十四話 野花が恋した花盗人 (リディア)
私を部屋に押し込めていた父が、ある日私を呼んだ。
渋い顔をして『どうして早く言わなかった」と言われ、視線を向けた先には、有り得ない人がいた。
どうして、この人が家にいるんだろう。
私が驚いて凝視していると、相手も驚いた顔で私を見ていた。
「……リディア嬢……その髪……」
長く、腰まで伸ばしていた私の髪は今、肩に付くぐらいまでの長さで切りそろえられている。
今までの自分と決別するために、なんて格好を付けて自分で切った髪だけど、この人に見られるとは思っていなかったので、恥ずかしかった。
でも、気にしてないように装って、笑ってみせる。
「いらっしゃいませ、ロラン様。こんな所に、なんの御用ですか」
まだ、痣が残る顔が痛々しいロラン様は、後ろに一人、黒髪の男の人を伴って家にやってきた。
「何って……とんでもない噂が耳に入ったからね」
「あっ……」
父が怒っていた、あの話に違いない。
私は何度も誤解だと言ったけれど、父はルイの話を鵜呑みにして聞いてくれなかった。
髪を切ってまで訴えたのに、遊び人に毒されているんだとまともに取り合ってくれなかった父は、ロラン様に怪訝な視線を向けていた。
訪問の意図が読めないから、かもしれない。違うかもしれない。
ただ、私には分からなかった。
噂になるほど、外に出回っている話では無い。
ロラン様は、一体どうしてここにいるんだろう。
「君に関する話は、全部嘘偽りだと、君の父上に説明しておいた」
「……え?」
「元々、僕が持ちかけたくだらない賭けが原因だったけれど、君は婚約者を裏切るような真似はしていない。そうだろう?」
「…………ロラン様、まさか、わざわざ、私のために……?」
このためだけに、家に来てくれた?
ロラン様は、困ったように眉を下げた。
「それは、そうさ。……君は、完全に巻き込まれただけの被害者だ。おかしな噂になれば、困るだろう」
「……噂、……あぁ、そうですね」
おかしな噂になって困るのは、きっとロラン様の方だ。
黒髪の、あの綺麗な人を思い出して、急に胸の奥が痛くなる。
「――許して欲しい、僕が浅はかだった」
頭を下げたロラン様を見て、私は今のが「終わり」の合図だと気付いた。
この人が持ちかけた、ゲーム。
それが、期限を待たずに終わるのだと。
ふざけた事だと思っていたはずなのに、視界が滲む。
「……リディア嬢?」
「ま、負けでいいです……!」
「え?」
「賭けなんて、私の負けでいいんです……! ロラン様が、謝る事なんて、何も無いんです……!」
「…………」
ロラン様は、びっくりしたように目を大きくしている。
横で私達のやり取りを聞いていた父も、驚いた顔で私を見ている。
ごめんなさい、と私は謝った。
ロラン様は、あの女の人のために綺麗に事を収めたかったから、わざわざ会いに来てくれたのに。
なのに、私が台無しにする。自分の気持ちを優先させて、駄目にする。
だから、ごめんなさいと私は繰り返した。
「……君は、何を謝っているの?」
「だって、ロラン様にはあの女の人が」
「…………女の人? ……変だな、僕には婚約者はおろか、恋人もいない。相手がいるなら、僕は君にちょっかいをかけたりしないよ」
「でも、ルイがロラン様を殴ったとき……一緒に」
ロラン様は、なぜか後ろを見た。
「……どうしてくれる、ジャスミン。ややこしい事になったじゃないか」
「この格好の時は、ジョニーでお願いします、ロラン様」
「お決まりの口上はいい。説明しろ」
ロラン様の後ろに立っていた男の人は、私の前までやってくるとパチッとウィンクした。
「お久しぶりねぇ、お嬢ちゃん? ようやく、ロラン様の格好良さが分かってきた頃かしら? だったらジャスミン、嬉しいわぁ」
「…………え?」
その声は、あの時の彼女の声だった。
「君が見た、ジャスミンという女子生徒は、ここにいるジョニーだ。見ての通り、本来の性別は男だが、僕の護衛として学園に紛れ込んでいる。…………女子生徒の格好をしているのは、趣味だそうだから……深く追求しないでくれ」
「……男の、人?」
「はい」
急に、きりっとした顔で頷くジャスミンさん……ジョニーさん?
