入試、そして再会
あれから4か月が経ち、季節は冬になった。大学入試も本格化する時期だ。僕は入学した当初から、地元の九州国立大学を受験するつもりでいた。まわりも、九州国立大学を目指す人ばかりだったし、何より自宅から通えるのが良い。僕は家を出るのがとても怖かった。できるなら、ずっとこの地にいて、就職もここでしたいと考えていた。それに、九州国立大学を出れば、地元じゃ知識人扱いだ。地元の知識人を夢見ていた僕にとって、それは願ったりかなったりのコースだった。
けれども、僕には大きな課題があった。数学と理科だ。小学生のころから理数系が苦手な僕には、数学が大きなウェイトを占める九州国立大学への進学は厳しいものがあった。家計の問題もあり、浪人は許されない。
やむをえず、僕は家を出る決心を固めた。そして、数学が二次試験で課されない大学を検討した結果、茨城県の関東教育大学に決めた。ここなら、二次試験で数学は課されず、得意の国語と社会で受験できる。学科は文学部社会学科に決めた。国語の井原先生から、社会学科を薦められたのが大きかった。
とはいえ、センター試験では、数学が課される。数学Ⅰ・Aしか課されないけれど、毎回赤点続きだった僕には鬼門だった。とにかく、数学をクリアしなければ。僕は毎日のように過去問や問題集を解いた。もちろん、国語や社会も勉強した。数学が苦手な僕には国語や社会の時間が天国のように思えた。ともかく、受かることに必死だった。一日の勉強時間は10時間を超えた。気が付けば、伸子さんのことなど忘れていた。あれほど、気になっていた伸子さんが意識の外に飛ぶほど、受験勉強に精を出していたのだ・・・・・。というのは嘘だった。やはりどこかで気になっていた。勉強の合間、ふとした瞬間に脳裏に伸子さんの姿が浮かんでくる。何度となく、伸子さんに手紙を送ろうとしたことか。でもそのたびに、「今はそんな時期ではない」と自分を抑えた。ともかく、3月の合格発表までは。
1か月後のセンター試験は、理科で少ししくじったものの、何とかボーダーラインを超えた。あとは、二次試験のみだ。他に、関西と関東の私大、それぞれ1校ずつ合格したが、本命は関東教育大学だ。試験日が翌々日に迫った。当然、九州からは遠いので、前日から泊まることにした。
新幹線で、東京まで向かい、東京の秋葉原から関東電鉄に乗って、筑波駅まで行く。筑波駅の近くに宿泊先のホテルはある。チェックインを済ませ、部屋に荷物を置く。窓を開けると、だだっ広い平野と建設中のビルが立ち並んでいる。まだ発展途上の街だ。まさに、We build this cityを地で行く街、そんな印象を受けた。部屋にスーツケースを置くと、僕は受験会場の下見に出かけた。筑波駅からバスで関東教育大学へと向かう。さすが、日本第2位の面積を誇るだけあって、とにかく広い。循環バスが走っていること、そして循環バスにも、右回りと左回りがあることに驚いた。そうこうしているうちに、バスは受験会場近くのバス停に到着した。ここから、図書館方面へと歩き、図書館に近づくと、そこの階段を登ってペデストリアンデッキに出る。ペデストリアンデッキには受験会場の案内板が出ていた。僕の受ける社会学科の会場を確認する。まだ中には入れないので、しばらく学内を見て回って、帰ろう、そう思った矢先である。どこかで見たような姿の女の子がいた。その子は試験会場の建物の掲示板を見ていた。髪型はショートヘアではあるものの、力強い眼をした、小柄の女の子。ひょっとしたら、伸子さんではないのか。少しだけ近づいてみる。間違いない、あれは伸子さんだ。僕は話しかけようとしたが、思わず立ちすくんでしまった。今ここで話してしまったら、またあの思いが再燃するかもしれない。明日は試験だ。そんな大事な日に、女の子のことで頭がいっぱいのようではいけない。僕は気付かないふりをして、ホテルへ戻った。
けれども、バスの車中でも、ホテルの部屋でも、伸子さんの姿が脳裏から離れない。どの学科を受けるのだろうか。もしかしたら社会学科だろうか。だとすれば、伸子さんと一緒になれるかもしれない。僕の心はいよいよ落ち着かなくなった。恐れていたことではあるが、勉強が手につかない。あれほど覚えていた古典文法や漢文句形、近現代史がこぼれ落ちていくようである。結局、僕は一睡もできずに試験本番を迎えた。
試験当日。僕はなんとかあふれそうな思いを抑えて試験に臨んだ。試験は思ったより、簡単だった。日本史はほぼ満点だったように思う。国語は古文で少しミスをしたが、あとはだいたいできた。一睡もできずによくできたと我ながら思う。あとは結果を待つのみだ。伸子さんはどうだっただろうか。試験終了後、温かい紅茶を手に持ちながら、人ごみの中を歩く。全国から来る受験生の表情は悲喜こもごも。けれども解放感に満ちている。校門の付近では、予備校のスタッフが解答速報を配付する。僕はあることを思いついた。伸子さんに手紙を書こう。やるべきことは終わった。自分の思いに正直に向き合おう。そう思うと僕の心は言いようのない高揚感に包まれた。