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9話:中村さんの葬儀と遺産、奥さんの退職

 1995年1月25日、午前10時、熱海の崇福寺で熱海の歌姫、中村小夜子さんの告別式を執り行いますと友人代表・石津健之助と書いて新聞に載せ連絡先の電話番号を書いた。すると、数多くの電話がかかり、多くの人が感心を持ってくれた。告別式当日は快晴の日で9時半頃から続々と人が集まり石津三千子さんと管理人さんが受付をして石津健之助が喪主として告別式を行った。同じマンションの加納夫妻も来られていた。


 受付では中村小夜子さんの歌を聞いて励まされた感動したとか言う参列者が多く香典も多くもらい石津夫妻が中村小夜子さんの、お墓を寺の住職に言って建ててもらった。葬儀が全て終わり手伝ってもらった人達に、お礼を言って告別式を終えた。翌日、中村小夜子さんのお墓の前で、石津夫妻が、無事、葬儀が終わりましたと、手をあわせると、まるで、お日様が喜んでいるかの様に雲間から眩しい光が差し込んだ。


 きっと中村小夜子さんが喜んでくれているんくれているんだわと石津三千子が言うと石津健之助は思わず目に涙を浮かべ奥さんをしっかりと抱きしめた。その後、家に帰り、翌週の月曜日、石津健之助が、遺産の明細と手続きを取ってくるからと奥さんに言った。駿河銀行・熱海支店で遺書を銀行員に見せ貸金庫を空けてもらいダイヤモンドとプラチナの指輪、サファイア、ルビー、エメラルド、大粒の黒真珠のネックレスと10kgの金のマリア像が入っていた。


 預金通帳には3255万円と記帳されていた。全額を石津健之助の三菱UFJ銀行に送金してもらった。貸金庫の宝石類は、持参した袋に入れて所定の書類にハンコを押してもらった。銀行で金の保管について聞くと金は専門の業者さんに保管して金の価格が高くなったら買ってもらう方法が一般的ですと教えてくれた。そこで田中貴金属に話を聞くと保管料が年間1万円で買い取り価格は、金価格に比例して動くので、うちで保管して売る方が安心ですよと言った。


 その日の晩、奥さんが帰ってきて宝石を見ると何て立派なのと驚いていた。これらの宝石、使うと聞くと、いや残しておいても仕方ないから金以外は売りましょと言った。そこで金の保管と売却方法について聞いたこと話すと、明日、東京へ行き金のマリア像を保管してきて下さいと言われた。一緒に宝石も売ってきて下さいと言われて、翌日、東海道線で東京・銀座の田中貴金属へ行き金の保管手続きなどを聞いた。


 宝石の買い取りの店を3件程、回り、一番高い値段の店にダイヤモンドとプラチナの指輪とサファイア、トパース、大粒の黒真珠のネックレス合計78万円で売ってきた。家に着くと既に奥さんが帰ってきて78万円で売れたというと驚いていた。その後、石津健之助の口座に3255万円が振り込まれ、資産が1億7千万円と10kgの金のマリア像になった。


 この日は奥さんは仕事で疲れた様で看護婦の仕事きついから辞めたいと言いだし奥さんの考えを尊重するよと答えた。冬の熱海は日射しが良い日には南向きの部屋は20度を超す程、暖かくなる。冬の熱海は忙しい1月末から、あたみ桜、糸川桜まつりと熱海梅園梅まつりが同時に行われる。1996年3月入り石津三千子さんは病院を退職することを決めた様で1995年3月末付けでの退職願を病院に提出し正式に受理された。


 3月が終わると今度は富士吉田から山梨に入り桃の花の見頃、きれいなピンクの桃の花が咲き誇る。今年も石津夫妻はレンタカーを借り熱海から来宮駅前を通り熱海街道を十国峠から箱根峠を抜けて右手に芦ノ湖を見ながら湖尻峠、長尾峠を抜けて御殿場へ御殿場から東富士五湖道路を端に山中湖を右に見て北上し河口湖へ行き河口湖大橋を渡り、更に北上して、御坂みちを走り一宮御坂インターへと続く、そこからは、桃の花の広い畑が続き、まさに桃源郷となる。


 遠くから見て近くで桃、桃の花は実に美しいものだ。一通り見終わり、近くのレストランで昼食をとり、一休みし、来た道を帰っていけば、3-4時には、熱海に戻れる。1995年4月に、橫浜の中華街で昼食をとった。その後、運動のため、元町の急坂を上がり、海の見える丘公園から、外人墓地、山手の洋館、エリスマン邸、べーリックホールを見て、今度は、元町に続く急な下り坂と階段を降りて元町に出て、カフェでお茶して休息を取り、石川町駅から横浜経由で熱海に帰った。


 石津健之助は、奥さんが退職したのを機にスカイライン2000GTの新車を買って、早朝、鎌倉から、由比ヶ浜、稲村ヶ崎、七里ヶ浜から江ノ島、更に海岸線を鵠沼、茅ヶ崎サザンビーチ、平塚、大磯を走り、西湘二宮から西湘バイパスに入る頃には、前方に富士山、左に相模湾を見ながら西湘バイパスの早川の分岐点を直進し、根府川、真鶴、湯河原、熱海に戻るドライブを楽しんだ。


 1995年6月15日朝、株投資の石本聡さんから電話でソニー株を3750円で1万株、3750万円で買うようにと連絡があり、N証券の担当者に指示すると、買えたと連絡があった。1995年7月、8月の暑い日は、東富士五湖道路を使い、高原の涼しい場所へ、涼みに行った。8月、夏本番になると、御殿場、富士吉田を抜けて、山梨県に入り、韮崎から、避暑地、清里で、涼しい夏を満喫し、夜遅く、熱海に帰ってるドライブに出かけた。


 やがて9月に入り、加納夫妻のカラマラン・クルーザーヨットに、石津健之助が、奥さんを誘って、酔いそうになったら、すぐに岸に戻るという条件で、誘うと、怖いけど、興味があると言い、乗り込み、伊東までのショートクルーズに出かけた。夏の海は、穏やかで、天気も良く、加納さんのカタマラン・クルーザーヨットは、安定性の高い双胴型で、揺れが少ないのが特長であり、全く、船酔いせずに、1時間ほどで、熱海に帰ってきた。


 秋が深まり1995年11月15日、早朝、車で清里高原へ向かい高原の一足早い紅葉を見に行くと色づいた木々が、おりなす素晴らしい自然の色のコントラストに、しばし、時を忘れて感動した。その後、諏訪湖に出て信州そばを食べ、出始めた信州のサンふじリンゴを10kgの箱を買って熱海に帰り、お世話になってる管理人さんや、加納夫妻に配ると、喜んでもらった。やがて12月が巡ってきて長年親交のあった中村小夜子さんと、お別れした1995年が終わり1996年を迎えた。

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