報告と勇者の葛藤
セリアは陣と別れ、王城の一室へと足を運んでいた。
しばらく無言のまま歩き続け、たどり着いた扉をノックする。
「入りなさい」
許可があったので、失礼します、と口にしてから部屋の中へと入っていった。
部屋の奥には向かわず、扉のすぐ前で足を止める。
部屋全体は他の客間や応接室と比べて地味な印象が伺えた。華美な装飾は一切なく、最低限の調度しかなされていない。あちらこちらに散乱する本や紙束は、彼女の忙しなさを現しているように思えた。
これが、一国の王女の私室兼執務室なのだから、驚きである。
王族とはもっと煌びやかで、他者に見栄を張ることを生きがいとしているとセリアは思っていたが、この王女には全くと言っていいほど当てはまらなかった。
「いらっしゃい、セリアちゃん。さて――報告を聞こうかしら」
資料に目を落とし、手を動かしたまま、第一王女フィリア・フォン・リンドブルクはセリアに言った。
「はっ! 勇者ジンはここ最近ずっと、変わることなく自分の力をつけるために修行をしておりました。直近では独自の道を探求するため他の勇者との合同訓練には顔を出していません」
フィリアは手元の用紙を書き進め、終えたものを積み上げていく。傍から見てもその仕事量に感心してしまうほどだった。そうしていると、こちらの話を聞いてないのではないか、と一瞬思うが、すぐに返事が来たので、並行して考えをまとめているのだろう。
「そう、進展はあった? あの勇者だけ、他に比べて劣ってる、なんて噂が流れているけれど」
「……いえ、目覚しい成果はありませんでした」
「ふーん、そう。不満とか、要求とかは聞いてない?」
フィリアの考えはいたって単純である。
なるべく有効的に勇者を味方に引き入れる、そのためには見返りを求めず、成果に対価を持って答え、不満や要望を聞き入れる。余りにも無茶な要望以外はそれなりに聞き入れ、こちらから友好的に振舞えば、向こうもそれなりにだが協力はしてくれるものだとフィリアは知っていた。
それは民を纏めるのと同じである。
衣、食、住に加え、性欲を満たせば、大抵の不満は浮かぶことはない。異世界人とは言え、人の本質はそこまで変わらない。向こうでの生活は確かに失いたくはないであろうが、こちらの生活に慣れさせれば、人は自然と順応していくものなのだ。
だが、それを理解しない貴族もいる。勇者を最前線に送り込めばいいだとか、その力を自分達のために振るえだとか、高貴な血を持たぬものは奉仕すべしだとか、そんなバカ丸出しの意見を言う連中も確かにいるのだ。
フィリアにしたら、たまったものではない。そんなことをすれば、彼らの怒りはすぐさま爆発する。無理やり呼び出された上、危険を強要し、無償奉仕などありえるはずがない。民衆と同じく圧政に反発し、王国を乗っ取るくらいはやりかねないだろう。力がある分民衆よりも性質が悪い。
そうして混乱している内に、他国に付け込まれるか、魔族に攻め込まれるか、どちらにしろ最悪だ。無能共はまるで分かっていない。自分達が既に最終手段に頼り切っているこの現状の深刻さに。
「いえ、特には」
そんなセリアの言葉に、フィリアは安堵する。
「そう、貴方はいい仕事をしているみたいね」
「……いえ、私は、その、命令どおりジンの傍にいるだけなのですが」
実際セリアは何もしていない。
今日も今日とて、ジンについていって、クレープを貪っていただけなのである。奴隷としては過分な扱いにせりアは少しだけ申し訳なくなっていた。
「いいのよ、それで――貴方の仕事は変わらず、ジンの傍で、彼の要求を聞き入れることよ。そうすれば――」
――ユーリカに魔の手が伸びる可能性を減らせるもの。
その言葉をフィリアは口に出さなかった。
