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彼の声

 -さよなら-

 たった一言、メールで終わるような恋愛になるなんて思ってもなかった。

 メールを見た瞬間、(のぞみ)口遊くちずさむハミングが遠のいていた。


「テスト終わった~。そして死んだ~。追試決定~」

1学期に続きノー勉で臨んだ平端望(ひらはた のぞみ)が高らかに笑った。

使い慣れた机も今日ばかりは拷問のようで、何時間も、見た事があるのかどうか不確かな数式や外国の歴史など、どこか頭の中にしまったはずのものを時間内精一杯探した。望みたいにあっけらかんとしていられたら良いのに。私は羨望の眼差しで望を見つめた。

「ねぇ、いなっち。今からカラオケ行かない?」

筆記用具を片付け終えると、望が近づいて来た。

「いいねぇ。行っちゃう? 手持ちそんなないから、ジングルで良い?」


 ジングルは3時間500円という激安のカラオケ店で、他にもカラオケ店はあるけれど、ここが1番最新曲の更新が早くアニメソングとかのコアなジャンルも豊富だから、目次本が毎日のように膨れ上がっていくのはちょっと難だけど、特に若い世代に人気が高い。

「何歌う? やっぱりタノッチかな」

 Mil(ミル)という若い女の子世代に絶大な支持を受けている女性歌手の名を望は口にした。ネットの拡散から多野という本名が漏れてしまい、Mil自身もフルネームを公表したことで、Milというアーティスト名より多野と呼ばれる事が多くなった。白に近い金色の髪をしているのに、番組司会者のあけすけな質問にもユーモアで返せるような「スマート」な人だった。

 

 そのMilのメロディが私のケータイから流れた。

「あっ、ちょっと待って。メール来た」

 私がメールを確認している間、望はMilが去年出した、ロングヒットナンバーをハミングで歌っていた。

「なんで?」

 ん、どったの?という望の問いに、送られてきたメールを顔の前に直接向けた。

 

 -さよなら-

 たった一言、メールで終わるような恋愛になるなんて思ってもなかった。

 メールを見た瞬間、望が口遊むハミングが遠のいていた。

 あんなに愛してあげたのに、感傷的な別れさえ用意してくれなかった。卓真たくまはそんな奴じゃないと思っていたのに。


 2人で何で?ひどくない?と騒いでいると、不意に遠くから視線を感じた。

全くツイてない。テストで頭が煮え、カレシからは一方的に別れを告げられ、妙な視線まで感じる。もう嫌だ。今日は絶対カラオケに行ってやる。

 素早くメールを呼び出して、目の前の望にメッセージを作る。

-ね、何か視線感じない?-

-感じる。多分、校門の近くにいた奴じゃない?- と返ってきた。


 校門の方をちらっと見れば、パーカーにジーンズを吐いた男の人がこちらを見ていた。

 大人の、親の年齢の方が近いかもしれないその人の、例えば子供が初めて父親の会社に傘とか弁当とか届けに来た時みたく不安げで頼りない表情が小さい頃の弟みたいだった。

-あれ、迎えか何かかな-

 望はメッセージを作りながら首を横に振った。

-それはなくない? ストーカーとか?-

 私たちがいつまでもこうして話していると、余計に彼を逆撫でするような気がして、カラオケに向かう事にした。


 

「良かったじゃん。芝内先生もいいとこあるね」

「いやぁ、多分面倒臭かったんでしょ。あれ。また平端かよって」

 私は何とか追試は免れた。望は数学が赤点だったはず。でも芝内先生が何にしたかは知らないけど加点と称して合格点をくれたという。私だってあんなに頑張ったのだ。どこでもいい。加点して欲しかった。


 中間試験が終わってからの私たちの夕方はモールに行くのが主流だった。今年はカレシへのクリスマスプレゼントを考える必要はないけれど、どこに何が売っていて、今年は来年はナニナニが流行りそうという情報を得ておかなければ、クラスの中で「女子」として認められないような空気を感じていた。例え無意味なものだったとしても、ハブられたりして兵糧攻めにされた時に役立つとも思えたのだ。


 学校を出て駅の方へ向くと、この間見た「幼顔のストーカー」がいた。思わずピクッと立ちどまり、私たちは足早にその場を離れた。

 あれ、絶対おかしいよね。被害にあってる子がいなきゃいいけどね。まー、いないっしょ、知らないけど。そんなひそひそ話を後からした。


 それから何度も彼を見かけた。望はやめておけと言ったけれど、どうしても気になって思い切って話しかけてみる事にした。

「あ…あの、誰か」 探してるんですか?

