13話:海外旅行、クルーズ、旅行看護婦2
船の出航の時間は早く、午後15時に出航し7日目は全速力でロサンゼルスをめざし8日目の朝、8時にロサンゼルスのサン・ペドロ埠頭に到着した。今回、体調不良の患者が12名で、そのうち3名の症状が、きつくて、医務室に泊まってもらい、アイスノンの様な冷却剤をタオルに巻いて、首と足のつけ根につけて寝てもらい、翌日に回復した。船酔いの薬もかなり、使われ、2千人以上の人が乗船している事を実感させられた。今回は海が荒れてなく、静かな方だと教えてくれた。
クルーズディレクターにが低気圧と遭遇すると、こんな大型客船でも、もの捕まらないと立っていられないほどの揺れる場合がある様で年に数回、嵐に遭遇すると言った。そして船を下りてホテルに戻り明後日の同じクルーズに出かけた。こうして8回のクルーズを経験し日焼けして熱海のマンションに帰って来た。クルーズの仕事は食事代が全て無料で経費がかからないので手取りは多くなるとな告げた。英語漬けの日々で英会話も勉強になり日常英会話に不自由しない程度の知識は身につけたと喜んでいた。
奥さんが今後も一緒に英会話の勉強しましょうと真面目な顔で言ったので大笑いした。そして今年の夏、7月は車で山梨から松本を抜けて穂高、大町、白馬、栂池高原で避暑の旅に出かけた。1998年8月になり毎週の様に台風の影響で天気が悪く出かけられずにいた。その後1998年11月9日、奥さんの石津三千子は早朝、熱海のマンションを出てヒューストン経由でマイアミに出かけた。所要時間が16時間になる長旅のでマイアミに夕方、着いた。
その晩、お酒を飲み熟睡し翌日の朝、旅行会社の支店に挨拶に行き2人のクルーズディレクターと会い今回は、ほぼ毎日の仕事になるので2ケ月で60万円を支払いますが体調管理に気をつけて下さいねと言われた。翌日から仕事開始でマイアミ港から1日クルーズして3日目に183mの滝を下から登るダンズリバーの滝登りで有名な観光地ジャマイカのオーチョリオス着いた。その晩に出港し4日目にスティングレイと言うアカエイが人気のケイマン、イギリス領ケイマンに着き、その晩、出港した。
5日目は終日クルーズで6日目にマイアミに到着しホテルに帰った。その晩出航し、3日目はナッソー、また翌日から違うクルーズ会社の船で出港し、2日目にココケイ、バハマ領と言う、Rカリビアン社の所有するプライベートアイランドで、自分達だけのプラべートビーチで海に出て楽しんだ。バハマに着き。ここは治安が良く安心して楽しめるリゾート地でビーチ以外にも無税のショッピングやカジノ、各種アクティビティが豊富で、娯楽施設が多く、安心して観光できる場所だった。
4日間でマイアミに戻る4日間のショートクルーズ。帰って来てから1時間半かけフォートローダーデールという町に移動してホテルに泊まり、翌日はフォートローダーデール港から出港することになる。翌朝、タクシーで港から乗船して翌日は終日クルーズ、3日目にジョージタウン、ケイマン諸島という観光で栄えているリゾートタウンで世界的にはタックスヘイブンとして税金のかからない地域で多くのオフショア・バンクが集まっている。
4日目はコスタ・マヤ、メキシコに到着。マヤ文明の遺跡が多く残る歴史の街。メキシコ、ユカタン半島の東側にありマヤ遺跡を見に行くのに非常に便利な所でマヤ文明の遺跡ツアーに参加した。5日目はコズメル、メキシコ、カリブ海に浮かぶ、長さ53km、幅14kmのメキシコで最大の島、コズメル。周辺は青い海が広がりダイビングでも有名な世界的リゾートでサン・ヘルバシオ遺跡やテキーラ工場などもあり海以外にも楽しめる場所は沢山ある地域。ここではスキューバ・ダイビングを教えてもらった。
翌日は終日クルーズで7日目にフォートローダーデール港に戻った。そして船から下り、またタクシーで1時間半かけ、マイアミのホテルにチェックインして、早めに床についた。翌日もクルーズ船に乗り、7日のクルーズの旅へ出かけた。今回は、アドベンチャーツアーやマリンスポーツが多く、切り傷、釣り傷が多く2人が溺れライフセーバーに助けてもらった。そのライフセーバーが格好良くて筋肉隆々のハンサムボーイで、それを見た石津三千子は久しぶりに胸キュンを経験した。
そう言う思い出や多くの経験をして船上のパーティーも経験し、人生経験も、お腹回りも一回りも二回りも大きくなり1999年1月11日に日本に帰ってきた。帰って来て、お帰りと言った後に、石津健之助は、石津三千子を見て、思わず、少し太ったんじゃないと言うと、そんな言い方しないのたくましくなったと言ってと言い返し大笑いした。1999年も4月にハワイ4島クルーズに2ヶ月間の看護の仕事とロサンゼルスでの10月5日から12月5日のメキシコクルーズの仕事の依頼があり出かけた。