山と海と空と街
鬱蒼と生い茂る林。
昼間なのに真っ暗に感じるような暗さの中、かすかに木々の間から漏れてくる光でかろうじて前が見える。
僕はそんな林道を、一人自転車を漕いでいた。
どこから来ただとか、どこに向かっているのかだとか、そういうことはもう忘れてしまった。
ペダルを漕げば何も考えなくても体は前に進んでいく。自身の意思はどうであれ。
そんなことを考えながら、前へ進んでいく。
車輪が砂利道を転がる。今までこんな道を通ったことのない僕は、細心の注意を払いながら進む。
ハンドルを取られたらバランスを崩すだろう。急ブレーキをかければ、タイヤが砂利にとられて転んでしまうだろう。
そんな風に、僕は何かに追われるように進んでいく。
ふと気が付くと林道の終わりが見えてきた。
暗がりの先にみえる光。
僕は導かれるままにそこに向かっていく。
視界が開けた、と思った。
と同時に、目の前にはたくさんの景色が飛び込んできた。
夕日。
そう思った瞬間に、僕は自転車を止めた。
「ふう」
そう息をつく。
もうこんな時間なのか。
確か出発したときには日は上っていなかった気がする。となると一日中休まずにここまで漕いでいたことに今気が付いた。
足が、手が、肩が。体のあちこちが痛い。
ひとまずここで休もう。そう私は自転車を置くと草むらに腰かけた。
そこから見える景色は、空と海、山と街だった。
どれもが、夕焼けに照らされて、それぞれの色を放っている。
オレンジ色の空は水平線を経て、海に溶け込んでいる。さながらグラデーションのようだ。
橙に染まる山々の合間に、隠れるように街が佇んでいる。
「綺麗だ……」
僕はいつの間にかそう口にしていた。
「あらあら。こんな景色をみて黄昏れちゃうなんて、あなたらしくないわね」
背後から声をかけてきた彼女。彼女もまたこの旅の同行者の一人だ。
「急に現れたと思ったら、いきなりご挨拶だな」
「ふふ、こんにちは。……いや、こんばんは、かしら」
「別にどちらでも構わないよ。どちらにせよ挨拶だし、この時間帯ならどちらも正解じゃないかな」
「それもそうね。……お隣いいかしら?」
「ああ、どうぞ」
僕の隣に彼女が腰かける。
ふわりと座った彼女からは、なんだかいい香りがした。腰ほどまである長い黒髪に、おなかの藍色のリボンがワンポイントの青色のワンピース。
いつもと変わらない彼女が、そこにいた。
「……で」
沈黙に耐えかねた僕が切り出す。
「それでキミはなぜ、今現れたのかな」
「なんで、だとかそういう理由があるわけじゃないの。ただ景色を見たかっただけ」
「……そうかい」
えへへ、と笑う彼女を見て、それ以上の詮索をするのをあきらめた。
「ひとつ、思うところがあるんだが」
そう彼女の代わりに僕は切り出した。
「何?」
彼女はいつものとても興味深そうな顔でこちらを見つめてくる。
僕はその顔をみると、ついつい話してしまうのだ。
「人間ってなんで生まれたのだろうって。なんで考えているんだろうって。ここから見下ろしてみると自然の大きさに比べてみたら人間なんてちっぽけな存在なんだな、と思う。そして僕はちっぽけな存在の中の大人数のうちの一人でしかない。そう考えると……なんだか……。なんだか切なくなってくるのは」
彼女は何も言わなかった。
「僕がいなくなってもどうということもない、と思うのは」
いつの間にか、僕の口調は強いものになっていた。
「果たして僕だけなのかな」
そこまで言ってしまって、僕は自分がいつの間にか、最初に自分が言ったこととは全く違っていることに気が付いた。
隣に座っている彼女はこちらを見ず、ニコニコしながら夕日を眺めている。
僕もそんな彼女を見て、自分の今の質問に大した意味がないことを悟っていた。
でも、
「キミもそう思わないかな?」
と、彼女に聞いてしまった。
しばしの沈黙、そして。
「私もそう思うことはあるわ」
と彼女。
「あまりにも大きな存在を目の前にしてしまうと、改めて自分自身の小ささに気が付くのはよくあること。別にそれが大層なものだとしてもかまわないわ。大事なのは客観的な大きさではなく主観的な大きさ」
僕の方を見ずに彼女が語り始める。
「大体この世界に人間が何人いると思ってるの? 64億人でしょう? 1/6400000000なんて洒落になんないわ」
「……まあ、確かに」
僕は苦笑する。
「でもね、あなたは一人だけよ」
そこで初めて彼女は僕の方を見た。
「どんなに大多数のうちの一人だとしても、あなたはあなただけ。それは間違いのないことだわ」
彼女の眼が、僕をのぞき込んでいる。
「そして個であるということは、必ず周りに影響を及ぼしているの。言い方を変えれば……そうね、歯車と言ってしまっていいんじゃないかしら」
「歯車……ヤな響きだな」
「ふふふ。ごめんなさい」
彼女は若干表情を崩す。
「でも何が言いたいかはわかる。歯車が一個かけてしまったら、時計は動かないものな」
「どんなに小さな歯車でも、いらない歯車なんてないのよ……なーんて、ちょっと話が飛躍しすぎたかしら」
「いや、いい。僕もそんな話がしたかったんだと思う」
かわいらしく微笑む彼女に向けて、僕は一人納得していた。
「どんなにちっぽけでも、私は私。自分が存在しなければならない理由はまだわからない。でも……きっとそれがどこかにあるんだと思う」
「ああ、そうだろうな。それを探すのが人生……なのかも」
「もしかしたら気が付くのは死ぬ時なのかもしれないけどね。でも、気が付けたのならばそれは幸せなことでしょう」
「うん、僕もそれを探してみる」
僕はそう言って立ち上がる。傍らの自転車に飛び乗り、眼下の海を眺める。
山と海と空と街。
僕はその壮大さを改めて感じる。
「いつもありがとう」
僕は彼女にそっとつぶやく。
いつの間にか彼女の姿はなくなっていた。
でも大丈夫だ。彼女はいつもそばにいる。
気が付くと僕は再び自転車を漕いでいた。全速力で。わき目もふらず。
一心不乱に何かに向かい、その“何か”を見つけるまでは。
お読み頂きありがとうございました。
羽栗明日です。
久しぶりに投稿しました。
人は自分が存在する意味を常に問いかけているはずです。
私たちはそうやって生きています。
自分ってなんだろう。生きるってなんだろう。
それを考えるのが、人生なのではないでしょうか。
コメントなどいただければ幸いです。