一話 友人の婚約者
王都に設立された学園。
その敷地内で学生達が集まって、小さな茶会が行われていた。
光栄なことに、茶会に招待された僕は、日当たりの良いテラスにて、お茶の香りを楽しみながら一人の男子生徒に目を向けた。
彼の名前は、ルイ。
貴族という身分ではあるが、父親が借金を抱え家が傾きかけた事がある。日頃から懇意にしていた商人から援助の申し出が有り、ルイの実家は何とか持ち直したのだが、ルイは自身の家を助けてくれた恩人が気に食わないらしく、しょっちゅう愚痴を言っている。
今も、そうだ。
この茶会に出る前に、一人の女子生徒がルイを呼び止めた。
なんでも、今日は昼食を一緒に取る約束をしていたらしい。けれど、待てど暮らせどルイは来ない。しびれを切らして迎えに来た彼女に、ルイは平然と『約束がある』と答えたわけだ。
「いいのかい? あの子は、君の婚約者だろう? 泣きそうな顔をしていたじゃないか……」
ルイがあの子との約束を反故にするのは、コレが初めてではない。
僕が目撃した限りでも、ここ一週間で十回はこえている。
いつも肩を落としてトボトボ歩いて行く彼女の後ろ姿を見送っていた僕は、今回たまりかねて、とうとう口を挟んだのだが、当の本人であるルイは欠片も悪いとは思っていない様子だった。
「だから、結婚だなんだって、親同士が言ってるだけだ。アイツの家は成り上がりの商家で、親父が金を借りてたから……」
隅々まで手入れされた庭に咲く、美しい花のようなご令嬢達に囲まれた友人は、僕の問いに顔をゆがめて答える。
「そうじゃなければ、誰があんなつまらない女、相手にするか」
「可愛いじゃないか。君の事を一途に慕っているのが、よく分かる」
「冗談じゃない。いいか、ロラン。お前は他人事だから、そんな風に言えるんだ。四六時中あいつにつきまとわれてみろ! 監視してるみたいに、壁の隙間から様子をうかがってる事だってあるんだぞ!」
話を聞いていた花達が「こわい」と口々にさえずって笑い出す。
(ふーん……。だってさ、どうするのかな、“野花ちゃん”?)
僕は笑顔を貼り付けたまま、ちらりと隅の方へ視線を走らせる。
案の定、ルイ曰くつまらない女である、彼女がこちらを見ていた。
きっと、諦めきれなくてルイを追いかけてきて……そして、この茶会を目にして声をかけそびれた。オロオロしている間に話題が自分の事に及び、、出るに出られなくなったんだろう。
結局、あの子は聞きたくないことを聞く羽目になった。
俯いているから、表情はうかがい知れない。
でもきっと、あのそばかすの残る顔を真っ青にしている事だろう。
「あの子は、ルイと話をしたいだけじゃないのかな? けれど、君はいつも忙しいとか理由を付けて、彼女から逃げてしまうだろう? だから、大丈夫かどうか様子を見ているだけだよ。……なにより、婚約者に対してそんな言い方、よくないよ」
僕がさも善人のような笑みで言うと、それまでクスクス笑っていた花達はうっとりとこの顔に見惚れ、ルイは鼻を鳴らした。
「なんだよ、いやにあいつを庇うな」
「男子なら、女性には優しくあるべきだろう?」
「ハッ、あんなブスにまでお優しいとは、頭が下がるよロラン」
「また、そんな言い方をする……。可愛い娘さんじゃないか。この前だって、手作りのお弁当を差し入れに来てくれていたし……。君は彼女の何が気に食わないんだい?」
「可愛い? 本気で言っているなら、病気を疑うな。毎度毎度、陰気な顔で人の周りをうろちょろして、何が入っているかも分からない弁当を差し入れてくる。空気も読めない、最低最悪のブスじゃないか。あんな女と結婚しなければいけないと思うと、オレは将来に希望を見いだせない」
