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10話:熱海芙蓉会とハワイ旅行

 その後、冬、暖かい熱海のマンションで過ごし春まで風邪に気をつける様に心がけた。やがて4月になり、加納夫妻のカラマラン・クルーザーヨットで釣りを初め、毎週、釣りの日々を過ごし、東京銀座、日本橋、橫浜、元町、中華街をぶらついて、土日は、家にいて、火曜は、釣りに、木曜日は、東京か横浜へ出かける生活を始めた。その後、加納夫妻が、石津の奥さんが退職したのを知ってから、熱海芙蓉会という、富裕層の会合に誘ってくれた。


 その会は毎月第二、四の日曜、昼から5時まで熱海のホテルの景色の良いホテルのレストランで、昼食をとって大きな宴会場を貸し切りカラオケをしたり、いろんな話をして仲間同士の親交を深めていた。メンバーは総勢で56名、半分程度が夫婦同伴で、その他は1人で連れ合いをなくした富裕層が多かった。4月の第2、4日曜日に加納夫妻が石津夫妻を同伴し、熱海芙蓉会の仲間に紹介してくれて石津夫妻が自己紹介をした。 


 奥さんが看護婦さんをしていたと言うのが話題になり中高年が多く、多くの病気の相談をされる様になり、いろんな面で重宝がられるようになった。その他、石津健之助は釣りの名人という紹介であったために加納夫妻のカラマラン・クルーザーで釣り同好会を開いた。石津三千子さんは医療相談で病院の紹介や何科を受診すべきかなど生活指導を毎回、数グループに呼ばれ人気者になった。


 いろんな有益な情報を教えて上げると感謝され、高価な土産をもらったり商品券をいただいたり、お中元、お歳暮も増えた。その中に井上達弘さんと井上慶子さんの夫婦が春と秋にハワイの別荘に1ケ月、行くのですが一緒に行きませんかと誘われた。奥さんの井上慶子さんが、リウマチで困っているという話で国立相模原病院を紹介しリウマチの痛みの症状が、すっかり楽になったと感謝された。


 井上夫妻は自分達がハワイに行かない1997年4月と10月以外は熱海芙蓉会の仲間に1週間単位で別荘を格安で貸している様だ。また海外長期クルーズに行きませんかとか、ラスベガス、フロリダ、マイアミ、スイス、イギリスなどの旅行も企画しているようだ。そして有名な旅行会社の方が、毎回、土産を持って。参加しツアーのパンフレットを用意し、クルーズやビジネスクラスの豪華海外旅行の募集もしていた。


 6月12日に、そのツアー会社の方から石津三千子さんが呼ばれ透析患者さんのツアーとか心臓病の方のツアーなども企画しているのだが時間があれば給料を払うからツアーに参加してくれないかと誘われ契約条件を書いた書類を渡された。彼らに、是非、検討して下さいと頼まれ家に帰ってから奥さんから、その話を聞いた石津健之助は悪い話じゃないから自分が行きたい所だったら行ったら良いと助言した。


 そうーね自分が行きたい旅行で給料をもらっていけるなんて、夢のような話だから、良いかもねと笑いながら話すと奥さんも同意した。1996年7月10日の熱海芙蓉会の時にハワイに別荘を持っている井上夫妻に今年、10月2日から1ケ月、ハワイに行くのですか一緒に行きませんかと誘われた。井上夫妻は1ヶ月滞在するが石津さんは、いつ帰っても良いのよと言ってくれた。


そこで石津健之助を呼んで話を聞くいた。ハワイのカハラ地区、以前、石原裕次郎の別荘のあった所から徒歩10分の場所に4LDKの一軒家の別荘だそうだ。面白そうだねと、旦那が言うので、参加させていたいただく事にして、話がまとまった。出発は10月2日のJALで成田からホノルルまでのチケットを予約してみますと答えた。


 その話を聞いた井上達弘さんが看護婦さんが来てくれたら本当に安心ですよと言い、実は以前、心筋梗塞でハワイで倒れ大変な目にあったそうだ。その後、必ず、旅行保険に入って万一に備え、病院の場所も調べたと話してくれた。10月2日、午後17時に熱海を出て、新幹線を使い、1時間半で成田に着いて、20時発のホノルル行きのJALで井上夫妻と共に乗った。


 彼らはビジネスクラスで石津夫妻はエコノミークラスで翌日の朝8時にホノルル空港に到着し、朝食をとりタクシーでカハラの井上夫妻の豪華の別荘へショッピングセンターへ大量の食品、飲み物、ビールなどを買い出しに行った。初日は早めに時差ぼけを解消するため散歩に出かけ昼間に眠気を我慢し夜22時頃まで起きていてビールを飲んで、熟睡した。


 そのため翌日は時差ぼけがなくなり近くのダイヤモンドヘッドへ出かけた。昼食を別荘で食べて、夜に、レストランに出かけて、ステーキをたらふく楽しみ、その後、ビールを飲んで、タクシーで、別荘に戻り、熟睡した。翌日、レンタカーを借り、ノースショアへ行こうと言う話になった。カハラからホノルル、パールハーバーを抜けてルート99を北上した。

 

 途中でドール・プランテーションに立ち寄り、休んで、ハレイワの海鮮料理屋で、昼食をとり、ワイメア渓谷で休憩した。その後、サンセットビーチを抜けて、タートル・ベイ・リゾートのカフェで、ゆっくり休んで、近くを散歩して2時間ほど滞在した。帰りは西側の海岸線を一気に南下、カフクを過ぎてカメハメハ・ハイウェイをクアロア・ランチの平原を右手に見て走った。


 カハルウを越えて途中で右折してヌアヌ・パンチボール方面にバリハイウェイを走り国立太平洋記念墓地を左折してフリーウェイを走って、カハラの別荘に到着した。午後18時過ぎに別荘に到着しシャワーを浴びてビールを飲みなが夕食をとり床についた。翌日は9時まで寝てしまい、散歩した後に、またレンタカーで、ハワイ大学マノア校へ行き、近くの素敵なカフェで、昼食をとった。


 その後、マノア渓谷へ行き、トレッキングをして、午後16時頃までかけて、広いマノア渓谷を歩いて回った。その後、カフェで一休みし、カハラの別荘に戻り、7時過ぎに、飲みながら夕食をとり、5泊し、明日の便で、石津夫妻が、日本に帰るので、9時に家を出て、車で、10時半頃にホノルル空港まで送ってくれた。


 井上夫妻に謝礼として5泊分、5万円をお渡しすると、いらないと言ったので、今後も、お世話になるので無料と言う訳にはいきませんと言い、受け取ってもらった。そして空港で昼食をとり搭乗手続きを取り13時前の飛行機に搭乗し、すぐに寝てしまい、起きて、しばらくして成田空港に17時半に到着して1996年10月9日、19時半に熱海のマンションに帰った。

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