結婚相談所に行ったら異世界の男を紹介された
何をしているのだろうか。
自問しながら見上げた空が目に眩しい。
「帰りたい」
うっかり、本音と建て前を間違えてしまったことを棚に上げ考える。
雲ひとつない快晴だった。いっそ大雨でも降ればいいものを。
例えばそう「干しっ放しの洗濯物が心配で」とかいう最もらしい理由はどうだろうか。
キャンセルのためならば、なんなら後百七個ありもしないような理由を考えても構わない。
「……はぁ」
時刻を確認する。
服の下に埋もれる腕時計は先ほどと何も変わらずに。
未だ待ち合わせ時間までは鐘一つ分、およそ一時間前を示したままだった。
どうやら必要以上に早く来すぎてしまったらしい。
もちろんのこと場所の特異性と自分の性格を考慮すれば当然の帰結であると言えるのだが。
「似合わない」
ふと、道の向こうの窓に歪んだ影が映りこむ。
よく言えばアンティーク調。凹凸の激しい、辛うじてガラスの体裁を保っているそれ。
目を凝らせば向こう側で確かに、ふわりと可愛らしいピンクのスカート翻っていた。
「何これ」
つい、鼻で笑う。
これぞデート前の乙女を彷彿とさせる理想の出で立ちだろう。だが声を大にして主張したい。個人的な意見であろうが言わせて欲しい。
ピンクの花柄が許されるのは小学生までだと心底思う。ということを。
三十路近い女が着たところで可愛らしいというよりも痛々しいという感想がよく似合う。あるいは中身が自分のような喪女で干物女なことが原因なのだろうか。
あれに勧められるがまま、今流行りだとか言うこの服をマネキンとまったく同じままに着こなしてきた。「よくお似合いですよ」なんて、定番のそれを呟いた時の輝く笑顔。被害妄想かもしれないが、背後に大量の草が生えていなかっただろうか。
「本当に似合ってない」
思わずため息をまた吐く。
自分は一体どれほどの幸せを逃がしたのだろうか。考えている最中にも二つ逃げていく。そもそも、ため息一つで幸せは三つという不等価交換なレートである以上、基の値を三倍にする必要があるのかもしれないが。
「やばい。頭が痛い。もういっそ頭痛が痛い。うん。だから絶対に気のせい」
こんな姿をもし友人にでも見られた日には……指を差して笑われればまだ御の字だろうか。
いるはずもないのは重々承知だが、つい左右を見渡してしまう。
そもそもの話、いつも給料日前にカップラーメンを食べている廃課金の誰かさん。あの娘は今頃新規実装されたばかりのクエストに夢中になっているに違いないのだから。
「……何を、考えているの、だ?」
無課金。その上魔術師。あげくのはてに基本はソロプレイヤー。友人には新手の縛りプレイかな。と真顔で称されたのは他ならぬ自分のキャラだ。「ユーやっちゃいなよ!」などと自称魔法のカードを片手に手薬煉を引かれるのは最早恒例行事だったりする。きっとあの娘は反面教師にされている自覚なぞないのだろう。実に幸せなことである。
「お前だ。お前! 大体、お前の後ろにあるのは時計塔だけだ」
土下座してアイテムのためにお願いします。などと泣きつかれた回数はそのゲームを入れなくとも両手両足では足りない気がするのはきっと気のせいに違いない。
「貴方しか居ないんです! お願いです、後生です、この通りです、“はい”か“イエス”と言うまでこの手は離さない! 離すものか!!」
その時に聞いた言葉。これも聞き覚えのある台詞だ。
最近にも同じような経験をしたような。なるほどこれがデジャブという奴か。
「……ですよね」
頭上から鋭い視線が突き刺ささっていた。
気のせい。何かの間違い。きっと別の人に用事が。祈りのように呟いたそれらの呪いは、声をかけられた時点でただの虚しい独り言へと変わってしまっていた。
念のため、後ろを振り返ったが後ろは壁だ。確認のために自身に指をさせば、不審者を見る目で頷かれる。
どうやら現実逃避をしている場合ではないらしい。
「イズーオさんですか?」
「イヅォーウだ。それで、これは何の冗談だ?」
三歩、顔を見るために後ずさる。
後ろが壁だったせいか予想よりも下がれず。予期せぬ衝突にビクリと肩を震わせてしまう。
客観的に見れば悪漢と被害者の少女だろうか。
ちらちらと投げかけられる視線は傍観者のものではなく、囁きを聞く限りはもうじきここには親切な誰かが呼んだ国家公務員的な治安維持部隊が来るのは間違いようもなく。