ルイの言葉は、彼女の耳にも確かに届いたようだ。
肩をふるわせ、逃げるように走り去っていった。
ルイは、自分の婚約者が話を聞いていたとは知らない。
僕だけが知っている。
彼女が、ルイの言葉を聞いて傷ついた事を、僕だけが知っているのだ。
「ルイ。照れ隠しだとしても、言葉が過ぎるよ」
「はぁ? オレは本心を口にしただけだ。家の事情が事情だから、仕方なく相手をしてやっているだけだ」
「いい加減にしなよ、ルイ。あんまり勝手が過ぎると、誰かに取られるよ」
「あんな女、誰が目を付けるって言うんだ。欲しいなんて言う物好きがいたら、喜んでくれてやる」
「……あぁ、そう。――なら、僕が貰っても良いよね」
呟いて、僕は立ち上がる。
「……ロラン? お前、今なんて……」
「じゃあ、僕はそろそろ失礼するね。ハインツ教官に呼ばれているんだ」
厳しいと有名な教官の名前を出せば、引き留められることは無かった。
彼らに背を向け歩きながら、僕は一人ほくそ笑む。
(僕は、しつこいくらい確認したよ。一応、君は友人だからね、ルイ)
けれど、それでも頑なに彼女を拒絶したのは彼だ。
他人にくれてやるとまで発言した男に、遠慮してやる道理はない。
ルイの、名ばかりの婚約者。
そばかすの残る、あどけない顔立ち。とろんと垂れた目。ちょこんとした唇。
いつもオドオドとルイを見上げる彼女は、たしかに人目を引くような美人ではない。
けれど、その笑顔には力が合った。
ルイを前にすると萎縮したように縮こまるけれど、友人といるときは別人のような明るい笑みを浮かべていた彼女。その時の笑顔には、人を明るくする力があった。
庭師が精魂込めて手入れした花のような美しさはないけれど、野に咲く小さな花のような可愛らしさとでも、言えば良いのか……。
普段は目にとまることがない、けれど一度意識すると、不思議と視線を引き寄せられてしまう、もっとずっと見ていたいと思わせる不思議な魅力だった。
だから、泣いている彼女は見たくない。
教官に呼び出されているなんて、嘘。
僕は、泣いて逃げ出した彼女の後を追いかけていた。
木や茂みをかき分け、人目を避けてうずくまっている背中に声をかける。
「――リディア嬢」
ぴくりと、彼女の細い肩が揺れた。
「…………っ」
僕を振り返った青い目には、失望が溢れてる。
追いかけてきたのが、僕だったことが残念だったんだろう。
ルイに、来て欲しかったんだろう。
「ルイじゃ無くて、申し訳ない」
「……っ、い、いえ……、わかってましたから……」
慌てて涙を拭う彼女に、僕はハンカチを差し出した。
「使って」
「大丈夫、です」
「でも、そんなに手でこすったら赤くなってしまう。……きっと、ルイも心配するよ」
「…………心配なんて…………」
心配なんて、するわけない。
小さな小さな呟きに、僕は同情的な表情を作った。
「…………やっぱり、さっきの話を聞いてしまったんだね」
「わたしのこと、気付いてたんですか?」
「うん。君が走り去るのが見えて……、もしかしたらと思って追いかけてきたんだ」
「…………優しいですね。…………ロラン様は、気付いてくれたのに……どうして……」
ハンカチは受け取らず、俯いてハラハラ涙を流す彼女は本当に傷ついていた。
「リディア嬢、ルイのあれは、きっと本心では無いと思うんだ。彼は度が過ぎる照れ屋だから、君に関しても素直になれないだけで……」
「やめて、優しくしないで下さい……いつまでも、涙、とまらなくなるから……」
「…………リディア嬢」
「駄目ですね、わたし……、すぐ泣いて……、感情も隠せなくて――。だから、ルイにも面倒がられるんですよね……こんな、地味で冴えない、ぐずぐずした女だから……」
なるほど。
