序・参ー「食事」
「ごめんね、ちょっと散らかってて。」
「そ、そんな事ない、ですよ?」
「よかった。僕は少し仕事があるから、君は好きな様にくつろいでて。」
「は、はい。」
小屋の中は思ったよりもきたなかっ…散らかっていた。
入った途端、あまりの凄さに仰天した。正直、男だった事よりも、部屋の散らかり具合の方が驚いた。
まず、入った途端感じる埃の臭い。次に眼に入ったのが床に散らばる本と書類の山。所々床が見えているが、そのほかは本当に足場がないくらい埋もれていた。
玄関を過ぎるとキッチンらしき場所が見えた。だが、台所やテーブルの上、格や椅子までもを怪しげな薬や分厚い本が占めていた。本の中には開きっぱなしになっている物もあり、小さな紙やメモが挟まっている。周りを良く見渡すと、どうやら破られたらしい本のページも落ちていた。
さらに奥の机には、まるで魔術か何かのまじない品や、薬草、骨などが転がっていた。周りにおいてある本棚からも、幾つもの本を抜き取った後があり、ある箇所などでは雪崩を起こして下にごっそりと積み重なっているのが見えた。
さっきこの人、片付けますって言ってなかったっけ?いろいろ物音がしてなかったっけ?
しかし、彼は横で悠々と机で仕事をしている。
右奥にある部屋に視線を走らせると、扉がぎしぎしと音を立てて唸っていた。先ほどの音はどうやら幻聴ではなかったらしい。あそこには近付かないでおこう、絶対に。
さすがに水を使うトイレやお風呂に紙の物は置けないだろうと思ってみたら、壁一面にひどい落書き、というか汚れ。まったく色の協調がされていないそれに、逆に感嘆が漏れた。
俺に使わせてくれるという部屋は、小屋の一番外れにあった。どうやら倉庫らしく、ぎっしりと本が詰まっていた。
だが、さっきの部屋々よりはましだったので、ひとまず安堵した。
ついでに、電話を貸してもらい、寮の番号に電話する。要によってしばらく説教されたが、慣れた親友の声を聞くとホッとした。とりあえず今日のところは平気のようだ。
しかし、ここで問題が一つ発生した。
俺は今、腹が減っている。
そう、本当に空いているのだ。さっきからぐぅーぐぅーと人に聞こえないぐらいの音でなっている。
再度台所を確認し、竈の上で煮えている鍋に眼をやる。一見よさげな匂いだが、蓋の隙間から立ち上る煙は濃い紫だった。
うん、無理だ。
一瞬様々な疑問が浮かんだが、それらを消し去り、一つの事に集中する。
「あの、すみません。」
「はい?」
「あ、その、ええと…」
ちらっと横のお鍋を見る。失礼な話なので、なるだけ丁重に行きたい。
「あ、遥です。ハルカ=エヴァンズ。そっちはフェイちゃんです。」
遥が止まり木で忙しくに羽繕いしているはくろうさんに向かって眼を向ける。
(そういうことじゃないです!!)
逸れてしまった話題にずっこける。
自分の方に視線が動いたのを感じてきょとんとしている姿は愛らしいが、今はそんな場合ではない。少々不意を付かれたが、すぐに話題を戻す。
「あ、どうも。俺は四住連です。レン=シズミ。ってそうじゃなくて!あの、失礼ですけど、あの鍋の中身は…」
思い出したように遥が立ち上がった。
「いけない、早く火を止めなきゃ!」
そういう問題ではないと思いますぅぅううう!
そんな心の叫びは届かず、遥は鍋に近付き、火から下ろした。上の食器棚をあけ、椀型の器を二皿取り出す。
ん?もしかしてなくても、これはー
さらに横の冷凍函から野菜を取り出し、適当な大きさに切って別の皿に盛り付けていく。
そして、いつの間にかテーブルのギリギリ開いたスペース(遥が物を床に押しのけた)に、一見普通のサラダやパン、そして毒々しい煙を放つスープが並べられていた。
はい、俺死亡。
「どうぞ!」
にこやかな顔で勧める遥には、悪意のかけらが一つも篭もっていない。まさに天使!といいたくなるが、目の前の料理を見ると悪魔のささやきにも見える。
席に座りじいっと俺を待つ遥。たぶん、俺が先に口をつけるのを待っているのだろう。礼儀正しい人だ。
ゆっくりと席に着き、食事の感謝の言葉を紡ぐ。ああ神様…どうか慈悲の手を!
恐る恐るスプーンで謎の液体をすくい、口に運ぶ。大丈夫だ、勇気を持て連!ここで嫌がったら追い出されるかもしれないぞ!
