猫の子どこの子 3
二時限目の授業に多少遅刻したものの、その時間明けから軽音楽部員総出によるトモの猫バッジ捜索が始まった。
まずは授業中の秘密手紙による遣り取りに始まり、そこから出来上がったネットワークを利用して携帯メールで情報を交換、共有して目撃情報を募った。
その際にハルとアヤは、スマホで撮影したトモと一緒に写った写真を加工して、当件の最重要目標である猫バッジの画像を作り、情報に添付した。
デジタル画像だけではなく、紙ビラも作成し要所に使用する。
休み時間には一年、二年、三年の各自がそれぞれの学年の友人達に直に情報を聞いて回った。
昼休みになると昼食を早々に済ませ、技術室に加えて実習室に赴き探してみるリョウとカオリ。
モノは試しと救急講習の指導員にも事情を説明して訊いてみたが、色よい返事は得られなかった。
今朝の時点でリョウたちに
「おまえは探し物とか向いてないんだから、まかせておけ」
と言われたトモは、通常通りに昼休みの図書当番についていた。
そのトモの耳にも軽音楽部が総攻撃に出て紛失物の捜索をしている、という情報がはいってきた。
「…………にゅ」
幼馴染たちの好意に頼るしかないトモは、この時どんな顔をして、何を思っていたのか。
学内に嵐のようなうごめきが広まっていた頃。
秋の日の日差しに照らされた絢爛たる一室で、来賓用の洋雅な装飾机に座り、悠然とティーカップを傾けている男たちがいた。
眼鏡を掛けた、小柄ながらスーツの似合う紳士然とした教頭先生と
――厳格な顔立ちをした中世の貴人のような風格の十志英才学園学長。
こちらは学内の衣替えに合わせたのか、流麗な刺繍の施されたフロックコートを着こなしている。
彼らは窓外の木立の葉が風に揺れる様に目を細め、向かいに座る一人の女子生徒の話に耳を傾けていた。
「そういった事情で今日は学内がざわついているのですね。
しかし意外なモノですね。
一人の生徒のトラブルに対して、あなたも含めたそこまでの生徒が動いているとは」
嘆息する教頭の横で、さもありなんと学長は肩の飾緒を揺らす。
「ククッ まあ、思ォォうゥところがあるのだろうてェェ。
それに主動している火の出ェ本はァァ、あの軽音学部だと言ィィィうではァないかァァ。
あそこには確かァ、クィーンとォ……遊撃部隊員のひとりがおったのだろうォォう」
「成程。
またあの子らが厄介事を巻き起こしたというわけですね。
いけませんねえ、十志の生徒らしからぬ真似をこりずにするものです」
学校上役の不興を買ったと感じたのか、女子生徒が即座に半畳した。
「ですが、今回の件は学校側に対しての不利益や、迷惑を掛けるモノでは恐らくありません。
ですから……」
「だァァかァら、
目を瞑っておれと言いィィに来たのかァァ」
鋭利な指摘に女子生徒は僅かに怯んだが、しかし敢然と答えた。
「……はい。
学内の不穏事態を看過しろというのが、一生徒でもある私の出過ぎた真似であるのは承知しております。けれど……」
「ぶるぅぅぅあああッ‼
見縊るでないわァァッ!!
この若輩者がァァああああああッ!‼」
学長は手にしたティーカップの中身を一気に飲み干すと、
それを頭上に掲げて裂帛の気合を以って雄叫んだ。
隣席の教頭が眼鏡を直し、女子生徒が身を硬くした。
オ……、オール、ハイル、十志ィィハイスクール! 学長、ぱないです。
「生徒諸君の誠意に基づく自主性が! その行動を起こさせているのなァらァばァァあッ!
我々ェ大人たちがするべきは!
その頭ァァを叩くことでは、決してェェなぁぁぁァァァいィィィィいいああああッッ‼」
学長の大迫力の前に、常日頃から彼のプレッシャーを受けている教頭でさえも怯んではいたが、女子生徒の手前、毅然と口を開く。
「では学長、この度の件には干渉なさらないおつもりですか?
