本橋君と僕
「淵野辺さんは?」
本橋君は、数秒間の沈黙ののち、こう答えた。
「淵野辺さんは、お父さんを病気で亡くしたんだ。それでお母さんが一人で淵野辺さんを養ってきた。けれども、淵野辺さんのお母さん、リストラされてしまって、失業してしまったらしいんだ。それで、親子二人で大分のお母さんの実家に帰ることになったんだって。」
「そうなんだ。教えてくれてありがとう。でも・・・・・、なんでそんなに詳しいの?」
「それは・・・・・、」
本橋君は、しばらくの沈黙ののち、言葉を絞り出すように答えた。
「付き合ってたんだよ・・・・・。淵野辺さんと・・・・・。」
僕は頭に血が上る思いがした。
「え、そうなの?」
「もう付き合って1か月くらいかな。淵野辺さんが僕に告白して来たんだ。付き合ってってね。」
え、どういうこと?伸子さんは本橋君という彼氏がいながら、どうして僕にあんなことをしたのか?
僕には考えてもわからなかった。伸子さんに彼氏がいたという事実が頭の中を渦巻いて、そのあとの話がまったく頭に入らない。
「・・・・・、城戸橋君聞いてる?」
「・・・・・、ごめん、ぼーっとしてた。」
「城戸橋君は、いつもそうだよね。ま、それが城戸橋君のいいところだけれども。それじゃ僕、ここで降りるね。」
電車はすっかり畝崎駅だった。畝崎で本橋君は降りていった。
なぜ?伸子さんは僕とあんなことを・・・・・・?
僕はそれしか考えられなかった。
そうこうしているうちに、電車は鶴淵駅に着いた。鶴淵駅から徒歩15分のところに僕の家はある。僕はおもむろに電車を降りた。
駅のロータリーを通り過ぎ、歩道橋を渡ると、文化センターがある。そこを通り抜ける細い道を歩くと目の前に橋がある。鶴淵橋だ。僕はここからぼんやり眺めるのが好きだ。今日もここでたたずむことにする。
それにしても、伸子さんは行ってしまうのか・・・・・。僕はその時、伸子さんに対し、ある感情が芽生えたことを自覚した。だが、それを必死に押し戻そうとする。だめだ、だめだ、今はそんな時期じゃない・・・・・。でも・・・・・。
「君、どうした?」
突然話しかけられたので、後ろを振り向くと、近所の吉原さんだった。吉原さんは、書道の先生で、県立千代高校の7回生だ。僕と吉原さんは最近知り合って、会うたびに親しく話している。
「川面に映る夕陽を見ながら、思索にふける。若者の特権じゃないか。ねえ、そうだろう?何を考えていたんだい?」
「そんな、思索というほどのものではありませんよ。」
「そうかい、いややけに思いつめた顔をしていたからね。ひょっとしたら、君・・・・・。懸想文でも書こうとしとるんではないかな?」
「け・そ・う・ぶ・み?」
「すまぬ、すまぬ、今でいうラヴ・レターやなあ。君、誰かに惚れとるだろ?そんな顔しとる。」
僕は何だか本当のことを言い当てられた気がしてばつが悪かった。けれども、平静を装って、「そういうわけではありませんよ。今の僕には目の前の勉強で精いっぱいですから」と答えた。
「そうか。まあ、若いうちは恋の一つや二つした方がええ。特にあんたはくそ真面目やからなあ。まあ羽目を外さん程度に。では。」
吉原さんは去って行った。