28話:東日本大震災とこども食堂1
震災後の原発事故で、故郷から避難命令が出た、福島の人達の中には、農業を続けられず、首つり自殺を図った人もいたようだ。それでも、略奪や強盗が頻発することもなく、コンビニに整然と並んで、買い物をする人達を見て、世界中の人々が、驚嘆した様だ。その後、東北でガソリンや灯油が不足して、寒い東北で、苦しんでいる人が多いのを知って、JRを使い、新潟方面から、盛岡へ、日本最大の橫浜の日本石油・根岸製油所から貨物列車で、地震発生後の8日後の3月19日、午前9時45分に盛岡貨物ターミナル駅に、ガソリン、灯油が、届けられた。この光景を見て石津夫妻は、涙を流してJRの鉄道員に感謝した。
東日本大震災からの復興の動きが出てきて、被災地へ通じる道路が、開通すると続々と東北へ、自衛隊や民間のボランティア、炊きだし部隊、食料を送るトラックが続々と届き始めた。被災者の避難受け入れを、首都圏で公営住宅を提供したり、多くの施設を開放して、移り住んでもらった。それでも、福島の原発から近い地域では、高濃度の放射能
のため、長い間、帰宅困難地域への出入りが禁じられた。そして多くの家畜の命が失われ、現地の農家の人々の苦悩の日々を送らねばならなかった。
平成芙蓉会でも、募金活動を継続して、行い、特に、震災孤児のための支援を積極的に行い、バザーを数回行い、石津夫妻の500万円を含め、総合計1500万円を送金した。海外からは、特に台湾での、テレビ放送での募金活動が話題となり、隣の大国、中国や韓国の数倍の規模の募金を送ってくれた。その後、我に返り、熱海市内の平成芙蓉会の仲間に連絡すると、大きな被害もなく無事であることがわかった。もちろん、この出来事で、平成芙蓉会の会合が3ヶ月間中止になり再会されたのは7月中旬だった。
7月の熱海で、平成芙蓉会に出席して石津健之助は自分よりも先輩の5人の70代以上の方に東日本大震災についての意見を聞くと、全員が震災孤児の問題が大きなテーマだと言い、将来の日本のことを考えると、震災孤児に対して、援助すべきだと言った。そこで、平成芙蓉会で募金を募り、百万円を集めて、東日本震災孤児基金に送った。東日本大震災で親を亡くした、震災孤児に積極的に、募金活動を奨めようと平成芙蓉会の会合で石津夫妻が2012年6月に「NPO未来の子供へ」というNPOを立ち上げると言い、積極的に協力してくれるようにお願いした。
その後、東京都庁へ行ってNPO設立の手続きを取り、その年の秋に正式に発足して、平成芙蓉会として募金を石津夫妻が、「NPO未来の子供へ」を通じて震災孤児の子供の教育資金として5百万円を集め送金した。2011年7月以降は、以前通り、麻雀と、釣りに出かけて、石津健之助は、いつもの生活に戻った。奥さんは、7月から、今年もバンクーバーとシアトルからアラスカクルーズの手伝いに7月4日に日本を出発して9月中旬までクルーズ船にのって、看護の仕事に当たる事にした。
東日本大震災後、やっと平成芙蓉会の仲間と、車で、西伊豆、南伊豆に出かけて、釣りを教えていた。 そして、暑い夏を過ごして、9月16日に、奥さんが、家に戻ってきた。
その後、東京、銀座、橫浜へ行って、食事したり買い物する生活を謳歌して、涼しくなってきた。2011年11月を迎え寒くなった。2012年から、また、クルーズ船の看護婦としての仕事を始める決意をして、旅行会社に連絡し、1月中旬から、ロサンゼルスからのメキシコクルーズの手伝いに3月中旬まで出かけていった。
平成芙蓉会の2012年1月18日の会合で、NPO開設の話をすると、金融界出身の佐山浩介さん65歳、食品関連の商社員だった、武田益男さん66歳、インターネットの達人の寺田博子、康男夫妻が賛同してくれて、「NPO未来の子供へ」のために、佐山浩介さんと寺田夫妻がクラウドファンディングを募ってくれた。また、武田さんが、こども食堂に協力的な5つの企業を探して来て、タイアップして活動する事を決めた。また、この運動に賛同して、年に6回の不要品持ち寄りのバザーを東京と橫浜で行う事を決めた。1ヶ月後、クラウドファンディングで2千万円が集まった。
2013年2月に、金価格が上昇して、1g5000円で10kgの金を石津健之助が、売却し5千万円となり、税引き後4千万円となり残金が3.5億円と16万豪ドルになった。その他、3月末に平成芙蓉会で百万円の募金が集まった。カラオケ関連の企業の社長が「企業組織としての収益活動と社会貢献活動は両輪であるべき」という哲学を実践していることを知り、協力していく事を決め、平成芙蓉会では、そのカラオケの大きな部屋を毎回借りて、会議をして、カラオケをしたり、食事会をして、その会社の店を使う事にした。
その後、石津健之助の交渉力で、冷凍食品工場、パン工場、その他の食品工場、現金問屋の期限近い商品の激安での購入の交渉に出かけるようになり「NPO未来の子供へ」専用の4tロングのトラック1台と、ハイエースバン1台を購入し、電話連絡を受けると取りに伺うシステムを作った。そして、橫浜のカラオケ会社の倉庫の一部を借りて、激安食料品の、こども食堂への配送を行う様になり、仕事休みの日に、学生や社会人で、担当の日を決めて、配送や人の輸送を行う様になった。その後2013年3月20日、石津の奥さんが,日本に帰ってきた。
その数日後、石津健之助が、体調を崩して、寝込み、40度、近い熱を出したので、奥さんが、小田原市立病院へ旦那さんを車で運び,内科で診察してみてもらうと、インフルエンザとわかり、隔離病棟に入院し、治療を始めて、2日後に体温が下がってきて、おかゆを食べられるようになり、7日後、退院した。 この件を、「NPO未来の子供へ」の副会長の金融界出身の佐山浩介さんに話し会長交代のお願いを石津の奥さんから申し出ると、やむを得ないでしょうと承諾してくれた。その後、NPOの残金や、書類などを説明して、「NPO未来の子供へ」の会長職を佐山浩介に引き継いでもらい、佐山浩介さんが新会長になり「NPO未来の子供へ」のスタッフが増えてきて、500万円のトラックをもう一台追加、購入して、格安食料品の輸送範囲を広げ、より多くのこども食堂へ、食材を送れるようになった。