「……あの、ロラン様、私……」
「君は、とんでもない勘違いをしていたわけだ。その上、僕の事を、恋人がいるのに他の女の子にちょっかいをかける、不誠実な男だと思っていた事も、今し方判明した」
「ごめんなさい……! その、すごく綺麗な人だったから、男だなんて思わなくて!」
慌てて言い訳したけれど、ロラン様は首を振った。
「いいや、許せない」
「え、そ、そうですよね……!」
「それに、君は今、負けを宣言した」
指摘される度、自分が墓穴を掘っていたと思い知る。
「覚えているかい? 僕が勝ったら、どうするか」
ロラン様は、言っていた。
自分が勝ったら、対価を払って貰うって。
「対価……ですか?」
「うん」
でも、この人が求めているのは、お金には見えなかった。
何が欲しいのだろうと頭を悩ませていると、ロラン様が視界から消える。
「……え?」
消えたのでは無くて、跪いていた。
「ロラン様!? 何をしているんですか、はやく立って……!」
「結婚して下さい」
「――……けっこん……?」
「僕と結婚して下さい、リディア嬢。……必ず貴方を、幸せにするから」
また、私をからかっているんでしょうと言いかけて、言葉に詰まる。
私を見上げるロラン様の顔は、真剣だった。
私に向けて、差し出された手。その指先が、微かに震えている。
冗談ではない。
私は今、求婚されている。
「……で、でも、私には……」
「対価を払う。約束したはずだ」
「それは、そうですけど……!」
「君は、色々考えすぎるんだ。だから、今は自分の気持ちだけで答えて欲しい。……君は、僕のことが嫌い?」
ずるい聞き方だと思いながら、私は首を振る。
「……っ、嫌い、じゃない……嫌いになんて、なれないです……」
父を怒らせる答えだろう。失望させる答えだと、分かっている。
だけど、本当の気持ちを教えてくれとロラン様に見つめられたら、嘘なんて言えなかった。
差し出された手に、自分の手を重ねると、しっかりと握った。
そして、父を見て改めて自分の気持ちを正直に口にする。
「ごめんなさい……私、ロラン様を好きになってしまったんです……」
父は眉を寄せて、なんだか悲しそうな顔だった。
「……ルイと、仲直りしようとしたの、頑張ってたつもりだったの、でも、どうしても上手く行かなくて……その時、ロラン様が協力してくれるって……! 言葉は、意地悪だったけど、でもロラン様は……!」
「……もう、いい」
父は、私の言葉を遮った。
「……話は、彼から全て聞いたと言っただろう。……今まで、無理を強いてきて、悪かった。……こうして泣くお前を見るまで、分かっていなかった。……許してくれ、リディア」
そういった父は、部屋を出て行った。
「娘をよろしく頼みます」
こう、一言残して。
「……リディア嬢」
手を繋いだままだったロラン様に、引き寄せられる。
「君のことが好きだ。……ずっと、好きだった。だから、どうか僕を好きになって下さい」
熱っぽい眼差しで、私を見下ろすロラン様に涙を拭われて、私は首を横に振った。
「もう、とっくに、私は貴方に恋をしています」
「!」
ぎゅっと抱きしめられる。
何か言おうとしたけれど、ロラン様の腕が震えていたから、私は何も言わず背中に手を回すことで答えた。
「君が好きだ。大好きだ」
「はい、私もです、ロラン様」
「……嬉しすぎて、幸せすぎて、僕は今夢を見ているようだ」
その時、ごほんと咳払いが聞こえてきた。
「……ロラン様、お嬢さんのお父上は、気を利かせて出て行ってくれましたけど、まだ俺がここにいますからね」
「……僕は今、幸せを噛みしめている。邪魔をするな」
「いや、ちょっと……! 分かってて無視してたんですか!」
人目を思い出した私は、慌ててロラン様から離れようとしたけれど、腕の力が強くてびくともしない。
細身に見えたのに、しっかりと筋肉の付いた男の人の腕だった。
「ロラン様……! 恥ずかしいので、離して下さい……!」
「……リディア嬢が、そう言うなら……」
ふと腕の力緩まって、物言いたげなロラン様と視線がぶつかる。
嬉しそうに目尻を下げたロラン様と、私の手が、もう一度しっかりと繋がれて、笑った。
私は賭けに負けた。幸せな敗北だった。