ルイはずいぶんな言葉を彼女に投げつけていたらしい。
僕が知らない所でも、彼の妙な癖は発揮されていたわけだ。
だとしたら――。
(つけいる隙は、ここしかないな)
欲しいものを手に入れるため、僕はいっとう優しく見える笑みを浮かべて、彼女の隣に膝をついた。
「だったら、ルイに教えてやればいい」
「……え?」
「君が、どれだけ価値ある女性か、教えてやれば良いんだよ」
「…………無理です。だって、ルイの言ってる事、全部事実だもの」
ルイの言葉は全て鵜呑みにする。
彼女にとって、ルイは絶対なんだろう。
良い意味でも、悪い意味でも。
崩すならそこしかない。
僕が、割り込めるのは、悪い意味でもルイが絶対的という面だ。
「じゃあ、見返してやろう」
「ロラン様?」
「地味で冴えないリディア嬢、僕が君を変えてあげるよ」
涙を止めた彼女は、訳が分からないと言いたげに僕を見た。
「そんなことをして、貴方になんの利があると言うんですか」
「おや、さすが一代で財を築いた商人の娘。うまい話には飛びつかないか」
「…………あなたも、私を馬鹿にしているの?」
「まさか。僕だって、善人じゃない。もちろん、交換条件がある」
「…………条件?」
「僕と、ゲームをして貰いたいんだ。……恋愛ゲームだ」
彼女の目が、大きく見開かれる。
「僕は、君をルイが考えを改めるようなレディに仕立て上げる。その間、君と僕は恋愛ごっこをする。君が僕に落ちたら、ゲームは途中終了で僕の勝ち。それまでにかかった対価を要求する。…………君が、最後まで僕の誘惑になびかなかったら、君の勝ち。対価はいらないし、ルイには余計な事を一切言わない、今後二度と君たちに近付かないと約束する」
最低、と彼女の唇が動いた。
それはそうだ。
我ながら最低な思いつきだと思う。
けれど、最低であればあるほど、最高だ。彼女に怪しまれない。
「もちろん、期限は設定するよ。縛りのないゲームなんて、つまらないからね」
「…………恋愛を、ゲームなんて……そんなの、お断りだわ。私にはルイという婚約者が」
「その婚約者との関係は、最悪なのに? 破綻しかかっているのに、気付かない君じゃないだろう」
「……っ」
「期限は……そうだな、三ヶ月にしよう。ちょうど、三ヶ月後に舞踏会があるだろう?」
それまでに、僕は君を完璧なレディに仕上げると手を差し出せば、彼女は少し迷った後に、僕の手を握った。
「ありがとう。君がこのゲームに乗ってくれて嬉しいよ、リディ」
「っ! 気安く呼ばないで……!」
「ゲームはもう、始まってるんだよ。これくらいで真っ赤になっていたら、すぐにゲームは終わりそうだな」
「わ、私には、ルイがいるもの! 貴方みたいな、いい加減な考え方の人、好きになるわけないでしょう!」
「それはよかった。手強い方が、退屈しのぎにちょうど良い」
こんな人だなんて思わなかったと、憮然とした彼女が言う。
「僕は昔から、こんな奴だよ。……ただ、ちょっと猫を被るのに長けているだけさ」
「…………最低」
「なんとでも、可愛い野花ちゃん」
握ったままの手を持ち上げて、手のひらに口付けると「ぎゃっ!」と、実に可愛くない悲鳴が上がった。
「な、なにするのよ……!」
「挨拶だよ。…………宣戦布告とも言うね。……怖い? やめる?」
からかうように尋ねれば、ルイの前でのオドオドした態度が嘘のような強気な表情でにらみ返してきた。
「こ、怖くないわよ、これくらい。挨拶よね、挨拶、わかっていたわよ。驚いただけ」
「それはよかった」
笑う僕とは反対に、目をつり上げている彼女。
怒っているのは分かっていたけれど、その瞳に映っているのは今、自分だけという事実に、僕は子供のようにはしゃいだ気持ちを抑えきれなかった。