どこに被害者の少女がいるんだ。と、そんなツッコミも届かないに違いない。悲しいかな日本人はやはり見た目以上に幼く見えてしまうものらしい。
「あの」
全体像ではなく部分部分、例えば手だとか膝だとかを見てもらえば年齢がもう少し上がるはずなのだが。
なお、顔の皺を見ればいいだろうと思った奴は女心を学んで来い。だからお前は彼女居ない暦イコールで童貞なんだ。
いかん。またも華麗にドリフト走行を行う思考を戻し今度こそ真剣に男を観察する。
形状記憶であろうその眉間の皺を更に深くして周囲を威嚇する姿は、数字の八九三な職業の人であったとしても土下座で命乞いを始めるような迫力だ。
勿論最後にその視線を現在進行形で貰い続けている自分は涙目だ。
「くそ」
「あの!!」
笑いを我慢するのに精一杯で。
自分と比べると縦も横も幅も二倍はあるだろう大男。その上服装は甲冑。全身鎧とかいう奴だろう。いっそのことフルフェイスな兜を被ればいいものを。
よく見れば精悍な男らしい顔立ちをしているから世の女性達にその顔を見せびらかしたいのかもしれない。ただその目付きだとか雰囲気だとかが全てを台無しにしているのだけど。きっと本人は寡黙で硬派でクールな俺格好イイ! とか思っているのかもしれないのだし。
「……誰に頼まれた?」
「貴方に依頼した人と同じような人からだと思います。あっ、申し送れました。私は真央と申します」
ちらりと彼の右手を見る。待ち合わせの目印、くたりと生気をなくした百合の花が風に揺れていた。
似合わない。何もかもが噛み合わず。全てがちぐはぐで。ズレた線は底の見えない境界に変わっていく。
これはあれだ。お互い騙されたのだろう。よくある話である。いや、あってはいけないのだが奴にとっては嘘を吐いただとか、騙しただなんて感覚はないに違いない。きっとほにゃりとマヌケな笑顔を湛えてこういうのだろう。
「あれ、説明してませんでしたっけ?」
鮮明に浮かんだその現場検証のあまりの再現性のせいか、つい今の状況の全てがツボになって笑い出してしまいそうになるのを堪える。
例えば自分がこんな場所で似合いもしない花柄のワンピースを着ていることだとか。
例えば待ち合わせ相手がどう考えても人間じゃない上に笑う子も失神するような大男だったこととか。
例えば遠くから「いいか少女の救出が第一だ」なんて声が響いてくることとか。
「場所を移しませんか?」
「えっ、あぁ……しかし」
人間、自身の許容できる限界を超えたとき何かが壊れるのだという。
今の自分がそうなのだろう。とにかく笑い転げてしまいたくてたまらないのだ。
「デート、してくださるんでしょう?」
「……すみません。もう一度いいですか?」
今なら大学時代の友人の気持ちがわかるかもしれない。
こんなものがあるから!!
そう叫びながら卒業論文の全てが詰まったパソコンを、五階の窓から投げ捨て警察と病院にご厄介になった伝説の男と。
現時逃避の向こう側でかの人と篤い握手を交わしてから首をかしげる。はたして自分は何か変なことを言っただろうか?
「逢引、してくださるんでしょう?」
デートをしましょう。
この言い方では問題があったのだろう。
仕方なしに、男の要望通りに懇切丁寧に内容は変えず、言葉の言い回しだけ変えて再度笑いかける。
彼は何を聞いたのかと、自身の耳を疑うように首を傾げ、しかし目の前でニコニコと笑いながら頷く自分を見て言われたことをとうとう理解したのか、何故かそのまま見事に石化してしまう。
ふはは見よ! これがマオウの時空停止魔術だ! などと心で思わず付け足したのは秘密だ。
「……すみません。あと十回いいですか?」
所在なさげにポリポリと頭に生えた立派な角を掻いてから、消え入りそうな声が零れたのは体感にして三分後だろうか。
何故敬語なのだろうか。ついでに次で聞き取る努力をして貰えないだろうか。どうでもいいのだがどんどん近付いてくる喧騒を思うに早く此処から脱出しなければ双方共に嫌な思いをするのではなかろうか。そんな心の声を綺麗に隠してもう一度、接客もどきとクレーム対応で培った完璧な営業スマイルを浮かべてから口を開く。
「だから、結婚相談所に登録したら貴方を紹介されました」
「結婚、相談、所」
「えぇ、新宿にある普通の結婚相談所です」
「あの、その、えっと」
結婚相談所に登録したら異世界の男を紹介されたのでここに居ます。と。