嵐の新学期
第五回
早いもので、あんなに長いと思っていた夏休みも任期満了、
おまえたち若い者とばかり遊んでもいられない。と言わんばかりに終了を告げてしまった。
そして数多くの罪なき無垢なる学生諸氏の嘆きと怨嗟の念に包まれながらも、
それでも時間の流れは変化することもあろう筈がなく、
本日九月二日より十志英才学園も二学期が開始された。
哀れな子羊たちよ、震えて眠れ。
やーいっ やーい!
そんなわけで新学期初日。
過ぎ去った夏の思い出とともに、幾ばくかの成長を遂げた生徒たち。
そんなどこか清々しい横顔が溢れんばかりの登校風景。
……だと良かったのだが、
本日はおりしも台風の通過により大雨強風警報の発令中。
早朝ホームルームの後に開かれた、校舎議事堂での全体集会。
その場のただでさえ休み明け、だっりぃ~~っ ムードに加えて、
表の強い風音に気圧されることなく、高等部の学長が二学期開始の檄を生徒たちにとばしていた。
「諸ォォ君ンン‼
夏が過ぎ去ったことはァ 青春の痛手であァァるぅう。
しかァあしッ
過ぎたことに囚われることォォなかれェあ!」
見た目が素で「バッハ武◯」をいく外見だけでも、
生徒によっては暑苦しさ……または圧迫感を感じる学長の、
パワフル最上級越え極上ブレイクの語りである。
言っていることは至極まともなのだけれど、この熱量は正直こたえる十志生。
「新しいィ学期にはァァ
そのシーズンの青春の輝きが必ァァずああぁるゥゥあ‼
それを逃すことなく自らの手にィ掴み取ることがァァ、
諸君の青春とその意ィィ義いいをををッ
価値あるものにすると知れえぇぇえい‼
一同!
はげむべェェェしッ‼」
この度の訓示を要約するとつまりは、
二学期の通例行事の目玉である文化祭に向けて、その手前の関門である中間試験に全力を注げ、
ということのようだ。
議事堂に集った十志生の一年生から三年生の面々、
その中の優良生徒勢。カオリも、リョウも学長の言葉を「望むところだ」として心身に張りを持たせた。
それはもちろん新学期が開始を告げ、
自堕落に朝寝ができなくなり、今朝はカオリが家に迎えに来るまで寝ぼけていたトモも同じく、であった。
……まあ、一応。
というよりも、
今朝の登校時の台風の風雨と、加えて学長の若本規夫ばりの迫力みなぎる声のおかげで、眠気など吹き飛んで背筋が伸びたトモだった。
「にゅ」
の音も出ないばっち覚醒ぶりを強いられた、みたいな。
だが、今の二学期開始時における有沢トモに限っていえば、
そのやる気の違いは今迄の学期はじめとはいささか雰囲気が異なるようだった。
振り返るに、八月二十四日の花火大会の夜。
あの時にトモは自分の中に炎がともって、それが熱く燃え上がるのを実感した。
トモを昔から見てきたカオリやリョウにしてみても、
彼女が何かに対して強い意欲を露わにすることは稀であるのが周知。
そのトモが、翌日からはカオリの部屋で三人集って勉強する以外にも、
自宅でも自発的に夏休みの課題に取り組み、一学期の復習を続けていた。
その様子はカオリたちにしてみても、異様な光景である。
また彼女の母親が
「あの子いったいどうしたの? これは台風がくるわね」
と冗談まじりながら、訝しんでいたほどだ。
今朝にいたっては、「心配だ」と言ってカオリとリョウに相談してきたりした。
そんな母親に対して、苦笑しつつ、
「トモにも高校生としての自覚が、少し芽生えたのかもしれません」
とリョウが言って、
「あいつのことだから、いつまで続くかわからないけど、
まあやらせてみましょうや」
とカオリがトモの背を押す言葉を言っておいた。
そんな微妙な変化の兆しともとれる時間を経て、
あっという間の夏休みラスト一週間も過ぎて、滞りなく始まった新学期。
十月中旬の中間試験に向けて気合十分のトモたちである。
全体集会が終了した後。
各自の教室に戻った生徒たちに、担任教師から二学期の行事予定表が配られた。
それによると全学年共通の行事は以下の通りだった。
九月十日 実力小テスト
九月二八日 体育祭
十月四日 救命救急講習
十月十五日~十八日 二学期中間試験
十一月三、四日 文化祭・十志フェス
十一月二十二日 職業講話
十二月三日~六日 二学期期末試験
