極私的映画論 その1 なぜ、今どきの映画はつまらないのか?
私はかって、現代小説が技巧と、トリックに走りすぎて、
その昔の、物語性をないがしろにしたがために壊滅してしまったことを述べた。
千夜一夜物語や、デカメロン、聊斎志異、グリム民話集などのあの豊穣な物語文学の原鉱を失い、
現代文学は技巧のみの、無味乾燥な言葉の羅列と化し去った。
極言すれば、それは文字遊びだった。
そして、やたらと、長々しい、心理描写の連続、何ページにもわたるどうでもいいような、
主人公の心の動きを読まされる読者の身にもなってもらいたい、
早く話を進めてくれ、と、怒鳴りたい心境にもなる。
さて、映画も同様だろうと私は思っている。
ヌーベルバーグだか、なんだか知らないが、映画なんて、楽しけりゃそれでいいんだ。
と、叫びたい心境だ。
やたらこむずかしい、監督の独りよがり、どうだ、庶民にはオレの映画はわかるまい。
そんな、おえらい映画が多すぎる。
映画なんてエンターティメントだろう?
楽しくって、感動して、お涙ちょうだいで、はらはらして、怖くって、美男美女の恋愛で、
それでいいのだ。
私が1960年代以後の映画をほとんど見ないのも、
それらが、つまらないからだ。
1960年代以前、映画には、引き込まれるような、感動があった。
いま、映画は、あまりにもうすっぺらで、紙芝居よりもまだ、ちゃちだ。
紙芝居の方がよっぽど、マシだすらいえる。
CG,SFXなどの技術は大進歩したが、
メリエスの「月世界旅行」の方が、今見てもよっぽど素朴な感動がある。
具体名を出して恐縮だが、
私は先日「ヴァンヘルシング」というCGたっぷりのホラー映画を見た。
確かにその特殊効果に圧倒されたが、
しかし、感動というか、見終わった、充実感はなかった。終わったらケロリンタンという感じ。
何だか馬鹿にされたような、どうだ技術は凄いだろうみたいな単なる、見せびらかし。
それにつけても、昔、見た、ハマ-プロのクリストファー・リー演ずるドラキュラを思い出した。
これは怖かった、圧倒的だった。1ト月ぐらいあのドラキュラの牙が目の前にちらついた。
本物のドラキュラ伯爵じゃないかと思うくらいのその、演技力、凄さ、いやあ、怖かった。
本当に感動した。
映画も文学も小手先の技巧やトリックだけではどうもならない。
もっと、本質的な、訴えかける熱意というか、役者の演技力、ストーリイ性、
エスプリというか、ゲミュートというか、そういうものが最重要だということが古今不易の大真理
だということだ。
CGやSFX、フラッシュバックで脅かすだけ、
役者の演技力ゼロ
せりふもうすっぺら。
訴えるものなし。
やたらドルビーサラウンドがけたたましいだけ。
しっとりした、情感もなく、しみじみした、共感もなし
かしゃかしゃした、うすっぺらなドラマが
めまぐるしく展開するだけ。
それでも駄目なら、
筋とは関係ないのに女優の裸のサービス場面。
一体、今の映画って、女優がすぐ脱ぎ過ぎないか?
男性観客は喜ぶだろうが、
映画の筋と関係もなくヌードシーンでは、
あざとすぎないか?
これでは、サーカスの見世物小屋以下である。
昔の映画は、モノクロで、CGもなく、ドルビーサラウンドもなく、裸サービスもなく、
映画の腕前だけで感動作を作っていたんだよ。
続く
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