四話 不要なモノ、引き取ります
お前は、何も求めてはいけない。
それは、父の口癖だった。
他人がほしがる物を、同様に求めてはいけない。
欲しいと、あからさまに表に出してはいけない。
幼い子供に、欲求を隠せというのは難易度の高い注文だったが、次第に僕は心の隠し方を覚えた。
そして、なぜ父がそうまでして僕を律しようとしたかも理解した。
現王には、男子がいない。その上、体があまり丈夫では無い。
対して、弟である大公は健康で、屈強。その上跡継ぎが一人いる。
王に何かあれば、次に玉座に座るのは弟である大公になるだろう。
そんな囁きに、王は疑心を抱いた。
王が抱いた疑心を打ち消すために、大公はひたすら王に忠実に仕えた。二心などない事を示すように、ただ忠実に。
いらぬ混乱を呼ばないために、自分が火種にならないため、自分の息子が良からぬ輩に利用されないため。
――そして、息子である僕にも同じ事を求めた。国の安定のために。
父の生き方を否定する気は無い。
父は正しい。
脆弱な王よりも、強い王を人は望む。けれど、王は体は弱いが頭は切れる。
もしも父が欠片でもその気を見せていれば、この国は大きな混乱を招いたはずだ。
父は臣下として生きることを決め、周囲と王にそれを示した。
息子も同じだと示すことで、僕を守ろうとした。
僕の性格が、少しばかり悪いのは父の教育のせいではなく、僕自身の元々の性質のせいだろう。
こうして、性格が少しばかり悪くてほしいものを素直に欲しいと口に出せない子供だった僕は、そのまま大きくなり、人材育成を謳う学園に入学し文武を学び……――そして、どうしても欲しいものが出来た。
他人が望む物をほしがってはいけないというのが、父の教えだ。
それなら、他人がいらないと口にしたものは貰ったって構わないだろう。
(だって、ルイ自身が言ったんだから)
言わせた、に近いかもしれないが実際口に出したのは彼の意思だ。
いらないものなら、僕が手にしたって許される。
――それに、僕だったら、自分の大切な人は守る。
さっきまで、三人の女子生徒に囲まれていたリディア嬢は、黙って下を向いていた。
ルイがきちんとしないから、彼女が勘違いした奴らに目を付けられる。
成り上がりの庶民だの、金に物を言わせて学園に入っただの、ルイも借金を理由に無理矢理付きまとわれているだの……。
正しく説明すれば、あっと言う間に噂として広まって、彼女に対する態度だって和らぐだろうに、ルイは婚約者としての努力を放棄した。
リディア嬢が何も言ってこないから、いいだろうと思っているみたいだけど……。
(何も言わないから、大丈夫だとは限らないのに……)
こういう事は、放っておくとどんどん過激化する。
被害者のためなんて言う大義名分があると、妙な正義感から暴走する奴が必ず出てくるんだ。
だから、ルイは説明しなければいけなかったのに。
「あの、ロラン様。教官が呼んでるって、嘘でしょう?」
「嘘じゃ無いよ。本当に呼んでいた。怖い顔をしていてね。これはまずいな、急ぎだなと思ったから、探していたんだ」
勿論、そうなるように仕向けたのは僕だけど。
(特待生の平民の子を脅して、答案に自分の名前を書かせるだなんて……浅ましいというか……)
匿名で密告した甲斐あって、筆跡の違う不自然な解答はすぐ発見された。
発見者である教官も、貴族だからと特別扱いする人では無いから、もみ消されること無く表沙汰になった。
(でもまぁ、停学程度だろうな。……少し大人しくなれば良いんだけど)
そんなことを考えていたら、つんっと袖を引っ張られた。
「ん?」
「……でも、一応お礼を言っておきます。……ありがとうございます」
「…………」
「なんですか、その顔……! 私だって、お礼くらい言うわよ!」
顔を真っ赤にして、それでも強気に見上げてくる彼女は、僕が驚いたことを悪いようにとらえているらしかった。
「いや、違うよ、――だって、まさか……律儀にお礼を言われるなんて」
「だから、助けて貰ったらお礼言うのが普通でしょ! 貴方は私をなんだと思ってるのよ!」
「…………普通…………」
「そうよ、普通よ」
思わず、口元が緩んだ。
「リディア嬢。君は、とてもいい人だね」
「……え?」
「お礼を言うのは、普通か……。うん、いいね。とってもいい」
「…………意味が分からないわ」
「うん? 単純に、君にお礼を言って貰えて、僕が嬉しいと思った。それだけだよ」
だらしなく緩む口元は、とうとう隠せなくなった。
リディア嬢は、僕の顔をまじまじと見上げる。
「その顔……」
「あ、今の顔は見ないで。ちょっとだらしない顔してるから」
口元を隠すように片手で隠し、横を向く。
でも、リディア嬢は否定するように首を横に振った。
「だらしなく無いわ。いいと思う。本当に、嬉しそうだって分かる、素敵な笑顔だわ」
「……っ」
――参った。
彼女は一体、どれだけ僕を喜ばせれば気が済むんだろう。
僕の笑った顔を、素敵だなんて褒めてくれるリディア嬢の笑顔こそ、素敵だった。
(だから僕は、君が欲しいんだ)
どんな手を使ってでも。卑怯だろうとも、構わない。
いらないものを貰って、何が悪い。
他人がいらないという彼女を、何より欲しいと思っている僕が貰って、何が悪いんだ。
(大事にするよ。本当に)
だから、僕に恋をして欲しい。
浮かんだ言葉は、我ながら切実だったけれど、実際口に出せるはずが無かった。