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12話:海外旅行、クル-ズ、旅行看護

 その他、モノレールが移動に便利で使わせていただき、ホテルからの無料バスの出ている所への移動に利用した。また、コンベンションセンター・会議・展示場では、カーボーイ用品の展示会や、銃の展示会、電化製品のショーなど、行われ、出かけたが、カーボーイ洋品展示会では、素敵な革の手袋を買ってきた、またカーボーイが使ってる、映画スターの履いていた眺めのカーボーイ・ブーツも素敵だった。仕事では、主に軽い日射病になる人が多く、ツアー客が旅行会社で最初の会合の時に日射病対策に飲水をすすめた。


 冬でも砂漠の直射日光は強いので強力な日焼け止めと、こまめな水分補給と休息を心がける様に言った。しかし楽しさのあまり長い距離を歩きダウンしたと言う観光客が1日2、3人は出て、その度、その人の所へ行き生理食塩水の様な飲み物を飲ませて近くのホテルのロビーで回復を待つ場合が多く、たいていの場合は10~30分で蘇る。しかし高齢で代謝の悪い女性で吐き気がして顔色話悪くなり回復が良くない時、車で5分の病院に連れて行く、週に2-3人程度、病院へ連れて行ったた。


しかし、ほとんどが受付を済まして看護婦としての仕事は終わり自分で病院からバスで帰った。しかし良い事もある、それは回復した、お客さんが豪華ディナーをおごってくれたり高価なプレゼントを下さったり豪華なショーに、ご一緒させていただいたり役得も多かった。今回も4週間が終わり現地の旅行会社の送別会に招待されて感謝されて石津三千子は1997年4月10日に成田に戻り18時に熱海のマンションに帰って来た。今回はプレゼントが多く大きな荷物をかかえ熱海駅まで旦那さんに車で迎えに来てもらった。


 石津健之助は中高年の麻雀仲間に呼び出される日が多くなり楽しんでいた。また、毎週、加納夫妻のカラマラン・クルーザーで熱海芙蓉会のメンバーの釣りの先生となって餌の付け方から魚の引っかけ方、毒のある魚の見分け方などを教え、充実していていた。やがて夏、今年も八ヶ岳や遠くは白馬へ避暑に出かけ人生を楽しんでいたが収入がないので、預貯金の切り崩し、あまり贅沢せずに生活した。それでも、うまく遊んで暮らしていた。秋風が冷たくなり総勢50人の盛大な熱海芙蓉会のクリスマスパーティーも終えった。そして1998年を迎えた。


 今年はカリフォルニアからクルーズ船の旅に1998年3月2日から2ヶ月、1998年11月10日からの2ヶ月のカリブ海クルーズの旅の救急係、月給30万円で働かないかと旅行会社から提案されたと石津三千子が言うと石津健之助は自分で判断して下さいと言い私は止めませんと笑った。そうね行きたいので宜しくねと石津三千子が答えた。ただ体調管理だけは気をつけて下さいねと言うと奥さんは石津健之助に抱き付いて、ありがとう言うと旦那さんも彼女をしっかりと抱きしめた。石津三千子を自由に働かせてくれる旦那さんで良かったと思わず言った。


 石津健之助が子供がいなくて自由にやれるので、あなたも縛られすに、いろんな冒険ができるのだから神様に感謝しなさいと笑いながら言った。そう言う事で1998年は4ヶ月も海外で仕事をする事になった。1998年3月2日、奥さんが朝7時に家を出て成田からロサンゼルスへ出かけた。石津三千子はロサンゼルスについて旅行会社の人達とタクシーで現地の支店に出向いて今後の仕事のスケジュールや注意事項を聞いた。


 それによると石津三千子はサンペドロ港近くの中程度のホテルに宿泊して3月5日からのバハカリフォルニア・クルーズやメキシコ・クルーズ、シアトル・クルーズに乗って日本人観光客の看護に当たる事になった。その後ホテルに帰り、ゆっくりして同じホテルにとまる同じ会社のクルーズディレクターと一緒にショッピングセンターに買い物に出かけ食料品は衣料品、クルーズに必要な物を買い込んだ。3月5日時差呆けもなくなり朝10時にホテルを出て10時半にクルーズ船の乗船受付会場に行った。


 そして控え室で待ち昼食に出されたサンドイッチ、つまみと、おにぎりを食べた。午後3時に乗船してクレジットカードを登録した。支払いは全てクレジットカードで行いその後、かかった費用を請求して旅行会社から全額、支払っていただくシステムになっていた。出航前に全員で避難訓練をして、非常用のボートの近くで、その使い方の説明を受けて、約30分の訓練を終えた。そして船のパブリック・レストランで夕食をとって与えられた部屋に戻った。


 隣の部屋が、旅行会社のクルーズディレクターで何かあったら、すぐ動ける体勢をとるため一緒に行動する事になった。彼は40代半ば、東京外国語大学卒業で英語堪能な元ハンサムボーイという感じの素敵な紳士だ。今回は船酔い止めの薬と下痢止め脱水症状の補水液、虫刺され、怪我の救急セットが、主な携行品だった。ロサンゼルスを出航し1日、2日と終日クルーズをして3日目の朝9時にプエルトバジャルタに到着。


 この町は45kmにわたる壮大なビーチの自然が美しい町。その日の夜18時に出航して、翌日の朝にマサトラン到着、この町はシエラマドレ山脈の山麓の景色が美しく多くのお客さんが、その山岳ドライブを楽しみに町にくり出した。その当日の午後17時に出航し最終目的地、バハカリフォルニア半島の突端の町、カボサンルーカスに6日目の朝に到着。ここは高級リゾートと多くの施設がつくられておりマリンスポーツや豪華レストラン、ホテルが建ち並び観光客でにぎわっていた。

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