ぱくっ
ごっくん
「あれ…」
うまい。普通においしい。奇妙な目で紫のスープを見る。ちょうど良いくらいにしょっぱくて、よい匂いが漂う。本当にただのソーセージキャベツのスープを飲んでるみたいだ。
「どうかな?」
遥が好奇のまなざしで俺を見る。
「おいしいです、とっても。」
単調な返事しか返せない。それほどまでに驚いた。
それを聞くと遥は嬉しそうに顔を緩ませた。男性だとわかっててもかわいいですね。
「よかった~!そのスープ、なんか不評でさ。セウにも『作るな』って言われちゃった。こんなに美味しいのに、なんでかな?」
気持ちはわかる。
「セウさんって?」
「ここの同居人。別のところにも部屋があるから、そっちの方にいる事のが多いけどね。」
一気に親しげな口調になった遥さんを見て、不思議に思った。さっきまでは敬語だった気がするが。
「その口調…」
「あ、フェイちゃんが信用してるなら、問題ないかと思って。この子、愛玩兼防犯用なんだよね。」
気が付くと、はくろうさん(フェイさん)が此方までやってきて、すりすりと体を擦り付けてくる。おもわずきゅんと胸がなる。
食事をする時は極力話さないタイプなのだが、ぶっちゃけここについての質問は山ほどある。とりあえず、失礼のないように簡単なことを聞いてみる。
「ここは、一体なんなんですか?」
「なにって?」
「えっと、主に何の仕事をしているか…です。」
視線を逸らす見て俺を見て、遥ははぁと溜息を漏らした。
「うん、ごまかしても仕方ないよね。こんなだから、本当は泊めたくなかったんだけど。来ちゃう人は来ちゃうし、ただ放って置くわけにもいかないしね。」
はくろうさんが俺を見つけてくれたときのことを思い出した。この子がいなければ俺はいまごろ狼に食われてたかもしれない。
ていうか、汚いっていう自覚はあったんですね。
「ここはさっきも言ったとおり研究室だよ。何を研究してるかはヒミツだけど。ま、僕もあんまり知らないけど。」
「?どうして」
「本当は僕の友達の小屋なんだけど、仕事で開ける事が間々あってね。そういう時、僕やセウが変わりに留守番しているというわけ。」
てっきり住んでいるものだと思っていた。しかし、そうやって考えてみるとその小屋主の趣味がわからない。ぐうたらな人なのだろうか?
「研究熱心な子だからね。そういうシズミ君は、学生?」
自分に話題の的が移ったので、急にどきまぎした。
「は、はい。今日入学したばっかりです!」
「そっか。だから迷っちゃったんだね。ここは立ち入り禁止になってるから、近付いちゃダメなんだよ?」
「わかりました。」
知らなかった。今度から気をつけよう。
その後、今日の入学式のことやその他の雑談で盛り上がっていたら、もう八時になっていた。遥さんに風呂を勧められ、喜んで飛んでいった。
「おーふろおふろ♪」
ルンルンと鼻歌交じりに入った俺は、調子に乗ってすってんころりと浴槽の中でこけてしまった。
「いってぇええ!」
ぶつけた頭がじんじんと痛み出す。けど、ドジッ子な俺にはよくある事なので、いちいち気にすることはなかった。しかし、さすっていた手を頭から外してみて気が付いた。
「あれ、このペンキって…」
俺の手にはさっきまで無かった筈の汚い赤や緑のペンキがこびりついていた。瞬時にこれが何かを察し、パッと振り向く。擦れた落書きを見て、自分のふがいなさに溜息をついた。
「どんまい、俺。」
大丈夫、落書きだしこんなの!
(落書きじゃなかったらどうするのさ?)
何言ってんの、こんな薄汚れた物、落書き以外に何があるのさ。
(魔方陣かもよ?よく要が変なの壁一面にかいてたじゃん?)
心の中で天使と悪魔の攻防が続く。まあいいや、気にしないでおこう。
そうしよう!
(そうしよう!)
天使と悪魔と言っても俺は俺、どっちも面倒くさがり屋だった。
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「もう、遅いよ!なにしてたのさ!」
連のいない部屋で、遥は誰かと電話していた。相手は彼の友人であり、仕事仲間でもあるセウ。
『おー悪い悪い。悪いついでにもひとつ頼みがあんだけどさっ」
「~はぁ。いいよ。何?」
『さっすが遥、俺の心の友よ!それで、仕事の内容だが今夜そこの北東にいって、魔獣を一体仕留めて欲しい。』
彼の言った言葉に、遥は顔をしかめた。
「魔獣を…?何故。ていうか、今お客が一人来てるんだけど。」
強い口調に変わった遥に、セウはおびえる事もなく慣れた様子で言った。
『客?珍しいな。フェイに任せとけよ、そんなもん。とにかく、それはお前や俺らが聞いちゃいけねぇ事だ。おおかた検討は付いてるだろう。…できるか?』
「いいよ。そのかわり、しばらく休みたいんだけど。」
『おう、いいぜ。そう伝えておく。じゃあな。』
「また明日。洋子によろしくね。」
プツッと音を立てて電話が切れた。遥の横では、フェイが心配そうに彼を見ている。「大丈夫?」とでも聞くように首をかしげている。
その愛しげな様子を見て、遥はふっといつもの笑顔に戻った。
「平気だよ。ー留守番、お願いね。」
フェイは同意を示すように小さく鳴いた。
部屋の汚さにには気付くのにスープのグロさには気付かない遥さん。