十二月一四日 防災訓練
十二月二十五日 終業式
ということで、今期最大の関門と目される中間試験まで、あと約六週間。
まずは夏休み明けの実力小テストが控える。
あと中間試験に向けての難所と言えるのは、体育祭。
部活勢の勢いに当てられれて、無暗にハッスルしたあげくに、
ハッスルが過ぎて怪我をする生徒が少なからず出るイベントなのだ。
また、確かに怪我も気にしなければならない大きな要素ではあるが、
平常時に使わないエネルギーを発散したりした結果、
試験勉強に対して中だるみしてしまうことも注意しなければならないと言えるのだ。
日にちもそう遠くはない、差し当たっての実力小テスト。
全生徒の幾らかは、休み気分の抜けきらないでいるところだが、
このテストの結果は二学期末の通知成績に点く以外は、こと文化祭には影響しない。
そのことを踏まえて、だから気を抜く生徒は多いのが実際だ。
本来のトモならば、そういう生徒の一人であった可能性はすこぶる高い。
しかし今の彼女はやる気十分で勉強を続けており、八日後の小テストも、
どーんっとっこーい!
状態のようである。
周囲のすこぶる意外そうな視線はおいて置いて、
である。
あまりにトモがやる気をみなぎらせているので、こんな状態のトモは小学校受験以来目にしていないのでは、
と本気で思いかねないリョウとカオリ。
二人ともこの調子が問題の中間テスト本番までもてばいいのだが、と心配になる。
だがそこは、
いつものようにリョウがトモのフォローにまわるのだろうが、目に浮かぶようだ。
○ ● ○
二学期初日から六時限の授業を終えて下校の時間。
正面玄関。
勉学に対しての真面目さもさることながら、部活動にも精力的なカオリとリョウの軽音部組。
もちろん新学期初日からギグるつもり満々で、
カオリは今朝も暴風雨のなかをベースを担いで来ていた。
また前夜の段階で部員に対する通知連絡がなかったことから、部活も当然やるつもりであった。
しかし今日は天候が荒れていて、
「ノイズがうぜぇ!
爆音を鳴らす気が起きんわぁぁああああああ!」
という軽音部部長の采配によって、
リョウとカオリは部活をせずに帰ることになり、トモを待っていた。
十志英才学園の廊下。
下校時間ということもあり、種々の生徒たちが織りなす会話の断片が殊更にあふれている。
その中から聞き慣れた声が近づいてくるのにリョウたちは気づく。
「トモ、すごいじゃん!
夏休みの課題、全部やってきたんだんね」
「そうそう!
そのことが去年までのあんたを知る者達のあいだで、
激震ニュースとして学年中を駆け回ってたよ。
台風もお手上げだーって」
「にゅー。
いえいえ、
私はこの夏休みで高校生としての勉強の意義に目覚めたのですよ。
ただそれだけなのです」
トモの声だった。
周りに同学年だろう、二人の友達らしい女子と連れ立って
玄関口に歩いてきた。
しかし随分と謙虚な口ぶりが鼻につく、
と感じるカオリ。
リョウがまあまあとなだめた。
「あっ 先輩たちだ! お待たせー。
それじゃみんな、また明日ねーっ
ちゃおっす!」
友人達と手を振り合って別れて、
リョウとカオリのもとへ子犬のように駆けてくるトモ。
九月に入ったばかりの十志の制服は夏服使用で、
男子はワイシャツに校章入りのネクタイ、チェックのズボン。
女子はブラウスにクリーム色の校章入りのセーターを重ねて、リボンをつける。
スカートは男子同様のチェック柄。
なのだが、もともとが気風的に開放感のある学校である。
多少のカスタマイズを施す生徒も多い。
そんな例に漏れず、
リョウはワイシャツの下にタンクトップを着ているし、
カオリはリボンを着けずに襟元を開けている。
トモはセーターの裾にいつもの猫バッジをつけていた。
――何事もない学校生活の下校時刻。
三人のいつもの情景。
の筈であったが、
さすがは台風。
大雨強風警報こそ数時間前に解除されてはいるが、
のんきに通常平静通りに家路につくともいかない。
傘は風にあおられ、髪や制服に雨が降りかかり続けた。
「うおおおおっ
さすがのカオリさんもヘアスタイルの維持的にピンチ極まりないぜ」
「あはははっ
先輩、スカートが華麗にはためいて、
ほらあそこの男子が括目してるよっ」
「うっせ!
