九話 言えない本音
彼女に不足しているのは、自信だ。
僕の見立ては間違っていなかったようで、約束通り作ってきてくれたカップケーキを褒めたとき、リディア嬢はくすぐったそうに笑っていた。ほんのりと、頬が染まっていて、とても可愛い笑顔だった。
だから、僕は、彼女の前髪をかきあげた。
「!」
途端、リディア嬢は硬直する。
「うん、やっぱりだ」
間近で目を合わせた彼女の顔は、どんどん赤くなっていく。
「こうやって、前髪を上げた方が可愛いよ」
「そ、そんな……! 嘘つかないで下さい!」
離してと身をよじられて、僕はパッと距離をあけた。リディア嬢からは、ほっとため息がこぼれる。
そして、ちょっと長めの前髪を手櫛で整えた後、じろりと僕を睨み付けた。
「……こういう事は、止めて下さい」
「どうして?」
「どうしてって……! 普通、しないでしょ、こういう事!」
彼女は、表面上は僕に丁寧な言葉を使うけれど、怒るとよく言葉が崩れる。
そうすると、馬鹿な話だけれど僕は安心してしまうのだ。
今のリディア嬢は、僕と素のままで向き合ってくれていると。
(怒られて嬉しいなんて、僕は末期だな)
自覚しながら、僕は精一杯軽薄に見えるような笑みを浮かべる。
「普通、はね。でも、今の僕達の関係は、普通じゃ無い。……ゲームに勝つためなら、僕は何でもするよ?」
「……貴方って……!」
きっとこの後は、最低と続くんだろう。
分かっているから、僕はわざとらしく彼女に近付いてささやいた。
「それに、ルイを見返したいんだろう? ……僕の言う事を聞いておいて、損は無いと思うけど?」
「~~! か、髪型変えただけで、どうにかなる事じゃないって、貴方だって知ってるでしょ……!」
「……」
リディア嬢は、子ウサギみたいな素早さで僕から離れると耳を押さえ、悔しげに言う。
その様子を見た僕は、全く分かっていないんだなと苦笑してしまった。
「……何よ?」
「君は、可愛いよ」
これくらいなら、許されるだろう。
僕は、ありったけの気持ちを、一言に込めた。
何か言い返してくるかと思ったけれど、リディア嬢は大人しい。ぽかんとした表情で僕を凝視している。
本気にされなかったか、呆れられたか……――戯れの延長で口にした言葉だと思われても、構わなかった。
そして僕は、いつも通りの笑みを浮かべて、ゲームを装う台詞を吐き出す。
「いいかい、リディア嬢。髪型を変えただけで……と、君は反抗するが、髪型を変えることすら渋っていたら、君は一生、ルイに見向きもされない雑草だ」
「……っ」
「今のままじゃ、綺麗な花々を見慣れたルイの視線は、引き戻せないよ。……一応、ゲームの最中だからね、口説くだけじゃ無くて、有益な情報も与えてあげようと思ったんだけど……。君には、理解できないかな、野花ちゃん?」
僕があえて皮肉を口にすると、リディア嬢は悔しげな顔で僕を見る。僕の意見なんて否定したいけれど、全部が全部間違っているとも思えないから、悔しいんだろう。
「――親切心だって言いたいの?」
「勿論、純粋な親切心さ」
「……この、大嘘つき……!」
僕に対して怒りを覚えているとき、リディア嬢の頭の中は僕でいっぱいだ。
この瞬間だけは、普段彼女の意識を占めているルイはどこかへ消えて、僕だけになる。
彼女を、一瞬でも独占できるのは嬉しい。
素の感情で向き合ってもらえるのは、嬉しい。
でも、本当にさせたい顔は、こんな表情じゃ無い。
(君には、笑った顔がよく似合う)
そんな言葉、怒らせている張本人が口にすれば、余計リディア嬢の目はつり上がるだろう。
わかりきっていた僕だったけれど、口からはつるりと本音が滑り出た。
「怒った顔も可愛いけれど、君には笑顔がよく似合うよ」
「そうやって、嘘ばっかり付いていると、神様の審判で舌を抜かれるわよ」
子供のような脅し文句を持ち出してくるリディア嬢。
「本当さ。嘘だと思うなら、その重たい前髪を軽くして、明日ルイに笑顔で挨拶してごらん。いいかい? 絶対に、笑顔だよ?」
「…………」
「きっと君は、僕の正直さに気付いて、涙するさ」
「……駄目だったら、どうするのよ」
弱気な言葉を聞いた僕は、その手をとって、一礼した。
「その時は、僕が慰めてあげるよ、野花ちゃん」
「また、からかって……! けっこうよ、馬鹿!」
もう知らないと走り去っていくのを見送って、僕は笑った。
「……これでも、かなり本気なんだけどなぁ……」