは、目を閉じていても何となく伝わってきた。


目蓋の裏にミーティングルームでの出来事が細かく始めから、刻みついた刺青のように離れる事はなかったが、それでも香織はゆっくりと目を閉じて首を横に振った。


「………ううん、やっぱり茜が謝る事じゃ、無いよ」


「いえ、ボクが謝るべき事です」


今できる精一杯で考えて、出来るだけ優しい声を出そうと頑張った香織の数秒は、茜の一言によっていとも簡単にふいにされた。




「………五十嵐さんの為って………いや、自分のためでしたね」





茜はなぜか慌てた様子でそう付け足して自身のスマートフォンを見つめていた。





「五十嵐さんの気持ちなんて、考えてませんでした。あの宮原って奴をなんとかしなきゃ、って」




その気持ちはむしろ嬉しい事であり、謝られることでは無い、と香織はまた首を振ったが、茜の表情が晴れる事はなく、真っ直ぐにスマートフォンを睨み付けている。



香織も釣られて目を向けると、その画面に流れ続ける映像が急に大きく揺れた。


そして先ほどまで映像でも現実でも自身を痛め付けていた宮原が、くっきりとスマートフォン越しに香織を見つめている。


そのあとの問答を見ても、間違いなくミーティングルームでの出来事を一部始終撮っていたのだと確信できた。



きっと彼の事だ。なにも自身が痛めつけられるのが楽しくて趣味で撮影していただとか、捻じ曲がった性癖によるものでも無いだろう。





それに、これをまた武器に宮原と戦えるかもしれない。


初めてそう思えて、香織は痛む顔を少しだけ破顔させた。


まだ負けてはいない。

心の中に少しだけやる気が満ちた時、なんの前触れもなく映像は終了した。




そして。




よく見るなんだかわからないゲームアプリの広告がけたたましく響き始めた。



「………………」


茜は何も言わずに項垂れているようにも見える。


香織はよく見たこの光景は何だったかと考え始めて。


そして数秒かからずにその答えは弾き出された。


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