セリアとデート
俺はただ一点、指先に灯った小さな火を見つめていた。
「ふふふ、はははは、ふははははははは――――うむ、悪くない」
俺が笑い声を響かせていると、そんな炎を、隣で覗き込む少女がいた。
「ジン、魔法使えない駄目勇者じゃなかったの?」
出会ってから、何故だか懐いたセリアが飼い猫のように横に引っ付いてくる。これはこれで役得なので問題はない。忍の視線は日に日におっかなくなるが、何事にもリスクは付き物である。
「失礼な奴だな、セリア。使えなかった、だ」
ちなみにセリアは魔法が使える。物凄く使える。
九歳で、風、水、闇の三属性が扱える上、森人と魔族のハーフだけあってどの魔法も一流、さらに魔力量も宮廷魔術師レベルだった。加えてまだまだ発展途上。どこぞの勇者様は涙目である。
「それって、魔法文字? うわっ! 汚い、それに構成も、なんか、変……」
「んだよ、人が一時間かけて描いた傑作にいちゃもんつけるなよ!」
結果、ライターの火くらいは灯せるようになった。
魔法文字は魔力が沁みこんだ紙に特定の意思ある文字を刻むことで、魔力を持つ種族ならば誰にでも魔法が使える呪文書を生み出すことが出来る。
つまり、この世界の人々が術式を組み上げる領域、魔力回路なる物の代替となることが出来るのだ。
俺はしばらくの間、訓練をサボり、もとい休んで、魔法文字の勉強をしていた。
もう、王道勇者は諦めたのである。
王城では最弱勇者と名高くなってしまった俺には最初から選択肢はないと言ってもいいけれど。
「だってこれ、こんだけ大規模な変換式組んで、小さな炎しか出さないとか……ジンって、もしかしてバカ?」
「失礼な、独学だから難しいんだよ! それに、身体強化の要領で魔力集めると、ほら……」
俺の指がLEDランプのように光る。
「うわっ! 眩しい……」
「これのせいで手元が見えない……」
「やっぱバカ……」
そう、結局絶望的に向いてなかった。
一週間、ずっとこればかりやってたのに、成果はライターの火だけ。
正直言って、
「泣きたい……」
「で、でもほら! 魔力制御は滅茶苦茶うまくなってるよ! 私よりも上手だよ?」
九歳の少女に励まされる俺。そして、九歳の少女に気を遣わせる俺。
「はぁ……」
情けなさで死にたくなってきた。
唯一の成果といえば、魔力を指に集める練習をしている内に、魔力の扱い方が一層向上して、魔力操作が特殊能力魔力制御へと進化したことだろう。
俺は思った。
今度こそ身体能力強化状態で動ける、と。
結果、手のひらの指を全て動かせるようになった。
だから、何っ!
「はぁ…………」
「向いてないんじゃない、魔法文字は……」
「…………」
セリアの正論に俺は黙る。
正確には魔法文字も、か。
もやもやとして、思考が何度も無意味に循環する。こういう時は何を考えても駄目な場合が多いと、俺は経験則として知っていた。
「はぁー、気分転換するか……セリア、一緒に王都散策しようぜ」
「そ、そ、そ、それって……………………デート…………?」
ん。
まあ、そうなるか。
どちらかと言えば、子守り、あるいは付き添いだと思うが。
いや、相手は九歳の少女とはいえ、正しく女性扱いをするのが俺のモットーである。
「クレープ奢ってやるぞ」
「むぅー、子ども扱いするな!」
「はいはい、手を繋がなくてもついてこれるか?」
「むぅー!」
頬を膨らますセリアを連れて、俺は城を後にした。
街に繰り出すにも、跳ね橋を下ろす必要がある辺り、仰々しくも迫力がある。
白亜の宮殿、俺達が召喚されたその場は、広大な城を含む王領の北端にあった。
王都は堅牢な城をを中心に、城下に街が広がっている。市街は花崗岩の建物のと豊かな緑とが調和している。西南には広大な湖を中心とした広場が設けられていて、市民に開放された広場として賑わっている。
市街のいたる所に、食品の屋台や飲食店が立ち並んでいて、漂う匂いで思わず腹が鳴った。
レイノール王国は、軍事力、経済力、領域、どれを取っても大国として何ら恥じることはないが、その全てにおいて、天帝国に劣る。軍事力は比べることすらおこがましいだろう。
だけど、豊かな自然と広大な大河、そこから運ばれる数多くの新鮮な食材は、ここでしか味わえないことから、大きな価値があると言えるだろう。
レイノード王国には、食の都と呼ばれる三つの都市が、河、山、海にそれぞれある。
王都は新鮮さでは劣るが、それら全ての食材が集う都だ。魔法がある分、長期保存が利くことが多く、食文化の発展も目覚しいものがあった。
