第1話 物語の始まり
「未来!あなたこんな時間までどこに居たの!今日は見合いを行うと行ったでしょう!」
家。というより屋敷と呼んだほうが正しいのかもしれない。
そんな大きな日本家屋の玄関に立ちヒステリックに叫ぶ妙齢の和服の女性。
うんざりとばかりに顔を歪めて返すと、未来は形式上頭を下げて無言のまま部屋へと戻っていった。
背中に降りかかる声を振り払うように乱暴に襖を閉め部屋に逃げ込むと乱暴に荷物を投げる。
「……うるさい。人の事をちゃんと見もしないくせに……僕は言いなりのお人形じゃないんだ……!」
広々とした和室の扉を開けながら1人呟くと、扉のそばに置いてあるギターケースを抱え、こっそりと窓から庭の暗闇の中へと姿を消していった。
山の奥から街へと鳥のさえずりが移ろい、またこの世界に朝がやってきた。
淡い朝日に照らされたイヤリスの郊外に建てられた少し大きめの木造の建物。
まだ朝靄がかかり、肌寒いくらいの気温の中そこの扉を開けて起き出してきたのは空と未来だ。
二人とも眠そうに瞼をこすりながら並んで井戸から水を汲み、建物内に戻ると洗面台に並びながら歯を磨き始めた。
「お前が俺と同じ時間に起きるなんて珍しいな、未来」
「うん、昨日はアジトに戻ったの夜中だったからね」
空は眠たげに瞼を半分以上閉ざし、未来は長い髪をブラシで梳かしながらそれぞれ手を動かしている。
未来が先に手を止めて口をゆすぐと、口元を優雅に拭いながら鏡ごしに空を見つめた。
「というか、空こそいつもより早くない?いっつも休みの時は昼近くまで寝てるでしょ?」
「まぁな」
空は未だ眠気に勝てないのか、磨くというよりただ単調に動かしていただけの腕を下げると、ぼーっと歯ブラシを咥えながら未来を、というよりは鏡を見つめていた。
「休みじゃないからこの時間なんだよ……。さっきギルドから緊急連絡で起こされたんだ」
「えっ!?この時間に緊急って……なに?魔物?」
気怠げに話す空の言葉に、未来は勢いよく顔を上げて、鏡ではなく直接空の肩を捕まえて顔を近づけた。
「近いよ美少女」
ガン、とすかさず脛を蹴り飛ばした空はだらだらと口をゆすいで口元を濡らしたままその場を離れて扉に背を預けるように立った。
「いたた……っ何するのさ」
「うるせ。俺は悪くねぇ。……魔物じゃなくて、新人さんだと」
「えぇっ!ギルドに……って事。じゃないよね」
緊急連絡なんだし、と脛をさすりながら可愛らしく瞳を潤ませて立ち上がった未来は空と向き合うように腰を洗面台に預け、腕を組んだ。
「そっかぁ、新人さんなんていつぶりだろ……2ヶ月とか?」
「そんな最近ここに来たやつが居たか?」
覚えてないや、と苦笑しあう2人は何故かどこか落ち着かないように空気が悪くなり、言葉を探しながら俯いた。
「FLATのリーダーさんは大変だね」
空気を変えようとわざとらしくからかいながら未来が顔を上げるのと、脛を蹴った音よりも大きな衝突音が鳴ったのは同時だった。
何が起きたのかは理解は出来なかったが、上げた視界の下で、アキレス腱と後頭部を同時に抑えて悶えている空が見えることから、被害者だけは明らかだった。
「あれー?なんかにぶつかった?」
空の向こうにある扉からくぐもった声が聞こえると、また勢いよくその扉が開き、衝突音が響いた。
「いってぇよ!一回で気づいてやめろよ!」
ヨロヨロと起き上がり、空が叫びながら扉を開け放つと、そこには花蓮が立っていた。
「あらー、ごめんなさいねー?邪魔なものは薙ぎ払うが座右の銘なの〜」
楽しげに笑いながら入ってきた花蓮が自身の服に手をかけながらしっし、と男二人に手を振り払う。
「朝風呂するんだから、出て行きなさいっ」
有無を言わせずそのまま背中を押して二人を外に出すと、また勢いよく扉が閉まった。
少しの間扉から布の擦れる音だけが聞こえるほど静かになると、二人は同時に小さいため息をついた。
「………じゃじゃ馬」
「空っ!聞こえてるっ!」
ガン、と扉を蹴ったらしい音に笑いながら空が離れていくと、未来も呆れたように息をもう一度吐いてから後を追いかけた。
リビングにやって来ると、そこにはテーブルに突っ伏しながら二度寝をしている亜紀と甲斐甲斐しく朝食を準備している瑠奈の姿があった。
「おはよう、2人とも。パンがいい?ワッフルもあるよ?」
瑠奈の手に収まっている巨大なボウルには、色取り取りの野菜がこれでもかと積まれていた。
とはいっても乱雑ではなく、彩りも考えられており、野菜の質もいいのか輝いて見えるほどのサラダであった。
「瑠奈、悪い。俺今日朝飯いらない…ギルドに呼び出されたんだ、持って行くワッフルだけ用意しておいて」
ぽん、と瑠奈の肩を叩いてリビングをスルーした空は階段をゆっくりと上ってその姿を自身の部屋へと消していった。
「呼び出しって…何かしたの?」
不思議そうにしながらも、言われた通りワッフルを温めてから持ち運びのバスケットに詰めていく瑠奈。
このFLATの母のような存在の彼女は、これくらいで戸惑ったりはしないらしい。
「………新人さん、だって」
「えぇっ!?新人さん……そっかぁ」
なんとも言えずどこか悲しそうな声を上げて驚いた彼女だったが、その身体は甲斐甲斐しく動き続けており、椅子に座った未来の前にもパンとハムエッグ、サラダにコーンスープと次々に美味しそうな料理が並んで行った。
「何もないといいんだけどね」
そう呟いた未来の一言は、手に持つコーヒーのカップの中にゆっくりと沈んで溶けていった。