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そら音のイデア  作者: 金田悠真
第1章 慣れていく非日常編
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第10話 香織の現実世界 3

 


「あ、の。本当に大丈夫ですか?」


 いつまでも握り返されない手に心配になった香織は改めて声を潜めてしゃがみこんだ。


「どこかお怪我とか……」


 何も上手くいかないのか、と心の中で泣き出しそうになった香織は、それでも気遣いを忘れずに男性を覗き込んだ。


 小刻みに唇を震わせながら顔を隠す前髪をぐしゃぐしゃと掻きむしった男性は、僅かに首を横に振った。


「だ、だいじょぶ……です」


 首の動きは極小で震えているだけかもしれない。さらにその言葉はとてもか細くて街中を吹き抜けるそよ風にすら打ち消されてしまうようなものであった。


 急に音が聞こえるほどに息を吸い込んだかと思うと、男性は勢いよく立ち上がった。


「ほ、ほら……だいじょぶですよっ……!あはは」


 愛想笑いや安心させるための笑顔と言うよりは、原稿を読んだ様な棒読みの笑い方。

 不思議な人だな、と苦笑しながら香織はゆっくりと立ち上がって男性のつま先から頭まで軽く目を動かす。


「でも汚れちゃった……すみません。ぼーっとしてて」


 改めて頭を下げた香織だったが、いつまでも男性からの返答は無かった。

 顔色を伺う様にゆっくりと頭をあげるが、それでも男性は口だけをパクパクと動かして香織の斜め下を見つめていただけで、全く反応は無かった。


 その様子を不審そうに見ていた香織だったが、男性が立ち上がり全身が見えるととあることに気がついてしまう。


 女性である香織より数cm下である彼の身長。その全身には香織の見覚えのある衣服。通っている高校の学生服が纏われていた。


「あれ……芦部(あしべ)高校の制服…?」


 別に制服が珍しいわけではない。

 イヤリスからそのままここまで来てしまった香織も学生服であるし、何よりここは通学路だ。

 実際に通っている中学生から高校生まで、皆通る様な道でもある。


 だがしかし、本日は平日の昼下がり。香織の様に特殊な事情があるならともかく、彼がここにいる理由が全くわからなかった。


「………ぁ………ぅ」


 香織の呟きに、バツが悪そうに俯く角度を深くした彼は、言葉にならない音を喉から産み出していた。


 その会話ができなさそうな様子と、この時間帯にもかかわらず学校にいない事から何かあったのだろうと自分を納得させた香織は、軽く愛想笑いをして手を振った。


「ごめんなさい、私も制服なのにここに居るから…お互い様ですよね」


 違う世界に行っていたから仕方ないとはとても言えないし、幸いこの男子生徒と香織の間には面識はない。少なくとも香織が中学から見てきた四年間には存在していないため、なんとなく誤魔化してそのままその場を離れることにした。


 軽く会釈してその男子生徒の脇を通り過ぎようとした時、彼の小さくか細い声が風に乗って香織の耳へと届いた。


「ぁ…な、なにか…ぁったんですか………?」


 その突然で脈絡のない言葉に驚きながらも横に首を向けると、彼はまだアスファルトを見つめたままモゴモゴと口を動かしている。


「し、し、C組の五十嵐さん、ですよね……っ、行方、不明だって…噂で……さっき、おかあ、さんが」


「お母さんっ!?」


 詰まりながら要領の得ない言葉だったが、その言葉の端から聞き逃せない言葉を聞いて香織は一歩前に出てしまった。


 その仕草で驚かせてしまったのだろう。男子生徒は震えながらものすごい勢いで三歩ほど

 香織から距離をとった。


「あ母さんが、学校に来てたのっ!?今!?何分前くらい!?」


 母がやはり心配していたのだ。無意識ながらに安心と喜びを感じながら香織は質問を矢継ぎ早にぶつけていく。

 反応はしてくれるのが、先程香織のせいで開いてしまった三歩分の距離では、彼の言葉が届くことは無かった。


 ほんの少しだけ苛立ちながら彼に歩み寄ると、等間隔で彼は脚を後ろに下げていってしまう。


「ねぇ、お願い…!今から走ったら間に合う?」


 そう話しながら香織はちらっと通学路の先を睨みつける。まだ距離があるとは言え、もし母が来ていたのが先程なら充分に間に合う事が出来る距離だ。


「まに、あう…って?」


 戸惑ったような言葉とこちらの顔色を伺うような表情だが、男子生徒の声は何とか香織に届いた。


「だから、さっきお母さんが来てたんでしょうっ!?……今学校に行ったら間に合うのかって聞いてるの!」



「………っ、………ぇ…」



 まくし立てた香織に本格的に怖がってしまったように男子生徒は戸惑ってまた小さく喉を鳴らす。


 ラチがあかないと判断をした香織は早口でお礼だけ告げ、また彼の横を走り抜けようと脚を動かした。

 けれども、また彼のつぶやきが香織の脚を、思考を止めてしまう。



「ぁの……大変なのは、分かりますから…落ち着いて」



 香織の耳が慣れてきたのか彼の言葉が幾分か聞きやすくなっている。けれど思考と感情は付いて来ず、香織は彼を睨みつけた。


「何が大変なのか分からないでしょ。お母さんに会いたいだけ」


 香織にとってその言葉はとても許せるようなものでは無かった。

 母がいるはずなのに会えない不安と、学校にーー教師にどんな事をされてるのかも知りもしないでそう告げた彼に、香織は吐き捨てるようにそう告げた。


 対する彼の返答は、相変わらず要領を得なかったが、それでも香織の思考を奪うのに十分すぎる言葉だった。


「ぅ、ぅん……お母さんが、行方不明で心配なのは、わかる、けど……学校には、いない、と思う」



 ごめんね、と改めて辛い事実を突きつけてしまった、とそう呟く彼は、また俯いて唇を引きむすんでしまった。


 その頼りなく微かにしか動かない唇は、今何と言った?


 香織はまた脚を彼に向ける。


 彼はまた後ずさるが、それに追いすがるように香織は走りだし、彼の両肩を思い切り捕まえる。



「お母さんが……行方不明?」


 何を言っているんだ。

 1ヶ月弱イヤリスの街に『逃げて』いたのは自分の方であるし、その自分もこうやって現実世界に帰ってきている。


 香織の認識ではそれで間違い無いはずなのだが、彼から出た言葉は全くの逆だった。



「ぇ……ちがう、の?……おかあさんが、行方不明で大変だから……その、き、休学届け、を……だしたって……み、みやはら学年主任、が」



 宮原。



 忘れるわけない。その名前を。



 立場が弱くなった私をいいように使っていた最低のクズの名前だ。



 また、その名前が重たい槌となって香織の心を、脳を激しく揺さぶった。


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