5話:豪州と旅行と人助け
投資なんて、経験ないし、お金も、あまり多くないので、辞退しますと言うと、いや、そう言う人程、将来のために、お金を増やすべきなのですと説明し始めたので、私には自信がないというと、私が教えてあげると言い、電話番号を教えてくれと言うので、教えた。すると、熱海のN証券にお金を入れといて下さいと言われ、どの位、必要ですかというと聞くといくら、お持ちですかと聞くので約1億円というと、半分の5千万円、入金してと言われ、了解した。
その後、8月12日電話が入り、伊藤忠商事を345円で6万株買いを入れろと言われた。それをN証券の担当者に指示すると10分後、345円で6万株、2070万円で買え、残金が2930万円と連絡が入った。その後、1992年9月、パスポートを取ってオーストラリアと旅行を企画した。9月2日に成田からシドニーに飛んでオペラハウスをみたり、動物園に行ったり水族館を見て回った。シドニーから、メルボルンに行き観光してゴールドコースト、ブリスベーンとケアンズへ移動して観光して回った。
特に印象深かったのはメルボルンのきれいな町並みとゴールドコーストの長くてきれいな海岸線、ケアンズでは、グレートバリアリーの透明度の高い、きれいな海だった。今回は訪問しないが、アデレード、パース、ダーウィン、タスマニア、エアーズロックなど、まだまだ、多い様で、また、是非、訪問して、できたら、日本の反対側なので、暑い夏の避暑に、寒い冬の避寒の為に、また来たいと、石津夫婦は考えた。そして9月10日、7日間にわたる、豪州旅行を終えて、日本に帰ってきた。
奥さんの石津三千子さんが湯河原厚生年金病院の看護婦として就職したいと言い出したので石津が了解した。実は石津三千子も看護婦になって20年以上のベテランで預金も6千万円もあり特に無理して働かなくても食べていけるが人のために看護婦の道を選んだので夜勤は免除してもらい。今までの経歴も考慮されて年収500万円を越える収入をもらえた。その後、伊東温泉に行ったり、沼津、三島に行ったり、箱根に行ったりして、毎週のように、休日、2人で出かけた。
そうして1992年9月25日、同じマンションで、1人住まいの中村小夜子さんと言う79歳の女性が倒れたと管理人さんから石津三千子に連絡が入り見て欲しいと言われ、血圧計をもって部屋へ行くと貧血で倒れていた。熱海の病院に連絡し処置をして回復したが食欲がなく、この数日、余り食べていないと言った。もともと低血圧で悪化したようだった。その後、お礼に来て、中村小夜子さんが、昔、大部屋の映画俳優で、先立たれた旦那さんとともに12年前に熱海に引っ越して来たと言った。
最近、うつ状態で、たまに貧血になったりして困っていた様だ。すぐ近くに看護婦さんがいて、本当に安心だと喜んでくれ夕飯のおかずを持って来てくれた。料理好きで、いろいろ作るが食べてもらえる人がいないのよと、悲しそうに言うので奥さんの石津三千子さんが、私、料理苦手だから美味しい料理作れる人は羨ましいと言うと、その後、頻繁に夕飯のおかずの、おっそ分けを、持って来てくれ、お返しに、石津健之助が作った料理を持って行くようになり、親しくなっていった。
そして、たまに横浜に行く時、一緒に3人で出かけ誕生日は橫浜の有名な洋食の美味しい店に行ったり、中華街の名店に行ったりするようになった。中村小夜子さんは、旦那さんが、有名な俳優だったので、多額の資産を持っているので、以前は、いろんな名店を巡ったり、ヨーロッパ、アメリカを旅行したり、長期間のクルーズに行ったりしていたと話してくれるようになった。石津夫妻と仲良くなった。中村小夜子さんは歌が上手でレコードも以前、何枚か出したようだ。
そうして、7月には、元気を取り戻した。そのうちに、中村小夜子さんが、カラオケに通って、歌を練習して、マンションの会合の時に「懐かしの名曲の昨夜」という名のショーを1992年秋から、年に4回、開くと以前の彼女を知ってると言う、中高年のファンが増えて、1992年10月15日に、大きなホテルの舞台で、歌謡ショーをすることになり、100人分の席を用意したが、1週間で完売したようだ。もちろん、石津夫婦には無料で招待してくれ、十分楽しませてもらった。
そうして、中村小夜子さんは、昨年とは打って変わって生気がみなぎって、すっかり元気を取り戻した。人前に出るって本当に重要な事だと石津夫妻は中村小夜子さんに教えられた気がした。その後、休日に、石津夫妻は、中村小夜子さんに連れられて、日比谷の帝国ホテルやパレスホテル、ホテルニューオータニ、橫浜のホテルニューグランドのランチを食べて歩くようになり、冬には、ふぐの名店にも連れて行ってもらい、本当に楽しい時間を過ごし、視野が広がった。
1993年の正月は、鎌倉プリンスホテルで昼食をとり、タクシーで鎌倉から江ノ島までドライブを楽しんで、3人の誕生日の近い休日に、バースデーパーティーをしたり、クリスマスパーティーなども楽しんだ。1993年1月19日、石本聡君から電話が入り、同じ伊藤忠商事を388円で6万株買いを入れろと言われ、その通りに、N証券に伝えた。すぐに、買えたらしく、388円で6万株、2328万円で買えて、残金が602万円だと言われた。
1993年2月、石津夫婦と中村小夜子の3人で2泊3日で沖縄へ避寒の旅に出かけた。1993年2月16日に羽田から那覇に到着し、レンタカーを借りて石津健之助が運転し名護市にある、ザ・ブセナテラスという沖縄で最高級の景色の素晴らしいホテルに到着し、ホテルの前の海に上がる朝日を眺めたり、ホテルの敷地の南国独特の植物を昼間に散歩して見て回った。ここが本当に日本なのかと疑いたくなるような素晴らしい景色に、感動し、海に沈む夕日を見て、冷たいカクテルをレストランで飲んでいると、なんとも言えない充実感というか満足感に浸る3人だった。翌日、朝食後、10時にチェックアウトしホテルのカフェで、お茶してレンタカーで万座毛という名所を巡った。
その後、残波岬の景色を見ながら読谷村の日航アリビラに12時過ぎに到着して、ゆっくり昼食をとって、チェックインして、ホテルの前のビーチを散歩して、3時過ぎに、カフェで、お茶して、夕飯まで、部屋でゆっくり休んでシャワーを浴びて、ホテル内のレストランで泡盛を飲みながら、沖縄特産のアグー豚のステーキをいただいた。翌朝もホテルの前のビーチや庭を散歩し、9時前にチェックアウトして、12時過ぎの那覇空港の飛行機で羽田空港へ、その後、2月20日、夜5時過ぎに熱海のマンションに着いた。