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『或る小説的思想集』

『消失する観念と再生する観念の、思想』

『消失する観念と再生する観念の、思想』



例えば此処に、消失した観念があるとする。誰もこの観念に手を差し伸べようとはしない。

暗黙の了解で放置され、土へと帰っていくし、その現象も垣間見れない。

それでも、確かに観念は在ったのだ。消失する前までは、生き生きとした観念だったのだ。



こういう不自然な現象を、誰も直視せずに、当たり前の循環として捉えている。

しかし、その観念をその人相応に、創造した人物がいる訳で、もしかすると死の淵で、その観念を使用しているかもしれない。

観念は時代と共に消失するが、それを使用していた人間がいたことを頭に置くべきだ。



その消失した観念を書物にしておくと、後世、その書物から観念を学んだ者に、生かされるかもしれない。

当たり前という現象は、時代時代によって、異なるから、一周回って、異なった時代の人の為になる。

その場合、消失した観念は、後世の人の中で、再生するのである。



再生された観念は、まだ色あせない消失した観念に新しさを備えて、よみがえる。

まさに、その観念を創造した人が、あの世で浮かばれる瞬間である。

死後の世界から、笑いと共に、共感の意志が聞こえてくるであろうし、観念の意味の創造主体は、驚いている。



この様に、消失する観念があれば、再生する観念もある訳で、こういった観念運動を、一つの思想というべきか。

それにしても、時代というのは不可思議なもので、自身の子孫が、自分よりも前の時代の思想を持つことがある。

両親ではなく、祖父母に可愛がられた子供は、両親よりも前の思想的観念を抱いて育つことがある。



時代錯誤とは言われようとも、本人がそういう観念を持っているというのだから、仕方がない。

そういった、時代と、観念と、それらを包括した思想とは、真に奇妙な動きをする。


つまり、述べてきた、消失する観念と再生する観念の、思想とは、摩訶不思議な現象なのである。

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