しかしそれでも、学生の本分を揺るがす因子を、今の時期に野放しにするわけには参りませんよ。
定期試験はもう十日ほどで開始されるのですからね」
「ふふっ 解かっておォォるわッ
ワシは何もせんとはァァ、一言も言ってはァァおらんだろうにィィい」
高く掲げた手をおろすと、学長は高貴な……そしてどこか老獪さを含ませた笑みを浮かべる。
女子生徒は学長に対して、彼の懐が深いことを信頼していいのか、油断ならなさに警戒心を捨てるべきではないのかを判断しかねた。
「そう睨むでないわァ、
大伯父を少しは信用してもォォ、よォかァろうにィィ」
「……そうですね。
もとより繋がりを頼っているからこそ、こうして私が学園の長に意見しに来ているということですものね。
わかりました。
これ以上は大伯父さまを信用して、私達は私達に出来ることをします」
そう言うと女子生徒は立ち上がり、くるりんふわとした髪を陽光に煌めかせると、部屋を後にした。
「ふっふぅ。困った姪孫よォォ」
鷹揚に肩を上下させる学長。教頭はポットを高く持ち上げると、二人分のおかわりの紅茶を注いだ。
……えーっと、結局あの子は一体誰なのでしょうか。
放課後。
下校時刻。
十志英才学園高等部正面玄関。
部活返上で方々(ほうぼう)を探し回っていた部員たちが集まって、それぞれの結果報告をしていた。
その場には軽音学部員に混じってハルとアヤもいた。
「くぅう~~~ッ みつからねえなあ!」
「こっちもだよ。探せるところは探したんだけどな。」
「やっぱり誰かがパクってバックれてる線が強くないか?」
部員たちがさすがに疲労の色のある顔をして、言葉を交わす中で、
トモが決意した様に歩み出て、口を開いた。
「にゅー……。
みなさん、ありがとうございました。
これだけ探して見つからないんですから、もうあのバッジのことはいいです……。
もともと私の不注意なので、みなさんにこれ以上ご迷惑かけられませんよう」
と、トモがしおらしくしてしまう。
「おまえ、本当にそれでいいのかよ?」
カオリは引き下がる気はない、とばかりにトモを鋭く睨んだ。
しかしトモは小さく漏らす。
「確かにね……嫌だよ。良くないよう。
でもね……私にとっては、あのバッジが失くなることで、他の何かが一緒に失くなるなんてことはないんだよ」
そう言って、ぎこちなく笑う。
「にゅ……。
今日は先輩たちのお蔭で、それがようくわかったのです」
そんな表情をされたら、リョウはともかくカオリは、引くべきか、尚も押すべきかを判断に窮するだろう。
リョウは状況に対する最善と、関わる人間の気持ちを秤に掛けた時にも、最善を選び続ける事を躊躇しない。
対してカオリは、その気性の荒さに反して目の前の大切な人間が、今苦しむことを看過できず、冷静な判断が鈍るところがある。
かつて中学時代に経験した事件でも、そうした二人のメンタルが事態の引き金であったのだ。
それはともすれば、あの一件から3年近くが経とうとしていながら、カオリは自らのウィークポイントを克服できていないという事でもある。
それは彼ら仲良し三人組の美点の中にある 「影」 であるということを、当人たちが気付いているのかは現時点では言及しない。誰も。
加えてトモが自らを律しようとしていることに、カオリは尚更躊躇いを抱いた。
そこにイツキの言葉がかけられる。
「有沢一年生、俺らは君とそれほどの面識のある仲じゃない。
しかしだ。
紺谷の仲間がそんな顔をしていて、そして紺谷に誠意をみせられて黙っておれんのよ」
エッジの利いたグラスをシャープな手つきであげると、
イツキはこの場の一同を見回し続ける。
「仲間の仲間は仲間だ。そうだろおまえら!
まだへばってねえよなあ⁉」
「うおおぉぉおおおお――――ッッ‼」
軽音部の野郎どもが一斉に吠えた。
「俺らはまだまだいけるぜ。
有沢一年生、ここは俺らと紺谷、木村を信じてみろ」
ハルとアヤがトモの肩に手を置いた。
「トモ、出来ることがあるうちは、やり続けるべきだよ」
とハル。
「そうだよ、トモ。
それに好意に甘えるだけかどうかは、今決まることじゃないしね」
アヤが優しく、けれどふわふわした彼女らしからぬ意丈で言った。
友人二人の励ましに、トモがなんとか肯いた。
「……はい。お願いします」
十志の教育のススメ。十の内のひとつ。
“全てを一人では為せない。仲間を持て”
その夜、トモは意を決して机に向かい、テキストとノートを開いた。