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15話:釧路とグアムと豪州旅行

 2000年の冬シーズンは熱海芙蓉会の仲間と電車で東京、橫浜、江ノ島へ行って食事、買い物、麻雀、散歩したりした。春には梅、桜、桃の花を見にスカイラインで出かけた。加納夫妻と釣りにも出かけて伊東までショートクルーズに出かけ熱海芙蓉会のメンバーも誘って盛大な魚釣りとなった。夏は避暑のため石津健之助は奥さんと釧路への旅行計画を立て7月20日、熱海から河口湖経由、甲府から韮崎へ行き、そこから清里を抜け佐久、軽井沢、長野原、志賀高原、飯山へ行った。


 十日町、長岡、新潟と山岳ドライブをして途中の高原の宿に1泊し翌日7月28日、朝10時に新潟港に到着し正午に出発し小樽に29日の早朝4時半に着いた。その日は走れるだけ走り千歳から北海道の真ん中を一路、東へ、途中で1泊して7月31日に釧路に着きプリンスホテルにチェックインした。その後、週に2-3日、根室方面、中標津方面、羅臼方面、摩周湖、屈斜路湖方面をドライブして回った。涼しいので体調を崩すこともなく長期間、過ごし今年の夏は、快適に過ごした。


 海外でなくても北海道に来れば十分避暑を楽しめることがわかった。そして9月20日に熱海に戻った。その後、シティバンクの勉強会に出かけるとネットバブルが、はじけた後、外貨が下がっている時に買うべきだと盛んに説明し特に高金利通貨の豪ドルが良いと話していた。そこで豪ドルの金利をシティバンクと、ナショナル・オーストラリア銀行と比べてみるとナショナル・オーストラリア銀行の金利の方が高い事がわかた。


 2000年10月2日に57円で200万ドル購入し11400万円で購入し1年定期預金で6%で運用し始めた。それを差し引くと石津健之助の資産残金が2億5千万円となった。2000年1月17日から避寒のためグアムに石津夫妻でグアム旅行に出かけた。グアムの早朝便だったので成田ヒルトンホテルに泊まり、翌日の早朝グアム便でグアムに昼過ぎに到着した。空港からレオパレスリゾート・グアムまでは、送迎バスで40分と遠かった。


 その後、天気の良い日はレオパレス大きな敷地を散歩して汗をかいて運動したりグアムにあるプレミアムアウトレット、マイクオネシアモール、ハガニア・ショッピングセンター、Kマートを見て回った。マイクロネシアモールのアメリカの大手デパートメーシーズは12月にディスカウントセールがあって人気があるようだ。また、食料品はペイレスマーケットに多くの種類の食料品、飲み物が大量にそろいKマートも安い商品が多かった。


 ホテル見学に出かけニッコーホテル、ヒルトン、ハイアット、グアムリーフ、ウエスティン、パシフィックアイランドクラブなどがあり、特に目を惹いたのがパシフィックアイランドクラブで機会があったら是非、泊まってみたいホテルだ。その他、デラックスなホテルからリーズナブルなホテルまで数多くのホテルがあった。そうしてPICのテニスコートと川の様なラグーンをカヤックで移動する施設を借り遊びに行った。


 そのホテルの向かいのロイヤルオーキッドホテルにあるバーベキューリブで有名なトニーローマのリブを食べたが確かに旨い。またカプリチョーザのピザ、スパゲッティも大盛りであり1人前を2人でシェアしてちょうど良かった。その後1ヶ月半、グアムに滞在し暖かいというか暑いくらいのグアムを経験し2001年3月1日に成田に帰って来て夜遅、熱海のマンションに戻ってきた。


 2001年4月始め長野県の更埴の杏の花を見に行こうと計画し4月7日、熱海から河口湖、富士吉田から甲府、韮崎、長野県、茅野から152号線を北上して大屋から上田を抜け、更埴へと向かった。戸倉上山田温泉に一泊し更埴の杏祭りの会場に出かけピンクの可憐な杏の花の写真を何枚も撮ってきた。今年の夏も暑く石津健之助は愛車のスカイラインで夫婦で新潟から小樽へフェリーで行き、陸路、釧路プリンスホテルに向かい8月1日から9月1日までの1ケ月間長期滞在を計画した。


 釧路、網走を北上して稚内までドライブした。熱海に戻って2001年9月11日に何の気なしにテレビを見ているとアメリカ同時多発テロの放送が飛び込んできた、はじめ何か新しい映画かなという程度で見ていたが、これが本物の映像だと聞かされて背筋が凍る思いをしたのを鮮明に覚えてる。その後、アメリカの繁栄も、これで終わりかなと世紀末のような重苦しい空気に包まれて石津夫妻も、呆然実質という感じで9月を過ごした。


 日本でもネットバブルが終わり株式市場も凍りつき回復の兆しが全然見えずにいた。2001-2年も不景気で旅行会社から石津三千子に旅行・看護婦の仕事の依頼が来なくなってしまった。その後2003年、少しずつ景気も持ち直して来たと思った矢先に2003年3月20日にテロへの戦いという名目でアメリカが大量兵器を持っていると言ったイラクと戦争を始め短期間で勝利してみると、イラクに大量破壊兵器が見つからないという現実が待っていた。


 2003年も7月20日から南半球のオーストラリアのケアンズに出かけて2ケ月間の長期滞在して現地で豪ドルを銀行で下ろして生活費に使った。今回は長期滞在になるので車を借りケアンズから15分、北部のパームコーブの格安優良なコンドミニアムに約50日の長期滞在となる。オーストラリアは日本と同じ右ハンドルで左側通行であり全く違和感を感じることなく運転できたのが良かった。日中の最高気温が25度程で最低気温が16度と快適な気候で過ごしやすかった。


 またコンドミニアムも月に10万円程度で食料、飲料もスーパーマーケットで購入して生活した。今後も、避寒、避暑に南半球のオーストラリアは使えると石津夫妻は考えた。その後、9月10日に日本に戻り釣りをしたり麻雀したりして通常の生活に戻った。秋風が肌寒くなり11月、12月が過ぎて2004年を迎えた。石津健之助の資産が2億1千万円となったが奥さんの資産が8千万円あってマンションの費用や生活費のほとんどを出してもらい旅行や大きな買い物を石津健之助が支払う様にしていた。以前購入して1年定期預金に預けた豪ドルの利息が増えて、かなりの金額になっていた。また豪ドルが上昇したら円に替えることを考えていた。

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