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そら音のイデア  作者: 金田悠真
第1章 慣れていく非日常編
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第2話 芝生の聖母

 


 瑠奈がアジトを飛び出した時、マナリスではこの1週間続いていた光景が、今日も変わらず広がっていた。


 コンクリート造りの床に直接あぐらをかき、開いているか分からない老人の目を見つめ、メモを片手に話し続ける少女。

 もっとも、マナリスの中に人がいる事は少ないため、その光景を見届ける人物はいなかった。


「おじいさんは、昨日の夜は何して過ごしてましたか?」


 手元のメモには一言一句逃さずに老人の言葉が追加されていく。


 だがしかし、そこにはなんの関連性も一貫性も見受けられなかった。


 質問に対する答えは期待していないのだろう。香織は、質問自体は適当に決めているようだった。


 最初こそ、この世界についてや、イヤリスの中でも異質なこの建物について質問を繰り返したが、芳しい結果が残されなかったためである。


「おー、理沙や。ゼリー食べるかい?」


 プルプルと震えながらポケットに手を入れる老人。

 手元を見ずにメモを増やしながらほんの少しだけ距離を詰めていく香織だったが、どうやら今日も何も成果はなさそうだった。


「ゼリー頂けるんですか?」


「そうじゃなぁ。アレは儂が15歳の頃、世界を股にかけるストリッパーだった頃じゃよ。空を飛びながら服を投げつけて魔王を討伐したんじゃ」


 荒唐無稽な言葉たち。

 最早香織には慣れっこだったようで、戸惑いを感じる事もなく、ペンを動かしながら会話を試みる。


 だがまたしても返ってくるのは会話とも言えない言葉だけで。

 内心で何度もため息はついたが、目の前の老人が香織に何か伝えてくれるような事はまだ無かった。


 香織が1週間、マナリスに通い詰めてわかった事は、住民が噂するほど老人がボケてはいないだろうという予想だけだった。


 いや、ボケてはいるのかもしれない。会話も成り立たないし、内容も全く香織には訳が分からなかった。自分を呼ぶ名前も毎回変わる。


 それでも老人ははっきりと言葉を話すし、話し始めると止まらないほどに彼は饒舌だった。


 奥さんの話や娘の話。初めてできた孫の話。

 様々な話をしてくれたが、それについて質問してもより詳しい事は話してはくれなかった。

 さらに言えば、その話をした事すら覚えておらず、その記憶が本当にあったことのかも怪しいものだ。


 香織は目の前でなんだかよく分からない魔王について話す老人の話をメモしながら、今まで話してくれた記憶を思い起こす。


 今は12歳でストリッパーに弟子入りした時の話をしているが、以前はその年齢の時はパイロットであったとか、今自分は8歳で小学校に行くのが楽しみだとか。


 まるでおもちゃ箱のように毎日違う話が飛び出してくるし、どれも信用など絶対にできない話ばかりだ。


 それでも、香織は何故かマナリスに来る事はやめなかった。


 常識的に信用が出来ないなど、香織の中では話を聞かない理由にはなり得なかったのだ。


 毎日同じように学校に通っていた彼女が、今は魔法があり、魔物がいる世界で生活をしている。

 常識などというものは、とっくに崩れ去っていったのかもしれなかった。





 全く止まらない話がひと段落ついたのは、いつもと同じ昼過ぎのことであった。


 また明日も来る、と告げてマナリスを後にした香織は、何となく建物の周りをぐるりと回って散歩をし始める。


 するとギルドの隣ともあってそこそこ人通りがある街道とは反対側。マナリスの裏側に1人の女性が草むらに座り込んでじっと建物の方を見つめていた。


 おっとりとした顔立ちに部屋着のような緩い格好。その布の中には男性が見たら盛り上がるであろうほどに豊満な体が見て取れた。


「あ、どうも…」


 まじまじと見るのも失礼だと踵を返そうとした時、目が合ってしまった女性が軽く会釈をしてきてしまう。


「香織ちゃん?…こんにちは」


 どこか潤んだ瞳で見つめる彼女は、静かに頭を下げてまたぼーっとマナリスの裏側を見つめ始める。


 不意に知らない人物に名を呼ばれ、気になってしまった香織も倣って建物の背面を見ると、そこには落書きのように何もないコンクリートの壁に大きく扉の絵が描かれていた。