そう言おうとした時、ふっと彼が動いて、私の言葉だけが宙を舞った。幼顔のストーカーは1人の男子高校生を見つけると、そいつと一緒にどこかへ歩いて行った。



 普段、料理研究愛好会で立ち続けるのはそれほど苦じゃないけど、走るとなると別問題だ。毎年私はこの季節を呪う。男子の10キロに比べたらまだマシだけど、女子の6キロはもう十分地獄だ。

「稲垣さん、ちょっと待って。私、足きつい。ちょっと歩こうよ」

同じクラスの大崎さんが言ってくる。彼女と私は、運動能力については似ているようで、去年も別のクラスだったけど近くを走っていた。へばっている彼女に手を貸して、交差点で待機している先生に預けたのがきっかけで、時々会うようになった。

「チンタラでもさ、走って行こうよ」

「平端さんは凄いよね。女子ではいつも3番以内には入ってるもんね」

 頭動かすより楽なんだってさ。

 結局、歩きと変わらないくらいスローなテンポで走り続ける。もちろん男子でも女子でも歩いてる子はいるし、座り込んでる子もいる。


 そんな座り込んでる子の中に、見た事あるような顔があった。あっ、ストーカーさんのと、ふと思い出す。パーカーを着ていたあの人と一緒にいた子だ。でも今は大崎さんがいるし、声をかけるわけにいかなかった。彼の方を気にしていると彼も気がついたようで、なぜか会釈をしてきた。きっと会釈を返しても何か起こる事はないけど、私は大崎さんを気遣うふりをしてそれを無視した。背中の後方に彼が遠ざかっていくのを少し後ろめたく思いながら、望は今どの辺だろうと考えた。



学校から駅へ行くには、公園を横切る方が早い。イチョウがたくさん植えてあるから、今の季節はちょうど色づいていて人通りは多いけど、またそれも良いかなと思う。

 公園の終わりころに来ると、彼がいた。イチョウの木を見上げていた。どこか幸せそうで、この寒さが忘れられそうだった。この間、マラソン大会で挨拶を無視した事を謝った方が良いだろうか。そう思って一歩踏み出した時、足音でもしたのかこちらを振り向いた。驚いて眉根を寄せるその顔がパーカーの彼に似ている気がした。

「やあ、こんにちは。あなたも紅葉を見に?」

いえ、帰り道なので。自分から話しかけようと勇気を振り絞ったのに、先を越された事が悔しかった。あぁ、そうなんですか。てっきり紅葉を見に来たのかと思ったんですが。

「綺麗ですよね、紅葉。僕、紅葉好きなんですよね」

「私もです」 そう言うと、やっぱりと彼の顔がパッと明るくなった。

「それに丁寧語じゃなくていいですよ。僕は1年なので」

「この間、マラソン大会の時、挨拶してくれたのに無視してしまってごめんなさい。声を掛けようか迷ったんだけど、友達もいたし」


 別に言い訳なんかしなくても良いのに、つい真っ当な理由を探してしまう。

 第一本当は大崎さんがいたからじゃなく、火のないところに煙は立たぬと言うし、彼には悪いけどあらぬ私の恋バナが持て囃されるのを嫌っただけ。

「やっぱり、僕の想像した通りの人でした。小さな事にも気を遣う」

 彼はそう言ってありがとうございますと言った。

 理由は解らなかったけど、また話せるかなと思った。

「僕は井口と言います。井口 (めぐむ)。慈愛のジと書いてめぐむ」

「稲垣です。稲垣夏菜。夏の菜っ葉です」


 また会えますよね。色づいたイチョウの下で、慈くんは笑った。

「帰り道という事は電車ですよね。時間大丈夫ですか?」

 そう訊く彼に首を振る。

「1本や2本、遅れても大丈夫」

良かった。でも僕もそろそろ帰らなきゃ。そう言って、荷物を取った。


「また会えますよね」 今度は私が訊いた。

 彼は私の前で、「えぇ。また会えると思います」 妙に自信たっぷりに彼は言った。

 恋しちゃったのかな。彼が去った公園の風に吹かれて、私は、左手首に巻いたレースで作ったミントグリーンのブレスレットに優しく触れてみた。


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