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あの日の、シャングリラ。  作者: 溝上翔
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伸子との出会い,そして別れ

 夏の日の午後になると、山下達郎の“South Bound No.9”をかけながらシャンディ・ガフを飲む。これが気持ちいい。ビールではない。あくまでもシャンディ・ガフだ。そうしていると、僕は夢心地になり、ふと過去のこと回想したりなんかする。



 あれは、やはり夏の暑い日だった。県立千代高校の部室棟でのことだった。僕が所属する社会科学研究会は映画研究部と隣り合わせだった。その映画研究部の伸子さんに会うのが当時のひそかな楽しみだった。高1の時から図書館と部室しか居場所のなかった私には友人もいないし、まして彼女なんているわけがない。地味な高校生活だった。そんな高校生活において、唯一の清涼剤となったのが伸子さんとの会話だった。伸子さんは小柄だが目力があり、才気煥発という感じの女の子だった。そんな彼女と出会うきっかけは、高1の時の生徒総会だった。生徒総会で発言した僕に話しかけてくれたのだ。


「城戸橋君だよね?よかったよ。城戸橋君って話はうまくないけど、なんか説得力あるよね。」


伸子さんはこう言って、さらに僕に質問した。


「城戸橋君は何部に入っているの?」

「社会科学研究会。」

「そうなの?私、社会問題とか真剣に考えているおとこの人、素敵だと思うな。」


女の子からそんなこと言われたのは初めてだった。照れ臭かったけど、嬉しかった。子供のころからマルクスしかとりえのない僕にとってそれは夢のような一言だった。「マルクス知ってる?」って周りに聞いても、「マルクス?何それ?」(人とすら認識されていない)

としか反応が返ってこなかったことを考えれば、まさに夢のような一言だ。


「よかったら、アドレス交換しない?」と言われたが、当時僕は携帯電話を持っていなかったので、残念ながら交換できなかった。けれども、その日から廊下ですれ違うたびに手を振ってくれるようになり、話しかけてくれた。


「城戸橋君元気?」

「うん、おかげさまで。」

「城戸橋君テストどうだった?」

「さっぱり。イリイチの脱学校論が出たらよかったのに」


「誰?イリイチって。城戸橋君ってホント色々なこと知ってるのね!でもそんなのテストでないよ。余弦定理覚えないと。」

「数学はほんとにわからないね。淵野辺さんは?」

「私もさっぱり。物理がチョー難しいの。森田の授業まじわかんない。」

「森田先生はわからないね。しかも無駄に筆圧強いし。」

「そう、それ。黒板消し大変だよね。」


そんな感じでいつも話していた。


八月の中ごろのある日だ。この日もいつものように部室へ向かおうとしたら、伸子さんに呼び止められた。


「城戸橋君、一緒に将棋しない?」

「将棋?駒の動かし方ぐらいしかわからないけど・・・・。」

「それでもいいから、一緒に将棋しよ?」


こうして、僕は映画研究部の部室に入った。誰もいなかった。僕と伸子さんは二人きりになった。


「今日は活動休止日なの。だから誰もいないの。」そう言って伸子さんはおもむろに将棋セットを取り出した。


「城戸橋君、先攻後攻どっちがいい?」

「うーん、後攻で。」

「じゃあ、私先攻ね。」


こうして、将棋を始めた。伸子さんの腕はなかなかで、すぐに僕は防戦一方となった。


「城戸橋君、守ってばかりじゃ駄目よ。攻撃は最大の防御よ。」そういって、僕の王将を詰んだ。


「王手!」伸子さんは叫んだ。


「城戸橋君の負け。城戸橋君、私が勝ったらなんでも言うこと聞く?」


「え?そんなこと聞いてないよ。」

「つべこべ言わないで私の言うこと聞いて!」


妙に強引な伸子さんは、僕に目を閉じるように言った。


「いい?目を閉じた?」

「うん。」


もしかして、これは?あれか。ちょっと待って、心の準備ができていないよ。僕は幼稚園の先生としかそんなことしたことないんだから。


その時だった。伸子さんの唇が僕に触れたのは。



伸子さんの転校が告げられたのは、翌日だった。

いつものように、部室に向かうと、私物を抱えて映画研究部の部室を出ていく伸子さんに出くわした。


「どうしたの?」と僕が聞くと、

「転校するの。大分の大分一高に。」

「お父さんの仕事の関係?」

「・・・・・・、私お父さんいないんだ。」

「なんか辛いことを思い出させてごめん。じゃあお母さんの?」

「そうね。色々あって。」

「そっか。大分に行っても頑張ってね。」

「ありがとう。城戸橋君もね。」

そういうと、伸子さんは僕に小さな紙を渡した。

「これは?」

「私の住所とか書いてるから。なんかあったら連絡して。じゃあね。」

伸子さんは小走りに走っていった。その時の表情は、夢見る頃をとうに過ぎた今の僕でも、何らかの夢を見させてくれるような、そんな表情だったのを僕は覚えている。

僕はあまりに突然の出来事に何も考えられなくなった。え、転校?昨日まで普通に将棋をしていたのに。昨日はそぶりさえ見せていなかったのに。僕はもう部活などどうでもよくなって、部室近くのコモンホールの回廊(コリドー)を行ったり来たりしつつぼんやり考えごとをしていた。夏の日の午後だ。回廊(コリドー)から光が差し込む。それがなんとなく優しい。回廊(コリドー)からの光を身に受けながら、僕はぼんやりとグラウンドを眺めていた。グラウンドでは、体育祭のスタンドが急ピッチで建設されていた。

それから三〇分ほど物思いに耽っていたが、なんだか落ち着かなくなった。僕は帰宅することにした。部活などあってないようなものだった。部活は僕しか在籍しておらず、顧問も部にやってこないので、もっぱら読書をしている、そんな感じだったからだ。校門を出て、葦塚駅まで僕は歩いた。葦塚駅の四番ホームで、淵野辺さんのクラスメートの本橋君に会った。僕は本橋君に尋ねた。

「淵野辺さん、転校するってね。」

「そうみたいね。でも、なんで城戸橋君知ってんの?」

「淵野辺さんから聞いたよ。大分に引っ越すって。」

「淵野辺さんは」






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