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地上ではたらく魔人の憂鬱  作者: 羽田 悠平
1/7

渇きと衝動

 生きていく意味って何だろう。


 拳が空気を鋭く切り裂きながら顔を目掛けて迫り来た。桜井さくらい英二えいじは半身になってその拳をかわした。息つく間もなく、別の拳が再び自分を狙って襲いかかってきた。


 夢とか希望とか、そういうものって全部空虚なまやかしに過ぎないんだろうな。人間のやわな心を満たすために生み出された麻薬のようなもの。きっとそうに違いない。


 自然と体が反応し、英二はその拳を再度ぎりぎりの所でかわした。こんなのは慣れたものだ。朝起きてベッドから抜け出し、服を着替えるのとさして変わりない。

「くそっ……舐めてんのか!」

「調子乗りやがって……!」

 目の前の二人が顔をしかめながら毒づいた。

 薄っぺらな威勢でいい気になってるのはどっちだよ。

 胸の奥から燃え上がる炎のように衝動が込み上げた。体中の血が一斉に沸き立ち、脳内の回路が音を立てて切り替わるのが分かった。

 英二は二人に向かって素早く踏み込み、手始めに左の男のみぞおちに拳を見舞った。

「うぐっ」

 男は苦しげな声を上げ、腹を抑えて丸まった。

 まだだ。

 英二は下から拳を突き上げて顎を打ち抜く。

「うがあっ」

 男は勢い良く後ろへ倒れ込んだ。腹と顎を押さえてのたうち回っている。

 英二はもう一人の男に目を向けた。目の前の光景に男は顔を引きつらせているが、それでも果敢に向かってきた。

 男の拳はまるでそうなることが予め定められていたかのように、英二の顔の横で虚しく空を切った。

 英二は懐に踏み込み、男の肩を両手で掴んで腹に思い切り膝蹴りを入れた。

「がっ……!」

 男は膝から崩れ、腹に手をあてがい苦しそうに喘いだ。

 勝負の行方はあっという間に決した。

「もういいだろ」

 眼下に無様に這いつくばる二人の男を見下ろしながら英二は吐き捨てるように言った。込み上げていた衝動は急激に収束していった。

 英二はそのままくるりと踵を返し、路地裏を出るとまるで何事もなかったかのように街中の道を歩き始めた。


 あーあ、またやっちゃった。

 英二は河川敷の上を通る道を歩きながら自己嫌悪に陥っていた。無意識にため息が口から零れた。

 こんな毎日に何の意味があるんだろう。

 高校に進学してから早くも一年が経ったが、いつだって学校での時間は退屈以外の何物でもなかった。授業中に教師の口から語られる言葉は、耳を右から左に素通りして行くだけだった。

 学校で友達をつくるのも億劫だった。昔からそういう人付き合いはどうも苦手だった。誰とも友好的に関わろうとしない英二は、すぐにクラスの中で浮いた存在となった。

 英二は道中で立ち止まり、右手にある河原の斜面を降りた。そのまま斜面の中腹で草の上に腰を下ろす。

 授業後には意味もなく街を彷徨い歩いていた。学校からまっすぐ家に帰るという選択肢は毛頭なかった。学校と同じで家も退屈な場所に他ならない。そもそも家はもぬけの殻だから、早く帰るよう小うるさく催促されることもなかった。

 父親は自分が物心つく前に亡くなったと聞いている。それ以来、母が女手一つで自分を育ててくれたわけだが、その母も忙しそうに働き回り家を空けていることがほとんどだった。

 退屈な学校と大した娯楽もない街、そして空っぽな家の間を単調に行き交う毎日に彩りはなく、いつも心の中にぽっかりと穴が空いているような感覚を拭い去ることが出来なかった。

 足を投げ出し、両手を頭の裏で組みながら斜面に寝っ転がった。

 見上げる空は相変わらずどこまでも果てしなく続いている。

 そうした日々の空虚さに対する反動でもあるかのように、言いようのない荒んだ衝動が沸き起こる時があった。

 街を一人で宛もなく歩いていると、年頃の不良達に絡まれることも珍しくはない。

 半ば、内心自分自身でそれを望み、挑発的な雰囲気を醸し出していることも否定できなかった。

 売られた喧嘩は喜んで買っていた。内なる衝動に任せて相手を殴り、蹴り飛ばした。

 元々は気性が荒いわけでもなく、口数も少ないタイプだ。しかし昔から一度スイッチが入るともう自分を制御出来なかった。そして何故か喧嘩の腕前だけは、誰に教えられたわけでもないのに天賦の才に恵まれているようだった。

