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14話:ハワイ4島クルーズへの同行の仕事

 1999年は日本の株式市場もインターネット株が好調で富裕層の懐具合も良いのかハワイ4島クルーズの日本乗客が増えて様で、初めて依頼された。10月3日に熱海のマンション出て1999年10月4日早朝ホノルル空港に着き旅行会社の人が空港で会い旅行会社のホノルル支店に行き、クルーズディレクターを打ち合わせをして注意事項を聞いて出かけ、今回から寄港地での日本語のオプショナルツアーにも参加して欲しいと言われ、了解した。


 最初の仕事は1999年10月6日、昼過ぎにアロハタワーの海側にあるホノルル港の入り口の大きな飛行機の格納庫の様な場所、10ヶ所の受け付けてテーブルを用意し、乗船手続きを行い、スーツケースに番号を打って、ポータが部屋に持って行くシステムで、船内の支払いは、全て乗船前に登録したクレジットカードを登録し自動的に請求されるようになっていた。乗客人数が多く、お客さんが乗船できる迄3-4時間かかり、クルーズ寄港地でのオプショナルツアーの受けつけも、同時にできる仕組みになっていた。


 日本人のお客さんには石津三千子の契約した会社の社員が乗船手続きの説明して、わからない人や中高年には受付の手伝いをしていた。そうして午後17時に乗客の乗船手続きを終え石津三千子も乗船した。その後、お決まりの避難訓練が約30分、行われ、救命ボートの扱い方などを説明していた。クルーズ会社でも日本の堪能なアメリカ人スタッフを数名、乗船して日本人客の手伝いをすると説明した。夕暮れ時にクルーズ船がホノルル出港時、個人のモーターボートやクルーザー、ヨット、湾内観光船の、お客さんがクルーズ船の出発に手を振って見送ってくれた日が暮れ始めたホノルル湾に、歓声と汽笛の鳴る音のハーモニーは、なんとも言えぬ感動的なものだった。


そして2日目はマウイ島のカフルイに到着した。マウイ島は「渓谷の島」と呼ばれハレアカラ山を中心とした広大な国立公園とイアオ渓谷、白い砂浜の海岸で有名で日本語のハレアカラのオプショナルツアーに石津三千子たち2人が同行した。山道を登って行く時に2人が気分が悪くなり石津三千子を含め旅行会社の2人が付き添い目的地に着き、その処理をして、その二人の面倒を見る事になった。まず人肌の暖かさの生理食塩水の様な溶液をコップに入れて少しずつ飲ませ休憩所に寝かせてツアー客が帰って来る迄の1時間半、付き添った。


 30分もすると顔色が良くなり、回復して帰りは特に問題なくツアーを終えて船に戻った。その後、ディナーショーを見たりして楽しんで夕食後、床についた。3日目は日本語オプショナルツアーはなく、船上で卓球や娯楽室でカードゲームをしたりして、時間を過ごし、ハワイ島ヒロをめざし夜18時に出航した。ヒロでは、キラウエア火山の日本語オプショナルツアーに同行し、高所と言うこともあり、酸素ボンベを用意して、出かけた。


 バスでキラウエア火山の見える場所まで行き休憩所で待機した。やはり中高年の方で顔色が悪くなった人を見つけ酸素マスクで酸素を補給してやり2人で4人の、お客さんを交代に介抱した。そうして船に戻った。夜、ハワイ島の反対側のコナをめざして出航した。5日目はコナコーヒで有名なコナに到着して、ここでは日本語オプショナルツアーはなく港近くの景色の良い喫茶店でコナ・コーヒーを飲んで休憩してカメハメハホテルの中のキング・カメハメハの写真や絵を見た。夕方17時前に上船用の小型ボートが迎えに来て、クルーズ船まで送ってくれ、早めにコナを出てカウアイ島、ナウィリウィリに向かい翌朝8時に到着した。


 カウアイ島はガーデンアイランドと呼ばれワイメア渓谷や聖域シダの洞窟が有名。クルーズだから見る事ができる「ナ・パリ・コースト」は圧巻だった。日本語オプショナルツアーは、観光バスで名所巡りをして潮吹き岩戸や大きな渓谷沿いを回った。7日目はワイルア川とシダの洞窟観光に出かけ、その素晴らしい景色を十分に堪能した。この日は、午後14時に就航し船上からナパリコースとの荒々しい断崖絶壁の荘厳な景色を時間をかけてゆっくりを見学できた。


 7日目の朝にホノルル港に入港し7日間のクルーズを終えた。はやりハワイの自然は素晴らしい、またコナコーヒー、マカデミアナッツ、ヒロの日本人経営の店、キラウエア火山の溶岩など自然の荒々しさも垣間見る事ができた。そしてハワイ旅行を終えて10月26日に、成田空港に到着して、夜遅く熱海のマンションに帰ってきた。


 その後、新しくシティバンクが大手町にでき口座開設の話で通い始めると橫浜駅前にも支店ができるので、そちらでヘッジファンドの話やシティバンクのファンド、債券運用の話を聞くようになった。そして1千万円以上のシティゴールドメンバーになり毎月1度、東京帝国ホテル、パレスホテル、グランドハイアットなど超一流のホテルで昼食付きで参加費無料の勉強会に参加した。


 1999年12月、ソニー株が急上昇して12月の最終取引日の朝に投資の石本聡さんから電話でソニー株が値を上げてるので1株3万円で全株売りと言う指示を受けN証券に電話し、担当者に指示し、全株3万円で合計3億円で売れ、純利益が19950万円で総額が36700万円となった。


 やがて2000年を迎え、この年は日本株がバブルの様相を呈して急速に値を上げて、いつバブルがはじけてもおかしくないと石津健之助は考えていた。2000年は石津健之助の予想通り光通信やソフトバンク、ヤフーなどネット株を中心に大きな下げが襲い、早めに売っておいて良かったと胸をなで下ろした。

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