おまえだって色気のないパンツ見えてんぞっ
バーカッ バーカ!」
「にゅっふぅーっ
有沢さんは、パンツが見えても恥ずかしくないもん。
あははは」
「いや、そういうところで意外性を発揮しなくてもいいんだっての。
恥ずかしがれ、どあほ!」
「……ふたりとも、
恥ずかしいから自重しようよ」
リョウの哀切のつぶやきも強風に消える。
……っていうか元気な娘さんらである。
モーレツなノリで我が道を行く三人組だが、
やっぱりというか濡れネズミ状態になり果てた。
そこで通学路途中で学校から一番近い位置にある、
トモの家に一時避難することになった。
「おかーさーん!
リョウくんたちも来たからタオルちょうだーいっ
大至急の特急便でねー」
「こんちはー」 とカオリ。
「おじゃまします」 とリョウ。
受け取ったタオルで髪や服を拭いている三人に、
トモの母が話しかけた。
「まったく、新学期早々に大変だったねえ。
カオリちゃんもリョウくんも待ってなさいな、
お菓子と飲み物持っていってあげるから。
そんで最近この子おかしいから、たまには脳筋ほぐしてやってちょうだいな」
屈託のない笑顔でさらっと我が子をおかしいと言ってのける母。
というかトモがよく笑うのとか、諧謔はきっと母親の影響だ。
「いやー、こいつ多少脳みそマッシブになってもいいんじゃね?」
トモの頭を拭いてやりながら、カオリが笑う。
「……まっちょトモは嫌だな、俺」
濡れそぼって、ツンツンヘアがしょげたリョウは、半眼で漏らす。
そんな二人の性格からくる対応も周知のようで
「あははははっ」
と明るく笑いとばすお母さん。
「うにゅー。和んでるね、みんな」
トモが母親同様の屈託のなさで、嬉しそうに微笑んだ。
○ ● ○
「しかしおまえの母さんは相変わらず、おまえに対して色々と大らかだよなあ」
「そうですね。
トモが自発的に、かつ真面目に勉強していると、かえって心配に
なるみたいですしね。
まあ確かに珍しい光景で、不気味な傾向であるという見方になるのも
遣る方無しという気もしますが」
トモの部屋。
お母さんが持ってきたお菓子をつまみながら、
カオリとリョウがそれぞれに好きなことを言っていた。
「うにゅう、失礼しちゃうなあ。
私だってやると決めた時は、やるのですよーだっ」
さすがに言われっぱなしでもいられず、
トモ半畳。
「はっ よく言うぜ。
けど以前にそうなったってのがだいぶん前すぎるから、
まったりしてるのが常態だと色んな人に思われてるってことだろ。どうせ。
なんにしても自業自得。
賛否両論を我が物とせよ」
「むむ――っ
納得いかにゃいのです」
リョウとカオリにとって、これまでに何十回、何百回と訪れているトモの部屋。そこでは当たり前にくつろぐ三人。
トモの部屋の特徴をあげるのなら、
昔から家具や物、本棚の位置などがあまり大きく変化がないことかもしれない。
変化がみられるのは本の種類やアクセサリなどの小物が増えていることや、
カーテンやふとん、クッションなどのカバー類。
それ以外ではトモは物持ちがよく、
割と古い物も大事に使って置いてあったりする。
ここに若干の保守性を垣間見せるトモ。
そのトモの変化を楽しみの一つにしているリョウは、
今日も彼女の本棚の蔵書を眺めている。
リョウは目を走らせていて、ふと疑問に思うことに気づきトモに訊いてみた。
「トモ、何冊か開封していない本があるな。
どうしたんだ一体? 珍しいな」
提示られたことに対して、カオリも怪訝な顔をしてトモを見た。
「ああ? 買ってきた本はその日のうちに開いて、読み進めるのが
おまえの昔っからだと思ってたけど、
確かに疑問に映るな。
どうしたってんだ?」
あからさまに胡散臭そうな顔をしているのが、
失礼さ加減マックスである。
カオリの平常運転に対して、
しかしトモは少しもぞもぞと動いて、それから二人を見ずに答えた。
「あー、それはね、
うにゅ。
単純にゆっくり読む時間がないといいますか、
時間を作れないといいますか。
はてさて。
……後日まったり読むのを楽しみにしている本だといいますか、
ねえお兄さん、お姉さん」
返ってきた答えは現在のトモの様子を鑑みれば想像がついたものだし、
なるほど合点もいく。
しかしトモに対してふざけた言動がデフォルトのカオリは、思わずシリアスな顔になってしまった。
「はん……。脳筋フル稼働してると、他の嗜好運動の余力もねえってか?