今回召喚された勇者四人は間違いなく有能である。加えて、性格も温厚で好感が持てる。戦闘に関しては能力よりも性格に引きづられて向いてないとは思うものの、才能だけで言えば、フィリアの理解を超えていることは間違いなかった。そうでなければ、到底魔王になど立ち向かえないのもまた事実なのだけれど。
「いえ、何でもないわ。引き続きよろしくね、セリアちゃん」
「はっ!」
「じゃ、もういいわ、ご苦労様」
「し、失礼しました」
陣と触れ合ってから、途端に表情を明るくしたセリアをフィリアは見送った。
「これで、爆炎の尻拭いも大体終わりかしらね」
二人の中は決して悪くない。今日も二人で王都を回っていたのだから。
フィリアはセリアからの報告書を捲りながら、呆れるように呟く。
「小児性愛者勇者に、同性愛者な勇者ですか……勇者はバカか変態しかいないのかしら……」
そんな呟きは、誰にも聞かれることはなかった。
◇
剣撃の音が交差した。
超高速で、互いの剣がぶつかり合う。練習用の剣であるにも拘らず、ぶつかっては火花を散らし、交差しては轟音を響かせる。
二人の剣の応酬に、この場に居る騎士達は誰も割って入ることは出来ないであろう。
そんな達人染みた技が飛び交う中で――
「陣君、大丈夫かな……?」
「心配なんですか、姫宮先輩?」
彼女達は暢気に会話をしていた。
「だってだって、訓練にも顔出さなくなったし、いつも何か考えてるようだったし、それに何の相談もしてくれないし……」
「陣先輩は元々人に相談するような人じゃないですし、僕等の何倍も考えて動く人ですよ? 心配するだけ無駄ですって、きっとすぐ化物みたいになって帰って来ますって」
「敵になってるじゃん! でも、そうは言うけど、心配だよ……」
上段から振り下ろされた忍の剣を、天は剣を横に構え受け止める――と、見せ掛け、剣と剣がぶつかる瞬間に角度を斜めにして受け流し、忍の体勢を崩しにかかった。
攻勢に出ていた忍は、即座に自分の不利を悟り、振り下ろした剣を無理やり止めながら、全力で地を蹴って後方へと下った。
天はすかさず距離を詰めるべき絶好の機会をあえて見逃して口を開く。
「むしろ先輩のほうが陣先輩と会えなくて寂しいだけじゃないんですか?」
と、確信めいた天の言葉に、忍は途端に焦りだす。
「ち、違うもん! 陣君が色々と馬鹿にされて悔しいだけ、なんだから……!」
「とか言って、本当はあのちっこくて可愛い子、セリアちゃんに陣先輩を取られることが不安なだけじゃないんですか?」
「ふぇええええええっ! べ、別に私は、そんな、あの、その……」
狼狽する忍に天は一瞬で近づいた
「隙ありです、よ」
と横薙ぎに剣を振りぬいて、受け損ねた忍の剣が宙を舞った。
「ひ、卑怯だよ、天君っ!」
「油断大敵です、先輩」
そう言って、天は額の汗を拭った。
「でも、ほんとに油断大敵ですよ? 何時陣先輩の理性が切れて、ちびっ子に手を出すか分からないんですから、あの人は……」
「で、でも、陣君は、そんな不誠実なこと、絶対にしないよ!」
忍は知っていた。陣はあの日から、幼い子供を愛するようになってしまったが、それが邪な感情ではないことを。そうでなければ、汚名を被ってまで自分を助けてくれた意味が分からなくなってしまうから。
だから忍は、感情とは別の理性で、陣のことを信頼していた。
「ほんとに言い切れます?」
だが、いぶかしむような天の視線を受けて、言いようのない不安が忍の中で渦巻いていく。
得に、朝方裸同然の姿で眠る少女と引っ付いていた陣の姿を思い浮かべて、少し自分の信頼を見直すべきかとまで考えてしまった。
「………………多分……」
結局、忍は言い切ることができなかったのである。