 だがその激しい衝動の後には、いつだってそれまでと変わらない空虚な気持ちが待っているだけだった。

 それでもまた、懲りることなくその刹那的な衝動に身を任せてしまう自分がいる。ちょうど今日と同じように。

「ふう……」

 英二は目を閉じて視界を遮った。夕焼け空の残像が瞼の裏に張り付いたが、次第にそれは薄れて真っ黒な世界が広がっていった。

「えいじー!」

 頭上から自分を呼ぶ声が聞こえた。カシャン、と自転車を止める音が聞こえ、その声の主が斜面を降りてきた。

「なに?」

 寝転がりながら上を見上げると、一ノいちのせあいが頭の上から自分を覗き込んでいた。

「帰り道で偶然見つけちゃった。それにしても英二、この河川敷好きだよね」

「そうかな」

「よくここでぼんやり夕日眺めてるよね。大体そんな日は何か良くないことがあった日なんだけど」

 藍は英二の横に腰掛けておかしそうに笑った。

「ねえ、もしかして今日も何かあったの?」

「うるさいな、何もないよ」

「あ、絶対ウソついてる。もう何年の付き合いだと思ってるの、甘く見ないでよね」

 一ノ瀬藍は、英二の小学校時代からの幼馴染だ。社交性が高く友達の輪も広い藍は、クラスでも人気者だった。自分の殻に閉じこもり、人を寄せ付けない雰囲気を醸し出しがちな英二とは対照的だった。

 しかしそんな英二も、藍とは不思議と気が合った。どうやら藍もそれは同じようで、幼馴染ということも相まって二人は自然と一緒にいることも多くなっていった。

 藍は英二が心を開いて飾らずにいられる数少ない存在と言って良かった。

「また喧嘩でもしたんでしょ?」

「……絡んで来たのはむこうだから」

「懲りないなあほんと……もうやめてよいい加減。大きなトラブルに巻き込まれてからじゃ遅いんだからね」

「いいよ、どうなったって」

「よくなーい」

 藍がこちらに身を乗り出し、右手の人差し指を英二の顔の前に立てて抗議の意を示した。

「私が悲しんでも良いって言うの?」

「分かった分かった、もうしません」

「ほんとかなー。いつもそう言ってるからなあ」

 藍は疑わしげに英二の顔を覗き込む。

「ほんとだよ」

「じゃあ、これ」

 藍はそう言うと、今度は右手の小指を立てて英二の顔に近付けた。

「指切りげんまん」

「いや……俺達もう高校生なのに……」

「いいの! こうでもしないと君はまたすぐ暴れちゃうんだから」

「勘弁してよ……」

 英二は嫌々ながらも藍に押し切られる形で右手の小指を立て、藍と指切りをした。

「はい、指切りげんまん。約束だからね」

「はあ、分かったよ」

 藍は満足そうに前に向き直った。

「喧嘩よりも楽しいことなんていっぱいあるのに……そうだ、ねえ明日の放課後って空いてる?」

「どうしたの急に」

「どっち? 空いてる?」

「まあ空いてるけど」

「やった、じゃあ一緒に映画観に行こ! 最近評判のやつがあってね、観に行きたいなーって思ってたの。みんな口を揃えて面白かったって言ってるからもう気になっちゃって」

「映画か……もうしばらく観てないな」

「よし、決まりだね。じゃあ明日の放課後、18時に駅の近くの映画館前に集合ね。私その前にちょっと用事あるから現地に直接集合で」

 藍は相変わらずの即断即決だ。そのさっぱりした性格がまた居心地が良かったりするのだが。

「分かった」

「楽しみだな」

 藍はそう言うとちらっとスマホの画面を見た。

「あっ、もうこんな時間……急いで帰らなくちゃ」

 藍は素早く鞄を持って立ち上がる。

「じゃあ今日はここでね。ちゃんとまっすぐ家に帰りなさいよー」

「分かってるよ」

「どうだかー」

 藍はそのまま斜面を軽やかに駆け上がり自転車にまたがった。

「また明日ね!」

 こちらに軽く手を振り、藍はそのまま自転車に乗って走り去って行った。


「ターゲット、桜井英二。先程自宅へと帰宅しました。時刻は19時27分」

「ご苦労。ターゲットの明日の予定は分かったか」

「はい。明日は18時に駅付近の映画館前で一ノ瀬藍と待ち合わせ予定です」

「分かった。では当初の予定通り、作戦は明日決行だ」

「承知しました」

「頼むぞ。いよいよだ……」

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