 女性である香織も勿論だが、男性でも絶対に届かない高さまで扉の絵が描かれており、呼吸をするように青白く明滅を繰り返している。

 幻想的ーー魔法のある世界なのだからその言葉もどこかずれているのだがーーな景色ではあるが奇麗なわけでもないし、ただ単調に明滅するのは本当に呼吸のように一定だった。


「あの…ここで何を?」


 放っておけばこのままいつまでもここにいそうな儚い空気を纏う女性に興味を惹かれた香織は、自身の名前を呼ばれたことなど思考の外に追いやりながら言葉を投げかける。


「…………なんだろう」


 自分に呆れたように苦笑いを浮かべた彼女は、ゆっくりと体育座りをしながら、その豊満な胸を膝で押しつぶすように小さく丸くなってしまった。


 そのまま、女性はすっぽりと脚の間に顔を入れて辟易とした様子で喉を震わせ始めていく。


「ごめんね?…変な人だと思わないで欲しい、です」


「それは……約束できかねますが…」


 何の面白みも感じられない所にずっと居た様子で、理由を聞くとそれも特に分からないという。

 変わった人だと思ってしまうのは致し方ないだろう。


 香織のその返答にようやく少しだけ顔を上げて笑った女性は、そのまま離れて芝生に立っている香織に小さく手招きをした。


「少しお話ししましょ?」


 柔らかい、母のような笑みを浮かべる彼女に、香織は考えるそぶりもなく頷くとゆっくりと移動して腰を据えた。


「はじめまして。FLATの瑠奈です。真山瑠奈」


 真山瑠奈(まやまるな)。彼女はそう名乗ると、胸元を弄ってペンダントを取り出した。首にかかったピンクのそれは、この世界に来た日に香織が見たものと同じデザインで。自己紹介とも一致した情報に、なるほど、と一つ頷いてみせた。


「空さんや未来さんの仲間の方ですね?自警団とやらの…」


「はい。自警団とは言うけれど…みんなで何でも屋をやってるだけですよ?」


 どこか恥ずかしそうに掌を頬に当てて首を振ると、また視線を建物の裏にある模様へと視線を向ける瑠奈。

 会話している間とは打って変わって、一瞬でまた儚げな表情を浮かべながら2度3度とゆっくり瞬きをした。


「あの…この模様は何なんでしょう?」


「えっ?……空くんから聞いてないのっ??」


「???…はい、特には」


 聞いていなかったはずだ。と言うより、特別この世界について深く教えてもらった記憶はあまり持ち合わせていない。


 久し振りのまともな会話にどこか嬉しそうにメモを広げると、どこかキラキラとしながらも真剣な顔で壁と瑠奈を交互に視線を送る。


 驚いている様子が不思議ではあったが、そのまま回答を待ってみることにした。


「えっと…それじゃ、まだ一回もあっちに帰ってない、んですか?」


「はい…この世界にいればわかることがあるって…空さんと一緒にいた着物の女性に言われて」


 一回だけ、一瞬帰りましたけど、と補足した香織の返答にくすくすと可笑しそうに口元をゆるく握った拳で隠しながら笑い始めた瑠奈。

 何か変な事を言ったつもりはないぞ、と少しだけ気にしてしまったのが伝わったのか、彼女たちはすぐに軽く頭を下げた。


「ごめんね?香織ちゃんを笑ったわけじゃないよ?」


 香織から見て、瑠奈は第一印象から少し変わってきていた。

 柔らかく笑う彼女は同性から見ても嫌味が無い上、女性的な見た目も相まってかとても魅力的に映っている。


「未来くんだね、着物の女の子って」


「あ、そうです。そんな名前……」


 同意しかけた香織だったが、一瞬感じた違和感を晴らすべくオウム返しを試みる。


「…くん、ですか?」


「ふふ、うん。未来くん。男の子だよ?」


 男の子。

 男。

 あれだ。自分にはないモノが付いていて、女を見る目が不快極まりない存在だ、と。


 そう頭の中で整理していくと、1週間で驚きには慣れたはずの香織は脱力しながら乾いた笑いを上げ始めた。


「はは、あんな美人いるんだーって思ってたんですけどね。男の子、ですか」


「ほんと、ズルイよね。なんの手入れもしないであんな見た目なんだもん…!」


 少し頬を膨らませて拗ねたような表情を作る瑠奈は口調も砕け始め、どこかリラックスしたように力を抜いていた。


 ようやく瑠奈の素の顔が観る事が出来た、とどこか達成感を感じる香織。

 それはこの1週間全く感じる事のなかった感情で、久し振りにその昂りに舞い上がるように顔を寄せる。


 その時、後ろで何かが芝生に着地するような音が響いた。

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