俺は出来損ないでも勇者なので、姫様からそれなりの金銭が支給されていた。
ニートだけど金持ちである。
なので、隣で浮かれているセリアに腹いっぱい飯を食わすことなど、容易なのだった。
「はふー、もう食べられないです……」
幸せそうにお腹をさするセリア。
それでいいのだ。子供は遠慮などせず、腹いっぱい食って、健やかに育てばいい。それだけが、仕事なのだから。
「はうっ! クレープ! ジンっ! 私、生クリームたっぷりのがいいっ!」
漂う甘い香りに少女が釣られる。
「腹いっぱいじゃなかったのか?」
「甘いものは別腹なんです!」
「そっか、じゃあ買うか」
気のいい店主に金を払って、クレープを片手に街を歩く。
ふと、群集の視線につられるように、俺も視線を移ろわせた。
その先には、夕焼へと染まりゆく空の光が、湖畔の水面に写りこんで、幻想的な景色が浮かんでいた。思わず、立ち止まって、誰もが見つめてしまうのも無理はない。
飾らぬ空に、赤ぼけた雲。花を咲かす木々の色合いが、透明な水に色を落とす。
風に揺られては姿を変え、人が移ろっては景色を変え、時間と共に変化し続ける芸術を、そっと見て感嘆が零れた。
「んー、綺麗」
「水面は食べられないぞ」
「食べないよ! 私はそんなに食いしん坊じゃありませんっ!」
セリアはそう言うけれど、今日の食費、セリアだけでも銀貨七枚。日本円にして約七万円。
いや、どう考えても食いしん坊である。
一般家庭なら破産ものだ。
「さって、どうしたものか」
俺は気分を入れ替えるように呟いた。
何か、実力をつける方法を考えるつもりだったが、そう簡単に名案が浮かぶはずもない。いや、魔法文字は名案だと密かに思っていのだけれど。
まず、そもそも魔法文字は基本的に人気がない。何故なら、誰かの創作した魔術をそのまま使わなければいけないことになるので、基本的には劣化コピーにしかならないし、手間とコストがかかるので、積極的に作る人間は少ないのだ。加えて、製作には普通に魔法を使う以上に魔力が必要になる。それを操作して刻む技術も必要だ。
さらに言うと需要もそう多くはない。
魔法使いは皆、自分の魔法を使うし、多少魔力が少ない人間は身体強化に力を入れるのが普通なのだ。かといって、一般大衆が護衛用に持つには値段が高すぎる。
だからこそ未発達の分野になっていて、磨けば光る、そう思ってた。
異世界人特有の魔力回路を持たない、というハンデを、別の媒体に作ることで補えば、問題は解決すると思ったのだが、浅はかだったのかもしれない。
近接職も後衛職も儘ならない。
八方塞がりである。
だけれど、俺はそこまで焦っているわけではない。
とある天才に、とある依頼をしているので、最悪俺が何も出来なくても、それなりには戦えるようになるだろう。
でも、それではあまりに情けない。
彼女はそうは言わないであろうが、何となく俺がいやだ。
それに――
俺は隣で歩く少女を見た。
幸せそうに歩く少女の首には、今もなお自由を奪う枷がある。
(外してやるって、言ったもんな……)
それが、魔法文字を学んだもう一つの理由。書物を読んで、自己流で魔術文字を学んだのだ。
王城にあった書物をひたすら呼んで、自分なりの魔法を生み出そうと努力した。
まあ、結果は知っての通りだが。
どうすべきか考えて、そこでふと頭の中に良案が浮かんだ。
「なあセリア、王城の他に図書館とかってあるか?」
俺は滅多に王城から出ていなかったので、書物が安置されているであろう一番の場所をまだ探索していなかったのだ。
「は、はい。えーと、確か王城のすぐ傍、東側に大きな建物がありましたよね。あれが、王立大図書館ですよ? 歴史書、魔導書は勿論、文学や料理など、あらゆるジャンルの本が揃えられているので有名だと思います」
セリアの言葉を受け、考えを巡らす。
「成程なー、行ってみるか。セリアはどうする?」
「お供します、と言いたいところなんですが、フィリア様に呼ばれているので、そろそろ戻らないと……」
と、セリアは言う。
「そっか、んじゃ城まで送るよ。後はあれだ、あのお姫様に何か変な命令されたら俺に言えよ?」
そんな俺の心配を他所に、セリアは笑う。
「いえ、フィリア様は基本的にお優しいですよ? 前々から食事もしっかり与えて下さいましたし、今もジンの役に立てとしか命令されていませんので」
「そっか、まあなんかあれば相談しろよ。少女の頼みは基本的に断わらない主義だ」
可愛いは正義。
年下も正義。
俺は少女達の味方である。
「はいッ!」
俺はセリアを見送って、大図書館へと向かった。
自らの歩を進めるために。