お粗末な奴だな」
それでも持ち直して悪態をついてみた。
「にゅにゅ!
なんですとーッ」
リョウはヒートアップしそうなトモの頭に手をおいて、
ポンポンと叩いてやった。
「がんばってるな。偉いぞトモ」
「えっへへへ――っ」
相好を崩して微笑むトモ。
別に褒めてもらう為にしていることではないにしても、
そこはトモの素直な性分の表れだ。
「……ハッ。
しかしおまえの母さんの言う通りじゃねえが、ちょっと不気味ではあるなあ。
実際に台風が来たくらいだし」
「先輩、それは因果の誤りですよ」
「あーっ! 私それ知ってる。
パソコンのスイッチを入れた時にお客が来たからって、そのことはパソコンは関係ないんだよねー」
「よくわからねえ原典を出しやがる。
要するにそれって、三段論法として間違ってるって言いたいんだろ。
あー、因果の、何?」
「因果の誤り。
『post hoc ergo propter hoc』 ですね。
男が女を見た、その時彼女がこっちを向いていた。ゆえに彼女は男が好きである。
というのは誤りである。
……よく考えればそうではないとも判るのに、そうは考えずにそこに因果関係を見出す。
でも大筋でそんなわけがないと判ること。
AのあとにBがあったからといって、
AとBの間には因果関係があるとは限らない」
「いや、
ラテン語の原典はなお分からないから」
顔の前で手を振ってみせるカオリ。
だがそこで、先程のリョウがそうであったように、彼女も疑問に思うことに気付いた。
「……あれ?
こういうパターンなら、いつもおまえ、
勢い込んで調子にのるところじゃねえか?
「先輩もちゃんと勉強しないといけないんじゃないですかー?」
とかって」
さも当然が欠けていると人は物足りなさを感じるというが、
カオリはそれを認めはしないだろう。
認めはしなくても、不自然を突くことは誰でも、それも当たり前というか。
哲学的つっこみ力学の提唱者。
……とリョウは思考した。
「うにゅ!
先輩、私はそれにこそ突っ込みたいよ!
人がやる気になってるのがそんなにおかしいですか⁉ チミ達は間違っとる!
幼馴染に対する接し方としてそれでよくとも、
今のこの有沢トモ、ヴァージョン1.02に対する認識を改めていただこうなのだァ――!」
カオリの冗談にうまく乗っかってくるトモ。
「ヴァージョン1.02って、
おまえ今迄どんだけアップグレード少なかったんだよ。
いやそれ以上にグレード上がるの小さ!
進化してねえんじゃねーか」
「先輩、トモもがんばってるんですから、
そんなふうに言わなくても……」
リョウがフォローしている横から、トモが
「にゅー。
大丈夫だよーリョウくん。
今はちょっと嗜好品に手を伸ばしかねている私に、癒しを提供してくれてるんですねー、先輩は」
と言って微笑むものだから、
二人ともトモの良い子っぷりに
(え!?……)と不審に感じるのだった。
「本当に何事もなく中間試験できるといいなー」
「大丈夫ですよ
…………………………………………、多分」
しばらくして天気の晴れ間にトモ宅を出た二人。
リョウとカオリはそんな空寒い思いの会話を交わしたのだった。