十話 敵はここだ (ルイ)
「お、おはようルイ……!」
振り返れば、前髪をあげてスッキリとしたアイツが、俺に向かって笑顔を浮かべていた。
いつもの、伺うような媚びを売る笑みじゃ無い。
はつらつとした、元々のアイツらしい、笑顔。
「……お前……それ」
「前髪、あげたほうがいいよって、ある人に教えて貰って、そ、それで、試してみたくて」
たどたどしい話し方は変わらないけれど、その顔は生き生きと笑っている。
「あ、わ、わたし、呼び止めて、ごめんね! そ、それじゃ……!」
何も言えないでいた俺を、待つ素振りも見せず、アイツは足早に俺を追い越していく。
「……なんだよ、あれは……」
ある人に教えて貰った?
誰だよ、余計な事を吹き込んだのは……!
アイツが、俺を裏切ったことを忘れてヘラヘラ笑っているなんて、冗談じゃ無い!
腹の底から湧き上がってくる怒りを、どう処理したら良いのか考えていると、俺の隣に人影が並んだ。
「やぁ、おはようルイ」
「…………」
「良いだろう? 彼女、可愛くなっただろう」
朝っぱらから、人の神経を逆なでするような事を口にしたのは、ロランだった。
俺が睨み付けても、いつもの嘘くさい作り笑いは微動だにしない。
「可愛い? 前も言ったと思うが、お前、目がおかしいんじゃないか」
「ははは、君には彼女が可愛く見えないのかい? …………それは、可哀想だね」
ぴくりと、頬がひくついた。
最後の一言は、完全に俺を見下すように吐き出された。
黙ってロランを睨み続ければ、優男はひょいっと悪びれなく肩をすくめる。
「なに怒ってるんだい? 君が散々けなしてきた婚約者ちゃんが、身綺麗にしようと頑張っている。喜ばしい事じゃないか。……それとも、彼女が自ら変わろうとする事に、何か問題があるのかい?」
「……アイツに余計な事を吹き込んだのは、お前か……!」
「怖い顔はやめてくれよ。……僕は、ただ可愛い野花ちゃんに、真の価値を教えてあげようと思っただけさ。女の子は、笑顔こそ一番可愛いってね。さっき、可愛かっただろ?」
まるで自分の手柄のように誇らしげなロラン。
アイツを、自分の所有物のように自慢する、そのニヤケ面。
「ふざけるな!」
気が付けば、俺は気に食わない顔を殴りつけていた。
「何勝手な事をしてるんだよ!」
それでも気が収まらないと、倒れたあいつの上に馬乗りになり、胸ぐらを掴む。
「勝手……? 彼女が変わろうとする事に、いちいち君の許可が必要なのかい? いらないって言った、君の許可が? それは、不思議な話だな」
一発食らっておいて、まだ胡散臭い笑顔を浮かべる余裕があるロラン。
その余裕が神経を逆なでする。
もう一発、殴りつけた。
――俺がロランを殴り飛ばした時点で、周囲は俺達に注目していた。
けれど、頭に血が上った俺は気が付かない。いや、そんなもの気にする余裕が無かった。
ただひたすら、目の前の優男が憎くてしかたがなかった。
自分でも、どうしてこんなにも怒りを覚えるのか分からなかったけれど、とにかくコイツに見下されるのが不快だった。自分が上だと、思い知らせたかった。
誰のモノを借りてるのか、思い出させてやりたかった。
「はっ! ざまぁないな、ロラン! 男のくせに、反撃一つできないのかよ!」
「…………暴力は、嫌い……でね……!」
「弱い奴が、詭弁を語るな!」
常に自分が上にいるかのように、余裕ぶっていた男は今、反撃すらしてこない惨めな姿をさらしている。
誰といても、だれにかこまれていても、常に注目されているのは、この軟弱な男だった。
容姿だけは女受けする、ただそれだけの男。
そのメッキを剥がしてやっているのだと思った。俺は自分を肯定していた。
高揚感が、俺を満たしていた。
「何してるのよ、ルイ!」
悲鳴じみた甲高い声が、突き刺さってくるまでは。